Suclptured amethyst-5

雨と雷は深夜になっても続いていた。

ベッドの中で震えながら過ごし、ようやく眠れただったが、夢を見た。

深夜、雷の音がうるさくて目が覚めた14歳の自分。
何か物音がした気がして部屋を出た。

廊下で、同じように物音が気になったという兄と会い、一緒に母親の様子を見に行った。

そして、二人は見た。

稲妻の光に浮かぶ血だらけのベッド。
床に倒れピクリとも動かない母。
ゆっくりと振り向く侵入者のシルエット。
その手に握られた血に濡れたナイフ。

、逃げろ!!」

二人に襲い掛かる侵入者。
の悲鳴と兄の叫びが交錯する。

「お兄ちゃん!!」

、逃げろ! 早く!」

「いやーーっ!!」

「いいから逃げろ! 早く! 人を呼んで来い!」

『人を呼べ』というのは、を逃がす為の口実だったのかもしれない。
だが、その言葉での硬直状態は解け、裸足のまま窓から飛び出した。

――助けを呼ばなくちゃ!!――

その一心で必死で走った。
土砂降りの雨にずぶ濡れになり、ぬかるんだ道で転んだ。
かまわず走り、隣家のドアを叩いた。
――助けて!!!――

知らせを聞いた近所の住人と家に戻った時、侵入者は幾ばくかの金品とともに姿を消していた。

そして、母と兄は、既に物言わぬ身となっていた。

「……! !!」

呼ばれたがビクッと目を覚ます。

「大丈夫ですか? ひどくうなされていましたよ?」

「八戒さん……ごめんなさい。起こしちゃって……」

身体を起こしたの顔面は蒼白で、息は上がり、びっしょりと汗に濡れている。

「ホットミルクでも作ってきますね」

「あ、いえ……大丈夫です……」

「でも、『大丈夫』という顔色じゃありません。
夕食もあまり食べてなかったし、飲んだ方がいいですよ。
きっとゆっくり眠れます」

そう言って八戒は部屋を出て行った。

雷雨はまだ続いている。
は自分を抱きしめるようにして身体を縮こまらせた。
バクバクと激しい鼓動は治まらず、身体の震えも止まらない。

18で今の状態になり15年。
30年以上の時間を過ごしてきたのに、こんな時の自分はまだ、自分の無力さを呪いながら震えて泣いている14の子供のままだ。

ふと視線を起こすと、ベッドの上に起き上がり片膝を立てている三蔵と目が合った。

「起こしてしまいましたね。すみません」

「……いや……」

「雷の日はいつもこうなんです」

「……そうか」

「……何も訊かないんですね」

「話したければ話せばいい」

「……聞いていただけますか?」

「……目が覚めたついでだ」

三蔵と短い言葉を交わしている間には落ち着きを取り戻していた。
普段ならあまり話したくないことだけど、今なら話せるかもしれない。

そして、何故か、この人には聞いて欲しいと思った。

は静かに話し始めた。

「見たくない夢を見るんです……母と兄が殺された時の夢」

「殺された?」

三蔵の言葉に無言でうなずき、はその先を続けた。

「雷の夜に、家に強盗が入ったんです……
兄は……私を逃がすために、血まみれになりながら相手に立ち向かっていって……
私に『早く逃げろ』って……
……私、逃げることしかできなかった……
助けを呼びに行ったけど……間に合わなかった……
母も兄も……守れなかった」

途切れがちではあるが、その口調はあくまで淡々としており、自嘲的な笑みさえ浮かべている。
それが余計にの持つ後悔や自責の念の深さを物語っているようだった。

三蔵もかつて口にした『守れなかった』という言葉。

の痛みは三蔵の痛みでもあった。

「……強くなりたかった。
あの時、私に相手を倒せるだけの力があったら……」

言ったが指の色が変わるほどに手を握り締め、唇を噛む。

「頭ではわかってるんです。
こんなこと考えてもどうしようもない……なくしたものは戻らない。
……強くなりたい。心も身体も…………せめて、自分を守れるくらいには……
これから一人で生きていくためにも……」

「わかってんなら、泣き言は言うな」

「そうですね……」

「それにお前は、自分にできることをしただけだろう?」

「え?」

が俯けていた顔をあげた。

「敵を倒すことができない奴が、生き残るためにできるのは逃げることだけだ。
その時のお前にできることは、逃げて助けを呼ぶことだった。
お前はそれをした。違うか?」

は驚いたような、呆然としたような表情で三蔵を見た。

「……そんなふうに考えた事なんてありませんでした」

「頭は使わんと、どんどんバカになるぞ。あの猿や河童みたいにな」

「ふふっ」

が口を押さえて笑う。
先ほどまでの無理をして作った笑顔ではない。

「……話して良かった……ありがとうございます」

「礼を言われるほどのことじゃない」

「いつも感謝してるんですよ。
あんなお願いをきいていただけましたし……」

「乗りかかった船だ。ちゃんと元に戻してやる」

「よろしくお願いします」

言いながらが深く頭をさげる。

「途中で放り出したりはせん。心配するな」

「はい」

三蔵に向けられたの笑顔は、透き通るように美しかった。

……コンコン

話が終るのを待っていたように控えめなノックの音がして、八戒が戻ってきた。

「遅くなってすみません。
ついでに自分たちのも用意してきたんですよ」

八戒が手にしたトレイにはホットミルクとブランデー入りのコーヒー。

「さっきより、だいぶ落ち着いてますね。さ、飲んで寝ましょう」

「はい……ありがとう」

口にしたミルクは温かく、少し甘かった。

三蔵の言葉と八戒の優しさが心に沁みて、は目を閉じるとすぐに眠りの中に吸い込まれていった。

安心したような穏やかな寝顔だった。

その寝顔を見ながら八戒が呟いた。

「彼女もいろいろと辛い想いを抱えてるんですね」

「あん?」

「すみません。途中からですが、ドアの外で聞いちゃいました」

「……知ってた」

「でも、今はずいぶんスッキリした顔をしてます。
きっと三蔵の言葉で何かが吹っ切れたんでしょう」

「俺は事実を言ったまでだ」

本当の事をズバリと言ってのける。
簡単なようで実は難しいそれを、三蔵はやってしまえる。

が求めている『強さ』とはこういう種類のものなのかもしれない。
八戒はそう思った。

「おー、雨、上がった! 晴れてる!
明け方近くまで雷、鳴ってたのにな」

「なんでわかる? お前、ぐーすか寝てたじゃんよ?」

「ん? 一度ションベンに起きた。
なぁ……、昨夜ちゃんと眠れたかなぁ?」

「さあな」

短く答えて、悟浄はのことを考えた。

生身のときでさえ、妖怪を気絶させられるだけ戦えるのに、殺すことだけはできない。
あんな境遇でありながら、自分たちの前では笑顔を絶やさない気丈さを持つくせに、雷を怖がる。

悟浄の目には今のはひどくアンバランスに見えた。

守ってやりたいと思う。

しかし、彼女はそれを喜ばないような気がするのは何故だろう?
自分たち四人に対して信頼はしているようなのに、どこか一歩距離を置いているように見えるのは……?

「わかんねぇな」

思ったことがそのまま悟浄の口から漏れた。

「ん? なんか言ったか?」

「いんや、なんも」

「でもさあ、アイツ、よく頑張ってるよなぁ」

そう、は頑張っている。
悟空にもわかるほどに。

「……彼女なりに必死なんだろうよ。
俺たちの足手まといにならねぇように、ってな」

何気なく言った自分自身の言葉の中に、さっきの問いの答えがあった。

足手まといにならないように、迷惑をかけないように……

おそらく他人に甘えたり頼ったりすることを、自分に禁じているのだろう。
差し伸べようとする手を途中で止めてしまわせるような雰囲気がある。
もっと強くなりたいと言っていた
それが痛々しく思えた。

「そうなんだ……でも、俺、のこと、足手まといなんて思ってないぜ。
一緒に旅できて嬉しいんだ。
いろんなことよく知っててわかりやすく教えてくれるし、いつもニコニコしてるしさ。
まるで八戒が二人になったみたいだ」

「八戒が二人ねぇ。猿にしちゃうまいこと言うじゃねーか」

確かに似たタイプかもなと思う。
いろいろ考えすぎて一人で抱え込んでしまうあたり、特に。

「猿って言うな!!」

恒例のケンカが始まりそうになった時、ノックの音がした。

「二人とも起きてますか? そろそろ出発しますよ」

「へーい」

「なあ、その前に朝メシは? 朝メシ!」

昨夜の雷雨は、それぞれの胸にそれぞれの印象を残し、明るい朝日に変わった。

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