Suclptured amethyst-7
「いい男、気取ってナンパすんだったら、もうちょっと男磨いてからにしなさいよね!」
は見事にのされてうめいている三人に向かって吐き捨て、親指を立てた拳をぐりんと下に回した。
「あ〜あ。汚れちゃったじゃない。またシャワー浴びなきゃ……」
言いながら宿に戻ろうと足を踏み出した時、目の端に人影が映った。
視線を向けたそこに見知った顔がある。
そこには三蔵が呆気にとられたような顔をして立っていた。
(……見られた?)
は一瞬固まった。
一縷の望みを託して聞いてみる。
「ひょっとして……見てました?」
「ああ」
「……いつから?」
「最初から」
なんてところを見られてしまったのだろう!!
(よりにもよって三蔵さんに!)
は思わず頭を抱えた。
「済んだのならさっさと帰るぞ。来い」
「は、はい」
言われて、混乱した頭のまま、後に続いた。
「……お前、二重人格か?」
「はぁ?」
質問の意図が理解できず、間抜けな返事をしてしまう。
が、すぐに三蔵の言わんとすることに気づいた。
「あ! いいえ!! 違います!
……礼儀をはらうべき相手と、その必要のない相手を区別してるだけです……」
怒りにまかせて下品な言動をしてしまった場面を見られて、もう開き直るしかないだった。
「やっぱり、お寺を訪ねていく時は、それなりにきちんとしていないと、話を聞いてもらえないんですよ。
でも、女一人で旅をしてるといろいろ面倒なことも多くて……
いつの間にかオンとオフのスイッチが出来ちゃったというか……」
「なに言い訳してる?」
「でも、驚いたでしょう?」
「誰が驚くか。バカ」
そんな話をしているうちに宿に着いた。
気恥ずかしさと自己嫌悪の波に翻弄され、はこの数日間つきまとっていた不安を忘れていた。
『誰が驚くか』
そう言った三蔵だったが、実のところ、少し驚いていた。
タバコを買いに行った帰り、公園の入り口近くのベンチにいるを見つけた。
(こんな時間に何してやがんだ)
声をかけようとしたが、膝の上の猫を見て一瞬ためらってしまった。
そうしたら聞こえたのだ。
『ずっと一緒にいたい、なんて、絶対に言っちゃいけないよね……』
確かに術が解ければ旅に同行させる必要はなくなる。
適当な場所で降ろしてやればいい。
その後はどこで何をしようとの自由だ。
そう思っていた。
『私、どこに行けばいいんだろうね? ……帰れる場所なんてないよ……』
かつて師が言った言葉がよみがえる。
『本当の自由は 還るべき場所のあることかもしれませんね…』
にはそれがない……?
『しっかりしなくちゃ……』と自己暗示でもかけるかのように繰り返していたが、うまくはいかなかったらしい。
とてもしっかりしたふうには見えなかった。
声をかけそびれているうちに、今度は男たちにからまれだした。
の実力なら大丈夫だろうとは思っていたが、念のため後を追った。
実際、あっさり片付けてしまったのだが、その最中に『待つわけないでしょ!? バカ!!』
そして、アクションをつけながらのあの捨て台詞だ。
さらに『あ〜あ。汚れちゃったじゃない』ときた。
(あいつ、あんなキャラだったか?)
意外な一面を見たと思った。
昨夜の八戒との会話は三蔵にも聞こえており、三蔵もまたの聡明さを感じていた。
儚げかと思えば芯は強く、賢いかと思えばどこか抜けている。
30年以上の時を過ごしてきただけあって分別もしっかりしているが、時折、子供のような無邪気さを見せる。
自分たちには常に丁寧な言葉で接しているが基本言語はもっとくだけたものらしい。
泣き言をいう気弱さもあれば、男相手にあんなセリフが吐ける気の強さを持っていたりもする。
相反する面をいくつも持っているようだ。
(不思議な奴だ)
と思った。
そして『ひょっとして……見てました?』ときいてきた時のなんともバツの悪そうな顔は、思い出す度に笑えるのだった。
「あ、この木、実がなってる! なぁ、、これって食える?」
「あぁ、それはまだ食べられませんね。もっと大きくなって熟してからでないと……
これくらいの時はめちゃくちゃ苦いですよ」
今夜は、森の中での野宿になった。
地図によると近くに泉があるとのことで、と悟空が水汲みに行った帰り。
は一人でも大丈夫だと言ったが、珠が力を吸収して生身の身体になっていたため、用心のために悟空と二人だった。
「……食ったことあるのか?」
「えぇ。一人で旅をしてる間は、木の実とか野草とか、いろいろ食べましたよ」
「へえー」
「生き物を捕まえて食べたことはありませんけどね」
悟空と二人で話すときは大抵、食べ物の話になる。
他愛のない会話。それがなんだかホッとした。
「ってさ、いつも一生懸命だよな」
「え?」
いきなりの言葉に、なんて返事をすればいいのかわからなかった。
悟空にまでそんなことを言われるなんて、思ってもみなかった。
「なんか『手伝ってやんなきゃ!』って、気持ちになるんだ」
「悟空さん、優しいんですね」
「へへっ。そうか? これからも手伝ってやっからな!」
「ありがとう……でも、あんまり優しくしないでください。
後が辛くなるから……」
話しやすさから、つい、口を滑らせてしまった。
(しまった……)
と唇を噛む。
「なんで……?」
本当にわからないといった口調の問いかけ。
嘘やごまかしはきかないと思った。
「だって、ずっと一緒にいられるわけじゃないでしょう?」
「あ……」
は笑顔だけれど、それがとても寂しそうに見えて、悟空は何も言えなくなってしまった。
(忘れてた……)
が旅に加わったのは、かけられた術を三蔵に解いてもらうためで……
術が解けたら、こんな危ないことに付き合わせるわけにはいかなくて……
悟空にとって、がいるのは純粋に嬉しいことだった。
作ってくれる料理はうまいし、バカ猿呼ばわりはしないし、物知りで説明もうまいし。
ただそこにいるだけで、空気が柔らかくなるような気がした。
(でも、そのうち、いなくなるんだよな……?)
悟空は感じている寂しさを振り払うように明るく言った。
「俺、がいてくれるの、嬉しいよ」
言葉にできる悟空の素直さが、にはうらやましかった。
「私も、皆と会えて嬉しかったですよ」
過去形でしか言えないことが、悲しかった。
深夜。
は眠れないでいた。
ここのところすこぶる寝つきが悪い。
眠れない夜は、考えたくないことが嫌でも頭に浮かんでしまう。
このままでは泣いてしまいそうだ。
でも、それを四人には知られたくない。
音を立てないように、気づかれないように、慎重にジープを降りる。
足は自然とあの泉に向かっていた。
よく澄んだ冷たい水だったから、少々泣いても顔を洗えば気づかれることはないだろう。
歩くうちに涙が止まらなくなっていた。
歯を食いしばって声を殺す。
泉に着いたらもう声を抑えることはできなかった。
泣くのは久しぶりだった。
仮の身体では涙を流すこともできないのだ。
泣きたくても涙が出ないようになったのはどれくらい前だったろう。
涙の止め方すら忘れてしまっていた。
どのくらいの時間だったのかはわからないが、しばらく泣いたら少し落ち着いた。
(早く戻らなくちゃ)
繰り返し顔を洗い、来た道を戻る。
途中で、思いがけず悟浄に会った。
「こんなところにいたのか。姿が見えないから驚いたぞ」
「……ごめんなさい」
気づかれないように気をつけたつもりだったのに……
「あ! ひょっとして皆で探してたりとか?」
だったらえらい迷惑をかけてしまったことになる。
「いんや、俺だけ。心配すんな」
その悟浄の返事には少し、ホッとした。
でも悟浄には心配をかけてしまったのだ……
「水音がしたけど、夜中に水浴び?
そういう時はこの悟浄さんも誘ってくれなくちゃ!」
自己反省中のに、いつものくだけた調子のセリフで、暗に『気にするな』と言ってくれる。
その優しさが嬉しかった。
「そういうこと言う人は絶対に誘いません」
「この俺の肉体美を見たら惚れるよー!」
「ふふふっ」
「いや、そこは笑うとこじゃないって」
そう言いながらも悟浄はが笑顔を見せたことにホッとしていた。
がジープを降りたことにはすぐ気づいた。
(こんな夜中にどこ行くんだよ?)
そっと後を追った。
うつむいて歩く背中が小刻みに震えている。
顔は見えないが泣いているのはわかった。
泉のほとりに座り込んで膝を抱えている小さな背中。
漏れ聞こえる嗚咽。
駆け寄って抱きしめてやりたかった。
でも、は泣いていることを知られたくないのだ。
だからこんなところまで来たのだろう。
何がそんなに悲しいのかはわからない。
わからない以上、その原因を取り除いてやることはできないし、今のはそれを望んでいない。
せめて、笑わせてやりたかった。
「夜の森の中、怖いとか思わないの?」
「最初は怖かったけど、夜しか動けないし……そのうち慣れました」
「そーか。でも、寺に泊まったりできる時もあったんだろ?」
「えぇ。沢山のお寺に行きましたよ。
お坊さんっていってもいろんな人がいますね」
「三蔵みたいなのもいるしな」
「三蔵さんはいいかたです。
こんなに長い間、協力してくださった方は初めてですよ」
「あれがねぇ」
「ひどい時は、昼の間に骨董屋に売られちゃったりとか、夜這いかけられそうになって慌てて逃げたりとかありましたから」
「はぁ? マジで? 坊さんがか?」
「本当なんですよ。さすがにしばらく人間不信になりましたね。
もちろん親身になってくださった方もいましたけど『お坊さんが女を囲ってる』なんて噂になって、却ってご迷惑をおかけするはめになったり……」
「難しいもんだな」
「えぇ。でも、もうすぐ元に戻れそうだし……感謝してます」
しかし、そう言うの顔はあまり嬉しそうに見えなかった。
(涙の原因はこのあたりにありそうだな……)
「だったらさ、その気持ちをここいらにチュ〜っと!」
頬を指差しながらおどけてみる。
「もう! 悟浄さんって本当に……はははっ!」
笑うを見ながら思う。
(そうそう。そうやって笑ってな)
泣いた目がまだ赤いことには気づいていなかった。