I wish you every happiness.-5

翌日、は床をあげた。

「声、やっと元に戻ったな」

声からハスキーさは消えていたが、まだ少し咳は残っているし、その動きはいつもより緩慢に見える。

「まだ無理すんなよ」

「そうですよ。少しずつ身体を慣らさないと」

「うん、わかってる」

「いつ出発できるかはお前次第なんだからな」

「……うん……」

がここに残ると言えば、四人はすぐにでも出発できる。
旅を続けるのならばその体調次第。

は決断を急ぐ必要を感じた。

四人の心中は複雑だった。

談笑している女三人は仲の良い家族のように見える。

ここに残ればは危険なめに合うこともない。

人の倖せなんて平凡な生活の中にこそ溢れているものだ。
を普通の生活に戻す絶好の機会であることは確かだった。

しかし、考えてしまうのだ。

――もしこの町が妖怪の襲撃を受けるようなことがあったら――

の家族は妖怪に殺された。
その悲劇が繰り返さないという保証はない。

にとってどちらが良い結果になるのかなんて、誰にもわからなかった。

決めるのは自身。

自分たちに出来るのはその意志を尊重することだけなのだ。
たとえそれが『別れ』であっても。

夜。

店を手伝うというの申し出をは『病み上がりなんだから』と断った。

「久しぶりに動いて疲れてるでしょうから、今夜は早く寝なさい。
ぶり返しても知らないわよ」

そう言われては従うしかない。

はおとなしく部屋に戻りベッドに入った。

(ちゃんと考えて、ちゃんと決めなきゃ……)

ベッドの中で、はまだ悩んでいた。

きっとどちらを選んでも、一方に心が残る。

後悔はしたくない。

そのためにも、今の自分の精一杯で考えなければ……

考え込んでいるの目の前に、突然現れた掌がひらひらと揺れた。

「 ? 」

見るとが立っていた。

《これ》

「桃?」

が持っているトレイの上には白桃の入った小鉢がのっていた。

《缶詰、開けたから持って来た》

「ありがとう。桃は大好きよ」

考え事で頭を使うときに甘いものは有難い。
起き上がって受け取った。

出て行くに手を振って見送り、柔らかい果肉を口に含んだ。

(おいしい……)

桃は昔からの好物だった。

家の裏に大きな桃の木があって、春には花で目を、夏には実で舌を喜ばせてくれた。

お転婆だと叱られながらも、よく木登りもした。

一人で旅をするようになってから、逃げる時、隠れる時、あの桃の木で鍛えた木登りの腕がずいぶん役に立った。

(そういえば、初めて皆を見かけたときも、私、木の上にいたっけ……)

ずいぶん賑やかな人たちだと思った。

一人一人をよく見ると実にまあ個性的で驚いた。

その中の一人が額にチャクラのあるお坊さんだったから、追いかけた。

(本当に術を解いてもらえるなんて思わなかったな……)

ずっと、一人で旅をしていた。

いつまで続けなければならないのかと絶望したことも、恨みや憎しみに心が荒んだ時も、何度もあった。

その度に『心まで石にしてたまるか』と負けん気の意地で、自分を叱り飛ばしていた。

そんな日々を終わらせてくれたのは四人だ。

『もっと俺に頼ってくれてもいいんだぜ』

『お前は、自分にできることをしただけだろう?』

『もう少し肩の力を抜いてみませんか?』

『俺、がいてくれるの、嬉しいよ』

『目の前でお前に死なれて、俺たちが平気でいられると思うのか?』

『俺、そんなこと、絶対、嫌だからな! 認めね−からな!』

『あなたを失くしたくないという、僕等の意思もあるんですよ』

『……お前がそう思うのならそうだろ』

出会ってからの様々な場面が蘇る。

文字通り命がけの、ある意味、と過ごした四年にも匹敵する濃密な日々。

『いつジープを降りようとお前の勝手だ。だが』

(……あ……)

その後のことのインパクトが強すぎて、うっかりしていた。

あの時の――約束――

『足手まといになったり、三蔵が『コイツはもう連れていけない』って思うことがあったりしたら、その時は……三蔵が私を殺して』

『……いいだろう。お前を殺すのは俺だ』

そして言ってくれた。

『他の誰にも殺されるな……お前自身にもだ』

『死ぬな』と、『自分から命を捨てるようなこともするな』と、そういう意味だと思った。

(……大事なこと、見失ってた……)

『戦闘中は俺のそばから離れるな』

『一緒にいる間は俺の目の届く範囲にいろ』

三蔵はそう言ってくれた。

『わがままでも、自分勝手でも、みんなと一緒にいたいって思う……』

『たぶん、私は自分からジープを降りるなんてできないから』

自分の中にある、一番、正直な想い。

――離れたくない――

迷惑だろうが、嫌われていようが、三蔵と、皆と一緒にいたい。

どんなに危険でも、命を縮めることになっても、構わない。

どうしても無理な時は、三蔵が終わらせてくれる。

それまではこの旅を続けたい。

あの夜以来、ずっと、悩んだり迷ったりでもやもやしていた頭がすっきりした。

と四人を比べてどちらかを選んだわけじゃない。

切り捨てるわけじゃない。

(今の私の居場所はジープの後部座席の真ん中……それでいいよね……)

三蔵のことは好きだけど、それは二の次でいい。

今は、一緒にいられることが一番。

それだけで十分だと思えた。

決めてしまったことなら、早く伝えた方がいい。

看板になった頃を見計らっては店にいった。

後片付けを終え一服していたは、の姿を見ると少し顔をしかめた。

「まだ寝てなかったの? ダメじゃない」

「……眠れなくて……あ、桃、ありがとう。おいしかった」

「あなた、好きだったなぁって思ってね」

はにっこりと笑った。

「うん、大好物! ……ね、あの桃の木も燃えちゃった?」

「ううん、あの桃の木だけはなんとか無事だったわ。枝の一部は枯れたけど」

「そう……」

たった一つでも思い出のものが残っている……そう思うと嬉しかった。

「誰もいなくなっても、きっと、季節になれば花を咲かせて実をつけてるんでしょうね」

しばらく無言になった二人の遠い視線の先にあるのは、失った故郷の光景。
二度と会えない人たちの面影。

それを語り合える相手がいるのは嬉しいことだ。

でも、言わなければ……

は静かに口を開いた。

さん……」

「ん?」

「ごめんなさい……私……」

「言わなくていいわ」

そう言っての言葉を遮った。

「なんとなく思ってた。
たぶん、は旅を続けることを選ぶだろうな、って」

優しく微笑みながら言われて、の胸は少し痛んだ。

「嬉しかったのよ!?
私を忘れないでいてくれたことも、一緒に暮らそうって言ってくれたことも!
でも……」

「いいのよ。あなたが決めたことだもの。だったら応援するわ」

「……さん…………ありがとう……」

「四人ともいい子だものね」

「『いい子』って……」

は苦笑した。

あの四人にはあまりに似つかわしくない言葉だ。
四人にしたってそう言われても嬉しくはないだろう。

「あなたのことを大事に思ってくれてるのはよくわかるわ」

『それに皆、イイ男だし?』と続けて、は笑った。

も薄々察していた。

は四人の中の一人に恋をしている。

思いがけず再会した『妹』はとても綺麗になっていた。
きっと、彼らと過ごす時間はにとってプラスになっているのだろう。

女は愛する人を見つけると家を出て行くもの。
自分は今、を見送る立場なのだ。

「バカね。泣くことないじゃない」

「だって……」

「本当に泣き虫なんだから……ちっとも変わってない……」

柔らかくを抱きしめながら言うも涙声だった。

悲しい涙じゃない。

悲しい別れじゃない。

再び巡り逢えたことが幸運だったのだ。

二人の想いを包み込みながら、夜は静かに更けていった。

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