刹那
町外れの森で、人知れず妖怪騒動があった日の真夜中。
女は路地裏で猫を拾った。
ぼろぼろに傷付き、薄汚れた――それでいて美しい光を放つ猫を。
「ん…」
「あら、気が付いた?」
その声に目を開けると、眩しい室内の灯りが瞳を射る。
慣れてから辺りを見回すと、長い黒髪をひと括りにまとめた美人が覗き込んでいた。
「ここは…」
「私の家。あなた、3日間眠りっ放しだった」
「そうか…あんたは?」
「あなたの命の恩人ってトコかしら。
道端で血ィ吐いて倒れてたあなたを見つけた時はびっくりしたわ」
「そうか…すまない、世話になった」
起き上がろうとして、胸に走った激痛に顔をしかめる。
「まだ無理よ、寝てなきゃダメ。
何しろ、折れた肋骨が肺に刺さる直前で止まってたって。
腕のいい医者に診てもらったから確実。
術後なんだから安静にしてきなきゃ」
「のんびり寝てる暇なんか、ねーんだよ」
「大丈夫よ、あなたの仲間には私から事情を説明しておいたから」
「会ったのか?」
「ええ、3人とも手術に立ち合ったわ。あなた動かせなくて、ここでやったから」
「ここで…」
「その時のモルヒネが効いてたみたいで、眠りっ放しだったの」
「事情は判った。それなら尚更あんたに世話になる訳にはいかない」
「――妖怪に襲われるから?」
微笑しながら言われた台詞に、顔を上げる。
「眼鏡美人さんに聞いたの。
経文は彼が持ってったわ、何かあったら困るからって。
銃は枕の下。――それから」
「何だ」
「紅い髪のイイ男に口説かれちゃった♪」
「…あのバカ」
「時々様子を見に来てくれるそうよ。――さ、できた」
目の前に突き出された湯呑みをうっかり受け取ってしまう。
「何だ?」
「薬湯よ、ちゃんと飲んで」
睨みつけられて、渋々飲み干す。
「……にげェ」
「薬だもの。――はい、よく飲めました」
にっこり笑った顔は、少し年上に見えた。
「…あんた、いくつだ?」
「あら!女に年齢聞く?失礼ねェ」
「そうか?」
「ま、キミのことを“ボーヤ”って呼べる程度にはオネーサマよ」
「ガキ扱いするな」
「それに普通、年聞く前に名前聞くモンじゃないの?」
「キョーミねェ」
「ほんっと、どこまでも失礼なボーヤねェ。ま、いいわ。私は」
通り名だけど、と付けくわえてペロリと舌を出した。
「通り名?」
「そ。娼婦に本名は必要なし。惚れた男になら教えてもいいけど」
「娼婦?」
「そーよぉ、悪い?私はこの身体ひとつで生きてんの。
文句なんか言わせないわよ」
「娼婦だろーと、殺人鬼だろーと関係ねェよ」
「っそ、ならOK」
と、突然。
「っくしゅッ!」
「……ヤだ、寒い?」
「いや……ッくしゅ!」
「どうしたの?」
「……この部屋、猫いねーか?」
「猫?いるわよ。」
「ニャ――」
キッチンの衝立の陰から現れたのは、薄い金の毛並の子猫。
「おいで。――って言うの。可愛いでしょ」
「……猫は苦手なんだ。アレルギーが出る」
「あら……嫌だ。困ったわねェ」
「少し離れていれば問題ない」
「そう?じゃあ悪いけど、ここにいてね」
衝立の陰にバスケットを置き、その中にを下ろす。
「じゃあ私仕事に行くけど、テーブルの上にお粥用意してあるから食べてね」
「ああ」
「朝まで帰らないから、ゆっくりベッド使ってて」
にこりと笑って部屋を出て行った。
が出て行ってから1時間後。ドアをノックする音で三蔵は目を覚ました。
「――誰だ」
「僕です、三蔵」
「お前か……動けないんだ、勝手に入れ」
「じゃあ失礼します」
入ってきた八戒は両手に一杯の荷物。
「何だそれは」
「お見舞いと、お世話になる分の差し入れです。さんは?」
きょろきょろと辺りを見回す。
「仕事だそうだ。お前1人か?」
「ええ。悟浄は危なくて連れてこられませんし、悟空が騒ぐと傷に響くでしょう」
「そうだな。――経文はどうした?」
「僕が肌身離さず持っています、大丈夫です」
「そうか。――煙草、あるか」
「だめですよ。肺危ないんですから、煙草もお酒もしばらく禁止です」
額に青筋立てそうな剣呑な笑顔で言われたら、三蔵は言い返せない。
「さんのご親切まで無視するつもりですか?」
「……チッ」
「ああ、そうだ。カード下さい」
「 ? 」
「あなたに持たせてたら煙草買いに行きかねませんから」
――見抜かれてやがる……。そう思いながら渋々カードを渡した。
「医者の話ですと、1ヶ月は安静にしてなきゃダメみたいです。
また様子を見に来ますので、ちゃんと休んでて下さいね」
「1ヶ月……」
「その間、僕達はこの先の宿屋にいます。何かあったら連絡します」
「判った」
「それじゃ、さんによろしく伝えて下さい」
「ああ」
立ち上がった八戒の足許にがすり寄ってくる。
「おや……」
抱き上げた腕に鼻先を押し付ける。
「さんの猫ですか?」
「ああ。だ」
「へえ……よろしく、」
「ニャア」
「可愛いですねェ。こんな立派な監視がついてるなら心配いりませんね」
そっと下ろして、頭を撫でた。
「じゃあ、また来ます」
「ああ」
閉まったドアを見上げていたが振り向いて、ニャアと鳴いた。
「――何だ」
「ニャ〜〜……」
「……腹減ったのか」
「ニャ」
「……仕方ねェな。……ッ」
痛む胸を押さえながら、猫缶を探して開けてやる。
「ほら、食え」
「ニャッ」
嬉しそうに食べ始めたを見て、八戒が持って来た袋の中身をあける。
「……さすがに酒も煙草もねェか」
舌打ちしてベッドに潜り込む。
うとうとしかけた時、足元にがうずくまる気配を感じたが、そのまま眠りに落ちた。
ご提供者:水城るな 様