I wish you every happiness.-4
の熱が平熱まで下がったのはそれから二日後のことだった。
しかし、まだ咳は治まらないし、発熱していた時間が長かった分、体力の回復も遅いようだ。
床を上げて旅立つには、もう少し休養が必要だろう。
は家事や仕事の合間をぬっての部屋を訪ね、二人は会えなかった時間を埋めるように沢山の話をした。
思い出話やが気になった数人の村人のその後。
離れていた間の自分の話や最近の出来事。
四人は隣の部屋にいたり同席したりで、耳に入る場合もあったが、よくもまあこんなに話すことがあるものだと呆れるくらいだった。
そんな中で、今まで知らなかったの事を少し知ることができた。
一人での生活を始めたは家の裏に畑を作り、そこで採れた作物で食事を賄ったり、売ったりしていたらしい。
それ以外にも他の村人の農作業の手伝いや子守り、食堂の皿洗いといったアルバイトをして、なんとか暮らしていけるだけの収入を得ていたようだ。
護身と心身を鍛えるために通った道場の道場主である師範とその息子だった師範代には世話になったらしい。
「って昔、彼氏とかいた?
片想いの相手がいたって話は聞いたことあるけど、他にさ」
昼食の席で悟浄がに訊いた。
はまだベッドの上だし、も一人で食べるごはんはおいしくないだろうからと、の部屋で一緒に食事をしていたので、悟浄はと下ネタギリギリの軽口を飛ばしあっていて、ふと気になったのだ。
「いなかったわ」
そう即答して、はクスクス笑いだした。
見目も人当たりもいいので若い男たちのうけは良かったが、自身はそういったことにはまったく無頓着で鈍感だったそうだ。
「たぶん、自分が誰かの恋愛対象になるっていう考えがないのね。
相手が出してるラブラブ光線に全然気付かないの。
だから、はっきり言われても『冗談でしょ?』とか思っちゃうみたい」
あれは相手の男の子が可哀想だった、と笑って、は思いついたように訊いた。
「今は? この中の誰かと付き合ってたりするの?」
「いえ。そういうことは……」
三蔵との間が微妙なことには気付いているが、まだ確定したわけでもなさそうなので、八戒はやんわりと否定した。
しかし、その曖昧な感じがには気になったようだ。
思いがけない過激なことを訊いてきた。
「……まさか、あなたたち、夜伽の相手させたりなんかしてないでしょうね?」
三蔵は飲みかけていたお茶を吹き出し、むせた。
「してねーよ! ンなことー!!」
悟浄が速攻で否定し、八戒は乾いた笑いを浮かべている。
「あ、そう。
なんだ、もしそうなら誰が一番上手いのかに訊いてみようと思ったのに」
「あんたな……」
やっと咳が収まったばかりの三蔵はそれだけ言うのがやっとだった。
「いやぁね。冗談じゃない、冗談!」
「……『よとぎ』って、何?」
「……悟空はまだ知らなくてもいい言葉です……」
「なんだよぉ! 教えてくれてもいいじゃん!!」
「……いいからテメェはメシ食ってろ……」
「……そりゃ、お願いはしてみてーけどよ……」
ジャキ!
ボソッと呟いた悟浄に銃口が向く。
「だぁっ!! だから、ジョーダンだって!!!!」
「……あなたが言うと冗談に聞こえないんですよ……」
「……そんなにすごい意味なのか?」
「あなたたちって、本当におもしろいわ〜!!」
四人の様子をはキャラキャラ笑いながら見ていた。
「、起きてる?」
店を閉めた後の深夜、がの部屋を訪ねた。
「うん、起きてるよ」
「ちょっと話があるんだけど、いい?」
「なあに?」
「うん……」
は言い出すのをためらっているように見える。
そういえば、がこんな時間に来たのは初めてだ。
言いにくいことなのだろうか?
「何? 言ってよ」
が笑いながら促すと、はつられたように微笑んで口を開いた。
「ねえ、もし良かったらなんだけど……ここに残らない?」
「ここに?」
「ええ、ここで一緒に暮らすの」
思いがけない申し出に返事をできないでいるには続ける。
「男の子たちの中に女一人だったら、いろいろ気を使うことも多いでしょうし……
あなたたちのしてる旅って危ないことも多いんでしょ……?
最初運ばれてきた時、あなた、血まみれのシャツ着てた……」
それはも否定できない。
「もあなたになついてるし……あなたがいてくれたら、私も心強いわ。
どうかしら? 考えてみてくれない?」
「……うん……」
「……遅くにごめんね。じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい……」
が出て行った後、は眠れなくなってしまっていた。
正直、心は揺れている。
一人で横になっている間、ずっと考えていた。
自分はこのままジープに乗っていていいのかどうか……
戦闘能力も体力も劣るし、皆の役に立てたと思うことより、心配や迷惑をかけたと思うことの方が多い。
今も、自分が寝込んだせいで、旅に足止めをさせている。
このまま、皆に甘え続けていいのだろうか?
自分の気持ちはどうだろう?
悟空も、悟浄も、八戒も、ジープも……皆、大好きだ。
そして、三蔵には恋をしている。
皆と一緒にいたい。
可能な限りこの旅を見届けたい。
でも、自分がその旅の邪魔になってしまうのは嫌だ……
『ここに残らない?』
の声が頭の中に響く。
それも一つの選択肢だった。
今まで通ってきた誰も知る人のいない適当な町や村ではない。
は自分を妹のように可愛がってくれ、自分もまた姉のように思っていた相手だ。
かつての自分を思い起こさせるのことも気になる。
なりに自分のことを心配して言ってくれたのだということもわかるし、その気持ちは嬉しかった。
「ここに……残る……か……」
それもありなのかもしれない。
でも……
(……三蔵……)
離れたくない思いと、旅の邪魔をしたくない思いは同じように強くて……
自分の恋情が三蔵にとって煩わしいものではないという自信もなくて……
ここのところずっと三蔵にどういう態度で接していいのかわからないでいた分、の悩みは深かった。
その長い夜、遂に眠りは訪れてくれなかった。
翌朝。
今日あたりはもう大丈夫だろうと、着替えて食卓に向かっただったが、に叱られてしまった。
「そんな顔色してて起きてくる人がありますか!」
「だって、熱ももう下がってるし……
昨夜、ちょっと眠れなかっただけだってば」
「ダメダメ!! 今日まで寝てなさい。
ほら! まだそんな咳してる。さあさあ!」
と二人がかりで部屋へ追いやられる背中を見ながら悟浄が呟いた。
「寝てない原因はやっぱアレか……」
「『アレ』って?」
朝食をほおばりながら悟空が訊く。
「昨夜、さんがに『ここに残らないか』って言ってたんですよ」
「えっ……」
悟空の手が止まった。
「お前、爆睡してたかんなー……」
「……あの部屋の仕切り、薄過ぎるんですよねえ……」
「そんなことより、どうすんだよ!?」
「アイツが決めることだ」
「だってさあ!!」
「『降りたいところで降ろす』って約束でしたからね」
「がここに残りたいって思うんなら、俺たちに引き止める権利なんかねーんだよ」
「でも……!」
「悟空、いい加減にしろ」
「じゃあ、なんで、皆、そんな痛そうな顔してんだよ!?」
三人とも、悟空に言われるまで自分がどんな顔をしているかなんて気付かなかった。
『痛そうな顔』……確かにそうかもしれない。
の仮の身体が砕け散った時の光景は四人の目に焼きついている。
そしてその後の空虚な喪失感……
ひと月近く経ってもそれに慣れることはなかった……
「……まだもどうするか決めたわけじゃないみたいですし、ゆっくり考えさせてあげましょう」
「がどんな答えを出しても、俺たちはそれを受け入れるだけなんだよ」
「……この話はここまでだ。いいな」
悟空にもわかっている。
自分たちと一緒に旅をすることがどんなに危険か。
がケガをして血を流しているところなんて見たくない。
でも、あの笑顔まで見られなくなってしまうのは……
「…………うん……」
その短い返事の声は沈んでいた。
半ば無理矢理に寝かしつけられたベッドの上で、はため息をついていた。
考えることは一つだけ。
誰にも相談なんてできない。自分で決めなければならないことだ。
しかし寝不足の頭では、まとまる考えもまとまらない。
いつの間にか、ぼんやりと昔のことを思い出していた。
三つの時に亡くなり記憶にない父はのことを溺愛していたのだと聞く。
女手一つで自分たちを育ててくれた母は厳しくて優しかった。
よく叱られたが間違ったことは言わない人だった。
一緒に過ごせる時間は少なかったが、限られた時間の中で精一杯の愛情を注いでくれていたのだと、今ならわかる。
兄もまた優しい人だった。
甘えて我侭を言ってずいぶん困らせたはずなのに、思い出の中の兄はいつも笑顔だ。
二人を亡くした日から雷が嫌いになった。
右足の傷は丈の短い服を着せなくなった。
そして、一時的に声を失った。
周りの大人たちが全て自分に害をなすようで怖かった。
道場に通ったのは正解だったと思う。
他人に対する不信感でいっぱいだったは師範と師範代の誠実で善良な人柄に救われた。
声を取り戻すきっかけになったのも師範代に言われた言葉だった。
『目を瞑っていれば何も見えない。耳を塞いでいれば何も聞こえない。
同じように、心を閉じていれば心は心としての役割を果たせない。
心が伴わなければ、どんなに技や身体を鍛えても真の強さは手に入らない。
まず、心を鍛えろ。
傷つくことを恐れない心があれば、たとえ傷ついてもそれを自分の強さに変えることができる。
癒えない傷ならば、一生抱える覚悟を持て。それもまた、強さの一つの形だ』
言われて初めて、声を出せないのは自分が心を閉じているからなのだと気付いた。
傷ついているのは自分だけではないのだと、今の自分に心を痛めている人もいるのだと、気付いた。
ずっと傍にいて、一緒に手話を覚えてくれた――――
(でも、さんと皆を比べることなんてできないよ……)
流れた涙が枕に吸い込まれていった。