I wish you every happiness. 邂逅
ゴホ! ゴホゴホゴホ……ゴホッ
森の中を行くジープの後部座席で、は激しく咳き込んでいた。
「風邪、酷くなってきてますね……大丈夫ですか?」
悟空の巻き添えでが川に落ちたのは一昨日のこと。
昨日から、している咳の回数がどんどん増えてきている。
「うん……喉が痛いだけ」
「声、すげぇことになってんぞ?」
「……声変わりの男の子みたいよね」
悟浄の言葉には笑いながらそう返したが、変声期の少年が一晩中叫び続けた声の方がまだマシだろう。
そのうち血でも吐くのではないかと心配になってくるような有様だ。
「ごめんな……俺のせいで……」
「ううん。あれは事故だし……私に抵抗力がなかったのが悪いんだから……」
「あまり喋るな」
「うん……ゴホッ」
短く答えて、は口をつぐんだ。
少し熱っぽい気もするけど、これくらいならまだ平気だ。
昨日から悟空はおとなしいし、八戒はに何も手伝わせない。
三蔵と悟浄はタバコの本数を控えてくれている。
は嬉しいのと同時に申し訳なかった。
「町に着いたら、医者を探しましょう」
「でも、なかなか着かないじゃん?」
「さっきの分かれ道で間違えたんじゃねーか?」
「地図が古かったのか、分かれ道なんて載ってなかったんですよ……
地形を見てこちらを選んだんですけどねえ」
「あ、あそこに人がいる! 訊いてみようぜ?」
悟空が前方に人影を見つけた。
木の根元に座り込んでいるその人物は、近付いてみると少女のようだった。
八戒がその前でジープを停める。
「すみません。ちょっとお尋ねしますが――」
「なあ、この辺の人? 町へ行くのって、この道であってる?」
顔を上げた少女は戸惑うような表情を見せた。
「ついでに、宿の大体の場所を教えてもらえたら助かるんだけど」
「あ、あとメシのうまい店も!」
口々の質問にも少女は何も答えず、困ったような顔をしている。
((((( ? )))))
「あの……」
「ちょっと待って」
八戒の言葉をが遮った。
「間違ってたらごめんなさい……もしかして、あなた、話せない?」
手振りをしながら少女に話しかけるを見て悟空が八戒に訊ねた。
「、何やってんの?」
「手話……ですね。耳や言葉が不自由な人と話をするための方法です」
「へぇー」
少女は少し安心したような顔をしてうなずき、手振りを返した。
「この子、耳は聞こえるけど、声が出せないみたい。
道はあってるって。ただ、宿屋は無いみたい」
途中で何度か咳き込みながらもが通訳した。
「宿が無い?」
「昔はあったんだけど、今は無いって」
「えー、じゃあどうすんだよ?」
「どこか泊めてもらえるような場所があればいいんですけど……」
「宿もない町にウィークリーマンションなんてあるはずねーしなー」
自分たちはともかく、風邪を引いているをこれ以上野宿させたくはないし、できれば治るまでゆっくりさせてやりたい。
そんな四人の困惑をよそには少女に話しかけていた。
「ねえ、どうしてこんなところに座ってるの?」
まだ12、3歳くらいの女の子が一人でこんなところにいるのがには不思議に思えたのだった。
問いかけに返した少女の手振りを見て、が八戒に言う。
「山菜を採りに来て、転んで足を捻っちゃったって。
治してあげてもらえない?」
「ええ、お安いご用です」
八戒はジープを降りて、少女の足首に気を送る。
その間、悟空と悟浄がに話しかけた。
「、スゲェな」
「なんで手話なんかできんの?」
「昔、ちょっとね。でも簡単な言葉しかできない……ゴホッ」
「あー、悪かった。もう喋んな」
は咳き込みながらうなずいた。
「どうです? まだ痛いですか?」
八戒に訊かれた少女は驚いた表情を浮かべ、首を横に振った。
そして、会釈をしながら左手の甲に垂直に置いた右手を上にあげる。
「『ありがとう』って」
「道を教えてもらえたお礼ですよ」
そう少女ににこやかな笑顔を向けた八戒が、次の瞬間、表情を一変させ後方を振り返った。
――大量の妖気――
三蔵と悟空、悟浄の顔も険しくなる。
無関係の少女を巻き込むのは避けたいが、妖気はかなりのスピードで近付いてきている。
移動する時間は無さそうだ。
「。子供を連れてその辺に隠れていろ」
「うん、わかった!」
妖気を感じることはできないも、四人の態度を見れば何が起きようとしているかくらいわかる。
「さ、こっち、いらっしゃい!!」
はわけがわからないでいる少女の手を取り、一緒に茂みの中に身を隠した。
四人はそれぞれの武器を手に身構える。
「見つけたぞ! 三蔵一行!!」
「経文を渡せぇ!!」
そして、戦闘が始まる。
は少女の頭を胸に抱え込み小声で言った。
「いいって言うまで、目、瞑ってて。見ない方がいいわ……」
悲しいことに自分はいつの間にか慣れてしまったが、こんな血なまぐさい場面、子供に見せるわけにはいかない。
その時、ガサガサと音をたてながらたちのいる茂みに妖怪が倒れこんできた。
正確には妖怪の――死体――
少女は思わず目を開けて、その血まみれの断末魔の表情を見てしまった。
( ! )
驚いた少女が立ち上がり、その姿が妖怪の目に入る。
「立っちゃダメ!」
も立ち上がり、少女に覆い被さる。
その背中を妖怪の爪が抉った。
二人はそのまま倒れこむ。
「「 ! 」」
「大丈夫! かすっただけ!!」
三蔵と八戒が駆け寄り、その前後に分かれて、二人を庇いながら攻撃を続ける。
「そのままじっとしていろ!」
言われなくても動けない。
は腕の中で震えている少女に声をかけた。
「大丈夫……怖がらなくていいよ。皆、すごく強いんだから。
任せておけば、大丈夫……」
背中が熱い。でも、この子を守れたことが嬉しかった。
やがて、すべての妖気が消えた。
のケガを治そうとした八戒が眉をひそめる。
急所からはずれてはいるが、とても『かすっただけ』のものではない。
その表情に気付いたは、騒がないでくれと目で合図した。
少女の動揺を危惧したのだ。
気功で傷は治ったが、深手だった分、の体力の消耗は激しかった。
「心配しなくても大丈夫よ……ケガは今、治してもらったから……」
は少女に微笑みかけ立ち上がったが……
倒れた。
「!」
抱き起こした三蔵の眉間に皺が寄った……酷く熱い。
額に手を当てる。焼けるようだった。
体力が落ちたことで風邪の症状が一気に進んでしまったのだろう。
「……寒い……」
高熱を出しているの体は震えている。
「いけませんね。熱を出してる人が寒がるのは、もっと熱が上がるってことなんです」
「ほら、毛布! 何もないより少しはマシだろ?」
「とにかく町へ急ぐぞ」
「でも、宿が無いって――」
言いかけた悟空の手を少女が引っ張った。
「なに?」
振り向いた悟空の手を取った少女が掌に指で文字を書く。
「わ・た・し・の・う・ち・に・き・て……?」
一文字ずつ読みとった悟空に少女がうなずいた。
「この際、お言葉に甘えましょう」
「おぅ、紙とペンがあった。これで案内してくれるか?」
「町に医者はいるな?」
ジープの後部座席、毛布に包まったを悟浄が横抱きに膝の上に抱え、少女はその隣に座った。
紙に書かれた内容を悟空が読み上げナビゲートした。
ジープをとばして着いたその家は飲食店のようだった。
少女が中に飛び込み、少し経って母親らしい人間を連れて出てきた。
「話は聞いたわ。早く中に。はお医者さん呼んできて!」
30代後半といった感じの、年相応に落ち着いてはいるが勝気そうなその美人の案内で通された部屋のベッドにを寝かせた。
「まだ震えてるから冷やさない方がいいわね」
そう言うと、もう一枚、布団を持って来る。
彼女にしてみれば厄介な闖入者だろうに、嫌な顔一つ見せず病人を気遣ってくれている。
世話好きな人物らしい。
背中が大きく裂け血で汚れたシャツも、いつの間にか彼女のものらしいパジャマに着替えさせられていた。
「突然、すみません」
「いいのよ。気にしないでちょうだい。
あの子を助けてくれたっていうし、病人なんだもの、放っておけないわ」
彼女は笑顔でそう答えて続けた。
「あなたたち旅の人なんでしょう?
この町には宿はないし、全員ここに泊まったらいいわ。
もちろん彼女が元気になるまでね」
「そりゃ、願ったりだけど、本当にいいの?」
「ええ。うちはあの子と二人だけで、部屋は余ってるのよ。
居酒屋なんかやってるから、この部屋は酔い潰れた客を泊めるのに使ってるの。
旅行者を泊めるのも初めてじゃないわ」
「……すまんが、世話になる……」
今の状況では彼女の言葉に甘えるしかない。有難い申し出だった。
「ええ。ただ宿屋みたいなサービスはできないから、その辺は了解しててね。
ベッドは彼女が使ってるから、あなたたちには布団を用意するわ。今、部屋を区切るから」
元々は居酒屋の宴会用座敷だったというその長方形の部屋は、収納の中からパネル状のものを出すと二部屋に分けられるようになっていた。
きっちり二等分ではなく、のいる部屋の方が少し狭い。
新しく作られた部屋は四人が寝られるだけの広さはありそうだ。
男四人で雑魚寝というのは嬉しくないが、泊まるところが見つかっただけ幸いだった。
「おばちゃん、いろいろサンキュな」
悟空としては礼を言ったつもりなのだろうが、この場合『おばちゃん』はまずいだろう。
実際、そう呼ばれた当人は少し顔をしかめた。
「『おばちゃん』? 坊やから見ればそうかもしれないけど、嬉しくない呼ばれ方ね」
「わぁっ、えっと、ごめん……ナサイ……」
慌てて謝った悟空にその人は笑って言った。
「『お姉さん』ってまでは言わないけど、せめて『さん』って呼んでちょうだい。私の名前よ。
それから、今、医者を呼びに行ってる子の名前は」
がそう言ったところで、噂をすれば影とばかりにが医者を連れて帰って来た。
意識のないの熱はかなり高そうだ。
浅く早い息はその度にヒュウヒュウ音をさせているし、濁った音の咳が胸部に炎症があることを知らせている。
医者に診せるためのパジャマのボタンをはずすが手を止め、訊いた。
「心配なのはわかるけど、あなたたちがそこで見てるのは彼女的にはOKなの?」
「……あ……」
「出ましょう」
「だな……」
「…………」
ぞろぞろと部屋を出て行く四人がなんとなくおかしくて、とはクスリと笑った。