Potential episode-3-7
西へのルートは長雨による土砂災害の為に遮断されていた。
復旧作業や迂回路の開通準備も進められているようだが、一朝一夕とはいかないようだった。
どのみち先へは進めないという状況が、寝込んだの心理的負担を軽減する形となり、結果、順調に体力を回復させていた。
部屋の中を歩けるようになり、宿の食堂まで食事に行けるようになり、今日は買出しにもついて行った。
ごく短い外出だったし、には荷物は持たせなかったらしいが、疲れた様子もなかったし、『皆、過保護なんだもん。もう大丈夫なのに』と、少し不満そうにこぼしていた。
この調子なら、道ができ次第出発できるだろう。
ただ、片付けておかなければならないことが、あと一つ……
食事も入浴も済ませた後で、三蔵は切れたタバコを口実に宿を出て一人の時間を過ごしていた。
に話さなければならないことがある。
しかし、の顔を見ていると、別に話さなくてもいいではないかという気になってしまうのだ。
だが、知らせなければならない。
本人のことだからだ。
躊躇うのは、自分の甘さだ。そんなことではを守れない。
――この町を発つ前にケリをつける――
そう決めて宿に戻った。
部屋に戻った三蔵だったが、の姿は見えなかった。
風呂かと思ってユニットバスのドアをノックしたが返事はなく、ドアを開けてみても、ついさっきまで使っていたような水滴やシャンプー等の香りは残っているものの中にもいなかった。
(こんな時間にどこ行きやがった?)
そして、もう一度部屋の中を見渡してそれに気付いた。
ベッドの上ののシャツ。
それは、無造作に投げ出された……
というよりも、くしゃっとつぶれたような……
見た瞬間、脳裏に甦ったのは数日前の光景と衝撃。
思わず手を伸ばした動作もあの時のリフレイン。
カツン
持ち上げたシャツから小さな音を立てて落ちたのは――
(…………ボタン……?)
床で軽く跳ね返ったボタンが、その場でカタカタと音を立てて回っていた。
一瞬、気が抜けた時、部屋のドアが開いた。
「あ、帰ってたの? お帰りなさい」
いつもと変わらない声と笑顔のが入ってくる。
「……どこに行ってた?」
「ん? 八戒に、これ借りに」
の手には裁縫道具。
入浴すべく服を脱いでいる時にシャツのボタンが取れてしまったので、風呂を済ませた後で借りてきたのだと説明した。
「そうか……」
三蔵は脱力感を覚えて、シャツを握ったまま、ベッドに腰をおろした。
「どうかしたの? 何か変よ?」
「……いや――」
三蔵は否定しようとした言葉を呑み込んだ。
たとえ今は誤魔化せても、こんなことをしていれば、少なくとも何か隠し事があることくらいは勘付いてしまうだろう。
恐らく今が、ケリをつける時なのだ。
「……お前に、まだ、話していなかったことがある」
そう切り出した。
「 ? 」
不思議そうな顔を浮かべたは、裁縫道具をテーブルの上に置いた。
落ちていたボタンを拾って、三蔵からシャツを受け取り、それもテーブルに置いた後で三蔵の隣に座った。
「『話してなかったこと』って? 何か大事なこと?」
「ああ、お前の力のことだ……聞くか?」
『力のこと』という部分にの顔つきが少し変わった。
「聞く。話して」
「……今回の一件で、わかったことがいくつかある――」
そうして、三蔵は話し始めた。
の力の源がの体内にある珠であること。
珠には術を解くために送られた膨大な量の法力や神通力が込められていること。
珠の本来の役割と使えないはずの力を使ってしまうことのリスク。
「……そうだったんだ……」
そこまで黙って聞いていたが呟きながらため息をもらした。
も使ってはいけない力なのだということは感じていた。
何故、そんな力が自分にあるのかがわからず、それが不安を生んでいた。
力を持ってしまった理由がわかってその謎は解けた。
しかし、また一つ疑問が浮かんでくる。
それを三蔵に投げかけた。
「でも、なんで、そんなことがわかったの?」
それは当然の問いかけ。
そして、三蔵にとってはここからが話の本題だった。
「……『神様のお告げ』だ」
「はい!?」
は呆気にとられたような表情をし、それも無理はなかった。
しかし、三蔵のセリフも嘘ではない。
「何? それ?」
「信じるも信じねえもてめぇの勝手だが、事実だ」
「……詳しく話してくれる?」
「ジープが土砂崩れの場から宿の前に移動してきた時、お前の姿は変化していた――」
最初から順を追って語られる話はの想像をはるかに超えていた。
自分の身に起こったこと……
今、自分が生きてここにいるということが、奇跡的な幸運なのだと知った。
自分の中にある珠に神まで関わってきている……
まさかそんなおおごとだとは思っていなかった。
知らされた事実はあまりに衝撃的で身体が震えた。
その中では、さっき自分のシャツを握り締めていた三蔵の様子が変だった理由に思い当たった。
最初にほんの少しだけ意識が戻った時に見えた四人の心配そうな顔。
ちゃんと意識を取り戻した時の三蔵の顔、三人の安心した様子……
自分が思っていた以上の心配を四人にかけてしまっていた事に気付いた。
いろいろな感情が入り混じって、はすぐには口を開くことができなかった。
このぐちゃぐちゃな頭を整理して、事実を事実として受け入れなければならないことはわかる。
その為には、とりあえず落ち着かねば……
「……三蔵」
「……なんだ?」
「ちょっと貸して……」
は呼びかけにこちらを向いてくれた三蔵の法衣の襟を両手で掴んでその胸に顔を埋めた。
「……何の真似だ?」
声が音だけでなく、身体の振動としても伝わってくる。
「……こうしてると落ち着くんだもん……少しこのままでいさせて……」
「……好きにしろ……」
自分の胸で微かに震えている細い身体。
の動揺は三蔵にも容易に想像できる。
それがの望みなら付き合ってやることにした。
(……前にもこんなことがあったな……)
三蔵は思い出していた。
確か、枷で繋がれるというアクシデントがあった日の夜だ。
胸にしがみついてきたが、こうしていると落ち着くのだと言った。
あの時は出来なかったことも今ならできる。
三蔵はそっと、の背に腕を回して、柔らかく抱きしめた。
「忘れるな。何があろうと、お前はお前だ」
「……うん」
「お前がお前である限り、俺は……」
言いかけた口の動きは途中で止まった。
「……何?」
「…………」
伝えるべきことはあったが、そのどれもが言葉にすると陳腐に思えた。
「言ってよ……」
仕方なく代わりのセリフを探して言ってやる。
「……いつでも胸くらい貸してやる。泣くなり寝るなり好きにしろ」
フフッと笑ったの息が三蔵の胸に暖かくかかった。
「うん。ありがとう……」
そのままずっと抱きしめていてくれている三蔵の腕の中で、は落ち着きを取り戻し、少しずつ気持ちもまとまってきていた。
『人でも妖怪でない』と言われたのはショックだったし、何もわからないままに持ってしまった力は不安で仕方なかった。
その力のことで神様がわざわざ下界にまでやってきたことにも驚いた。
でも……
「一つね、気が付いたことがあるの」
「何にだ?」
「珠に込められた力は、私が術を解いてもらうために、三蔵に送ってもらっていたものでしょ?」
「そうらしいな」
「だったら……受け入れる……」
「……そうか」
「うん。術を解いてもらったから、今こうなってるんでしょ?
本当のこと言うと、少し怖かったり、不安だったりするけど……
三蔵と出会えた結果なんだから……力も、それに付属する恐怖や不安も、喜んで受け入れるよ……
この先、たとえどんなことがあっても、三蔵と……皆と出会えたことが人生最大の幸運だってことに変わりはないから……」
そう、本当のことや先のことなんてわからないけれど、大切なことだけわかっていれば、たぶん大丈夫。
――ずっと、そばにいる――
――もし、死んでも、三蔵のそばにいる――
あの夜の囁きは、の望みであり、誓いだった。
「だから、大丈夫……もう、大丈夫よ」
言いながら、はずっと法衣の襟を掴んだままだった手を三蔵の背に回してギュッと抱きついた。
そして三蔵はそれ以上の力で抱きしめてくれた。
(……うん、もう大丈夫)
受け止めてくれる胸があるから、抱きしめてくれる腕があるから、もう大丈夫。
を抱きしめながら、三蔵もホッとしていた。
に告げたのは起こった出来事と観音により明らかにされた事だけ。
その後、四人で推測したことまでは話していない。
不確かなことを言って必要以上に混乱させたくはなかったし、鍵になるのがの気持ちなら、不用意に不安にさせたくなかった。
自分たちがしっかりしていればいいだけのことだ。
「……お前の言う『大丈夫』はあてにならんな」
言ってやると腕の中のが笑った。恐らくは苦笑だろう。
「もぅ〜、少しは信用してよ」
「いや、できねえな。だから……俺の目の届く範囲にいろ」
――「玄奘三蔵」に、そいつの保護、監視を命じてやる――
命じられるまでもない。
自分から手離すつもりなどない。簡単に死なせるつもりもない。
――強くなる――
危険な旅の中でもに不安など感じさせないくらい、が力を使う必要なんてないくらい、強くなってみせる。
「……うん」
――離れない――
――離さない――
互いに言葉には出さなかったけれど、その長い抱擁は、二人にとっては宣誓だった。
安心してそのまま眠ってしまったを、三蔵はベッドに横たわらせた。
穏やかで倖せそうな寝顔を見つめる。
(コイツの言うとおりだな……)
事実を知った時にの受ける動揺やショック、その後の精神状態を案じていたが、それは過保護だったようだ。
に意外と芯の強いところがあることを忘れていた。
三蔵は一仕事終えた気分で同じベッドに入り、を胸に抱きこんだ。
素肌を触れ合わせなくても、今日のところはそれで満足だった。
「おい。行くぞ」
「はーい」
先の道が繋がって、当初の予想よりも長期の滞在になってしまった宿から出発する朝。
はスニーカーに通し直した新しい靴紐をキュッと結んで部屋を出た。
いつもどおりの旅に戻るのだ。
強がりとかじゃなく、何の不安も心配もなかった。
(大丈夫。皆と一緒だから、大丈夫)
それが無敵の呪文だった。
その頃――
「やれやれ。やっと出発するようですな」
天界の二郎神はそうため息をついていた。
「フッ……これでまた、しばらくは楽しめそうだな」
「観世音菩薩……正直、私は心配です。
この先、珠のことが西側に知られでもしたら、あの者たちで大丈夫なのかと……」
「ま、それはそれで見ものだな」
「また、そんな悠長なことを!」
「ぐだぐだ言ったってもう奴らに預けちまってんだ。
なるようにしかならねえさ」
「…………」
返す言葉も見つけられず、痛む胃を押さえる二郎神に構わず、観音は楽しげな笑みを浮かべていた。
――見せてもらおう。お前らの生き様を――
象徴とする慈愛と慈悲を秘めた瞳が、水鏡の中のジープを映していた。
end