刹那-2

「ただいま……っと、あらあら」

夜明け前に帰ってきたは、まずテーブルの上に散乱した食糧を見て苦笑し、それからベッドに目を移して――――吹き出した。

「……アレルギーじゃなかったの?」

そこには三蔵の腕枕で眠るがいた。

がなつくなんて……やっぱりね」

食糧を片付けながらくすくす笑うは面白がっているような表情。

「でもそこに寝られたら、私が眠れないじゃないの。、どいてね」

抱き上げると眠そうに一鳴きして、胸にすり寄ってくる。

「ただいま。――あら、ごはんもらったの?」

「ニャ」

「ふーん……だからかあ、なついたの」

少しだけエサの残った器を洗っていると、ベッドから盛大なくしゃみ。

「――――っくしゅんッ!」

「アレルギー治った訳じゃないのね……」

「……そんな簡単に治らねェよ」

「そうね。――ただいま」

「……ああ」

「ね、ここにあった食糧は?」

「八戒が持って来た。見舞いと差し入れだそうだ」

起き上がって冷蔵庫に近付く。

「ちょっと、まだ起きちゃ……」

「少し痛むだけだ。大した事ない」

「呆れた。自分の体でしょう、少しはいたわりなさいよ」

「俺の体だ、放っとけ」

勝手に冷蔵庫の中を物色したくせに、目的の物がなかったのか舌打ちする。

「ばッかじゃないの?放っとけるなら最初から拾ったりしないわよ」

「な……」

「しょーがないじゃない、こーゆう性格なんだから。
それと、ウチにお酒はないからね」

「……フン」

「私、シャワー浴びてくるから寝てなさいよ」

そう言ってするすると服を脱ぎ始める。

「おい……」

「何?服着たままシャワー浴びろ、なんて言わないでよね」

「あんたな……」

「なんならここで全部脱いであげようか。見たいでしょ」

「キョーミねェよ、オバサンの裸なんかな」

「何ッ!?」

オバサン、の一言はのプライドを酷く傷付けたらしい。

「ちょっとちょっと、オバサンはないでしょ!?
女の事何も知らないガキんちょが偉そうに!」

「ガキ扱いすんなってんだろーが!」

「あなたが先にオバサン扱いしたんじゃないの!
チェリーちゃんの分際で生意気よ!」

「テメェ……」

「あら図星?そーよねェ、坊さんは女御法度だもんねェ、可哀想に」

「いい加減に……」

「オバサン発言取り消すまで許してあげないからね。
女を怒らすとどれだけ怖いか思い知るがいいわ。――フン!」

下着を脱ぎ、三蔵に投げつける。

「チェリーちゃんにはそれで充分だわ。生身の女なんか100年早いわよ!」

言い捨てて浴室に入り、ばたん!と派手な音をさせてドアを閉める。
その剣幕に、三蔵はしばらく突っ立っていたが、はっと我に返る。

「たく、女ってヤツはすぐヒステリー起こしやがる……」

「ニャ―」

「お前もそう思うか?」

同意を求めると、プイッと横を向いてスタスタとねぐらへ帰ってしまう。

「チッ……」

舌打ちしてどっかりと椅子に座り込む。
しばらくして出て来たはタオルを巻きつけただけの格好。

「 …… 」

「何よ。まだ何か文句ある?」

ふん、と睨みつけた視線は妥協しない強さを誇示していた。

「別にあなたが私にキョーミなくたって構わないけど、商売道具をさげすむような言い方はやめてもらうわ。
あなたにとって下らないモンでも、私には大事な武器なんだから」

「……体がか」

「そうよ、言ったでしょ。私はこれで食べてんだから文句なんか言わせないって」

「そんなに娼婦なんかやりてェのか」

「……やりたい訳ないじゃない!!」

張り上げた声は少し震えていた。

「そうよ……誰が好きでもない男と寝る商売なんかしたいと思うって言うの!?」

「だったらやめればいい」

「簡単に言わないでよ!
私がどんな思いして生きてきたかなんて知らないクセに!」

ふう、と息を吐いて三蔵はを見た。

「辛い思いしてきたのはあんただけじゃない」

「判ってるわよ、そんな事!でもあなた浮浪者みたいな暮らし、した事ある?
食べる物も住むトコもなくて、残飯あさって、嫌な臭いのする汚い路地で寒くて凍えそうになりながら眠った事ある?
そんなみじめな思い、考えもつかないでしょうよ」

「 …… 」

「私は15の時からそうやって生きてきたわ。
両親がいなくて施設で育って、引き取られた先の養父に暴行されて妊娠して……
養母に気付かれてお腹蹴られて流産したわ。
それが原因で子供産めない体になって、その家を飛び出してから3年間、そーゆう暮らししてきたわよ。
それがどんなに悲しかったかなんて……
あなたには判らない」

「……なかなか凄ェ過去だな」

「判ってもらいたいとも思わないし、判ってくれなんて言わない。
3年間、男に近付かれるのもゾッとしたけど、自分の体がお金になるって知ってこの商売始めたわ。
死んだ方がマシだと思った事も、自分を取り巻く全てを恨んだ事もあったけど……バカバカしいからやめた。
だから今、何も知らないクセに偉そうな事言われると腹立つし……情けなくなるじゃないの、自分が」

俯いたの肩が、小刻みに震えている。

――ぽたり、と。小さな涙が床にこぼれた。

「……泣くんじゃねェよ」

「っ……何、よっ……!」

むき出しの肩にシャツを羽織らせた三蔵の手を払い退ける。

「優しくなんかしないでよっ……同情してほしくてあんな話したんじゃないっ」

「同情できる程、俺は優しくなんかねェよ。それよりうっとうしいから泣きやめ」

「あっ…たまきた…!困らせてやるんだから、あんたなんか!」

そう言って三蔵にしがみつくと、大声で泣き出した。

「おい……」

「何よッ、勝手にうっとうしがってなさいよ!
あんたの嫌がる事してやるんだからっ!」

胸に顔を埋めて大泣きするを、何故か三蔵は突き放す事ができなかった。

「ったく……どっちがガキだよ……」

「うるさいっ、チェリーボーイ!黙って胸貸してなさいっ!」

その、人を張り倒せそうな勢いに負けて、気が済むまで泣かせてやる事にした。

が泣きやんだのは、それから15分後。
真赤に腫れた瞳で見上げて、毒突いた。

「ほんっと、女心が判ってない……こーゆー時は肩でも抱くモンよ」

「……悪かったな」

「バカ」

「……悪かった。別にあんたを否定した訳じゃない」

「……もういーわよ。私も泣かせてもらったし。
何年振りだろ、こんなに泣いたの……」

それは、今まで泣きたくても泣けなかった思いを吐き出したのと同じ事。

「あーあ、何だか疲れちゃった。もう寝よっと」

シャツに袖を通してベッドに潜り込む。

「どうしたの?早く寝ないとダメよ」

「あんたな…」

「悪いけどベッド一つしかないから一緒に寝るわよ。狭いけど我慢して」

溜息を吐き出して、三蔵もベッドに入る。

「ねえ」

「何だ」

「……ありがと」

そう呟いて、くるんと背中を向ける。三蔵には見えない表情は、微笑んでいた。

ご提供者:水城るな 様