I wish you every happiness.-2
急性気管支炎と診断されたには、休養が一番とのことだった。
やはり数日はここに滞在しなければならないようだ。
眠っているにはが付き添い、四人は世話になるお礼に開店の準備を手伝っていた。
と、いっても三蔵は見ているだけなのだが。
「……大丈夫かなぁ?」
床を掃きながら呟いた悟空にが話しかける。
「彼女が心配?」
の熱は最終的に40度まで上がっていた。
今は首の後ろと両腋を冷やしている。
「が看てるから大丈夫よ。
彼女が倒れたことにはあの子なりに責任を感じてるみたいだし、したいようにさせてやってくれないかしら?
年の割にはしっかりしてるのよ」
「さんの育て方が良かったんですね」
八戒はと並んで料理の下ごしらえをしている。
「親子に見える? ま、無理もないわね」
「……違うの?」
テーブルの上に上げてある椅子を下ろしていた悟浄が手を止めて訊いた。
「は私のいとこの子供なのよ」
妖怪が暴走を始めて、住んでいた村にいられなくなったが伯父を頼ってこの町に来た時、既にその伯父の家族もまた、妖怪に襲われ亡くなっていた。
ただ一人、だけが瀕死の状態で入院中だったという。
その後、奇跡的に生命は取り留めたが、喉を切られていた為に声は失ってしまっていた……
「お互い他に身寄りはないし、放っとけなかったわ。
今はあの子の声を取り戻すことが私の目標なの」
設備の整った大きな病院で手術すれば、また話せるようになる可能性があるらしく、せっせとその資金を貯めているのだという。
「あの子がいるから頑張れるのよ。守りたいものがあると強くなれるものなのね」
言い切ったは『母親』の顔をしていた。
「昔……今のと似たような境遇の知り合いがいてね。その時に手話を勉強したの。
まさか、また使うことになるなんて思ってなかったけど……
だから、これも運命ってやつなのかもしれない、って思うわ」
「『似たような境遇』って? 妖怪が暴走を始めたのって、そんな昔じゃないじゃん?」
「妖怪だったのかどうかはわからないけど、強盗に家族を殺されて……その子一人だけが無事だったの。
その後もいろいろあって、精神的なことから声が出せなくなっちゃったのよ」
「『いろいろ』って?」
「きれいな子だったから、変な誘いが多かったみたい。
月々の手当にいくら出すから、とかね……」
『手当て』という言葉を使うあたり邪まな思惑があることは明白だ。
「住み込みのいい働き先があるって誘われたから話を聞いてみれば娼館だった、とか……
ただでさえ、ショック受けてるところに、そんな話ばっかりじゃ、さすがにまいるわよねぇ……
その時あの子、まだ14歳だったもの……」
確かにひどい話だ。
家族を亡くしたばかりの少女には耐え難いものがあっただろう。
「その後、武術の道場に通いだしたりしたから、怖いめにあったこともあるんじゃないのかしら……?
でも、それが良かったみたい。
親子でやってる小さな道場だったんだけど、二人ともとてもいい人だったみたいで、少しずつ元気になっていったわ。
あの子が話せるようになったのは、あの先生たちのお蔭ね」
「さんのお蔭でもあるんじゃないですか?」
「私は一緒に手話を覚えただけよ」
何気なく聞いていた話だったが……『強盗に家族を殺された』『14歳』『武術』……幾つかのキーワードが引っ掛かる…………
声が出せなくなったという話は聞いたことがないが、『昔、ちょっとね』と手話を知っていた――。
「……その人、今も元気にしてるの?」
「わからない……」
は顔を曇らせて答えた。
「……ある日突然、いなくなっちゃったの。
神隠しにでもあったみたいに……」
それは、ある意味、決定的な一言。
四人が思わず顔を見合わせた時、がやってきた。
「彼女、目を覚ましたそうよ」
挨拶しなくちゃ、と部屋に向かうに四人も付いていった。
「目が覚めた?」
そう話しかけながら部屋に入ったの表情が、笑顔から驚きに変わった。
目を閉じている時はわからなかったが、目の前の顔は、あまりにかつての自分の知り合いに似すぎている。
ベッドのの熱で潤んだ目も、大きく開かれた。
「…………さん?」
は耳を疑った。
その人物が、まだ知らないはずの自分の名前を呼んだのだ。
「 !? …………なの? ……どういうこと……?」
は自分より五つ年下なだけだったはずだ。
でも、顔立ちといい、肌の張りといい、とてもそうは思えない。
何より、十年以上も前に忽然と消えた人間が、もう二度と会うことはできないだろうと諦めていた相手が、今、目の前にいるということが信じられなかった。
二人の様子を見ていた四人は、さっき思い浮かんだことが当りだと確信した。
ちゃんと説明しようとすれば長くなる話だ。
今のには体力的に無理だろう。
「、知っている範囲で、僕たちからさんにお話ししてもいいですか?」
「うん……お願い……」
は状況が呑み込めないでいた。
大人たちの様子に何かを感じているらしいも戸惑ってはいたが、それでも、《そろそろ開店の時間》とに示した。
「ああ、そうね……話は店を閉めた後でいいかしら?
……私もまだちょっと混乱してるし」
「ええ」
「? 体調が良くなったら話しましょう……
食事を運ばせるから、食べたらゆっくり寝てて。今は身体を治すことが先よ。いいわね?」
昔と変わらない姉のような口調が懐かしくて、はうなずくことしかできなかった。
その日、はいつもより少し早く店じまいをした。
洗い物や後片付けを三蔵以外の三人が手伝ってくれたので、思っていたより早く落ち着くことができた。
「残り物で悪いけど……」
はそう言って閉店後のテーブルに夜食と少しのアルコールを並べ、話を聞く態勢を整えた。
「僕たちが初めてと会った時、彼女は一人で旅をしていました……」
出会いからの順を追って語る八戒の話を、はじっと聞いていた。
「……術が解けた後も、の希望もあって、一緒に旅を続けています」
最後まで黙って話を聞いたは小さく溜息をついて、メンソールのタバコに火をつけた。
にわかには信じがたい話だった。
しかし、この青年たちが嘘をついているようには見えないし、の若さの謎も解ける。
に術をかけた妖怪のことも『そんな人、いたなあ』程度には覚えている。
「……ちょっと待ってね。今、頭、整理してるから……」
「ま、すぐには信じらんねーよな。
俺らもが像に変わるのをこの目で見るまでは半信半疑だったし?」
「でも本当なんだ。信じてくれよ」
「……えぇ……」
は小さく何度もうなずいて、
「……信じるわ。
私からもお礼を言いたい……を助けてくれてありがとう……」
そう深く頭を下げた。
「……さんは彼女とはどういうお知り合いなんですか?」
「私は、あの子の姉になり損ねたの」
「「「「 ? 」」」」
「あの子のお兄さんが亡くなる前に付き合ってたのよ」
思いがけない再会に回顧的な気分になっているのか、は話し続けた。
実はかなりのブラコンだったは、最初、のことを快く思っていなかったらしい。
しかし、大切な人を失った者同士、思い出を語り合い、慰めあっているうちに、次第に打ち解けてくれた。
「あの子、泣き虫で、甘えん坊で……
それが一人っきりになっちゃったものだから、放っとけなくてね……」
「……確かによく泣くな……」
タバコの煙を吐きながら三蔵が同意した。
「でしょ?
……泣いたり、笑ったり、喜怒哀楽のわかりやすい子だったのに、声は出せなくなるし、無理もないんだろうけど表情まで乏しくなってね。
『一人でも大丈夫だ』って言い張って、他人の手を借りようとはしなくなったし……
見てて痛々しかった……」
家族を亡くしたショックと、人間不信、一人で生きていかねばならないという重圧が重なり、声を失った。
そのことが更にを頑なにさせていたのだろう……と、は辛そうな顔をした。
「話せるようになって、前みたいな笑顔ができるようになるまで、一年はかかったかしら?
それでも早かったんだと思うわ」
その間ずっと見守って、に心を砕くことで自身、恋人を亡くした悲しみから立ち直ることが出来たのだと、どっちが助けられたのかわからないと、自嘲した。
「その頃には、私、あの子のこと、本当の妹みたいに思えてた。私、一人っ子で兄弟とか姉妹に憧れてたしね。
あの子と仲良くなれたのは嬉しかったし、一緒にいて楽しかったわ。
いなくなった後、心配してずいぶん探したけど、まさかそんな事になってるなんて思いもしなかった……」
「フツー、思い浮かぶような事じゃねえだろ?
サンの努力が足りなかったとか、そんなんじゃねーよ」
「ありがとう……あなた、優しいのね」
「俺は美人には優しいの」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわね」
そんなやりとりから悟浄とは軽口をとばしあい始めた。
それでやっと、それまで話の内容が内容なのでおとなしくしていた悟空も本格的に夜食を食べ始める。
八戒は隣で同じように冷酒のぐいのみを傾けている三蔵に訊いた。
「って、そんなに泣きます?」
「あん?」
「いえね、『甘えん坊だった』って話は以前、本人から聞いたことはありましたけど、僕がの泣いているところを見たのって、術が解けたときくらいでしたから……
ちょっと意外だったかなあって……」
『僕たちの知らないところで、泣かせるようなことしてるんですか?』と、ストレートには訊かないが、表情がそう言っている。
「……アイツが勝手に泣くだけだ」
三蔵はそれだけ言うと、杯を重ね、八戒もそれ以上の追求はしなかった。
思い返せば、確か、四人の中でと二人部屋で同室になった回数が一番多いのは三蔵だ。
それだけ自分たちよりも長い時間をと過ごしていることになる。
そしても、三蔵の前では感情の起伏が激しくなってしまうのかもしれない……
(年頃の娘に好きな相手が出来た父親っていうのは、こういう気分なんでしょうかねえ?)
居酒屋で冷や酒を飲んでいる状況というのもそれにハマっていて、思わず溜息がもれた。
夜食として出されていた料理がすべて悟空の胃袋に納められたところで、今夜はお開きということになった。