Potential episode-3-6

大切なものが出来ると、それをなくしたくない気持ちが人を臆病にするけれど、それを守る為になら強くもなれるもの……

「……そうですね。
悟空の気持ちもわかりますし、言うことも尤もだと思いますよ。
いっそ、そう腹を括ってしまえば開ける道もありそうですしね」

「……『開き直る』の間違いじゃねーの?」

「同じことですよ。要は覚悟の問題ですから」

「ま、他に大事なモン見つけられちまうのも癪だしな」

「クッ……」

低い笑い声を立てる三蔵の脳裏には既視感。
こみあげる笑いが治まるまでしばらくかかった。

「笑ってる場合じゃありませんよ、三蔵。
あなた、観世音菩薩、直々にの保護監視を命じられているんですからね」

「そーそー、責任重大だぜェ」

「フンッ! 何が『命令』だ。
『保護監視』っつったって、今までと変わらねえじゃねえか」

「まあ、はっきり言えばそうなんですけどね」

「案外、『ラッキー』とか思ってんじゃねえの?」

を旅に同行させる歴とした理由ができましたからね」

「黙れ! うるせぇんだよ! 貴様ら!!」

ずっと重苦しかった部屋の空気がやっといつもに戻って、悟空は嬉しさに微笑んでいた。
そのこめかみにグリグリと拳が押し付けられる。

「何、ニヤついてんだよ? 猿」

「いででで! 何すんだよ!? クソ河童!!」

「はいはい、二人ともその辺にしてください。
夕食前に済ませておきたい買い物があるんで一緒に来てもらいますよ」

「……タバコも買ってこい」

指先に挟んだカードを差し出しながら、頼むというより命令するといった口調の三蔵に悟浄は呆れてつぶやいた。

「本っ当〜に腰が重えよな。三蔵サマ」

「いいじゃん、少なくとも今はさ。
買出しは俺たちで行くから三蔵はのそばにいてやってよ」

いつもなら八戒がいいそうなセリフを口にした悟空に三人は虚を突かれ一瞬奇妙な間が空いたが

「さ、早く行こうぜ」

悟空はそれを気にするでもなく、そう促した。

三人で部屋を出て、前を行くその後ろ姿を見ながら悟浄と八戒は小声で話していた。

「なあ、今日の猿はどーしたんだ?」

「さあ? ……でも――」

その声を耳ざとく聞きつけた悟空が振り返る。

「別にどうもしねえよ。どうかしてたのは皆の方だろ?」

実際、その通りなので二人には返す言葉がない。

「三蔵が買出しに来ないのはいつものことだし、それに……」

「『それに』? なんだよ?」

「……なんかさ、は三蔵がそばにいる時でなきゃ目を覚まさない気がするんだ。
悔しいけど」

悟浄と八戒は顔を見合わせた。

やっぱり、今日の悟空は――
いや、今日は全員がどこか常ではない日のようだった。

買出しに付いて行ったジープと入れ替わりにについている事になった三蔵はベッドの傍で椅子に座っていた。

眠り続けるは頬の辺りが少しやつれている。
顔色もだいぶマシにはなったものの良いか悪いかといえば、まだ悪い方だ。

それでも表情や呼吸からは当初の苦しげな様子は消えている。
あれだけの状態から数日でここまでに戻れたのはの体力から考えれば上出来だろう。

三蔵は伸ばした指先をの額から頭へと滑らせ髪を梳くように撫でた。

手に触れる感覚にその存在の確かさを実感する。
あのまま失ってもおかしくはなかったのだと思うと、その手を離す気にはなれなかった。

包み込むように触れた頬はいつもより少し冷たいけれど、滑らかな手触りは変わらない。

「……いつまで寝てるつもりだ?」

我知らず小さく声に出しながら親指の先でそっと撫でた瞼。

それに応えるように長い睫毛がピクリと揺れ、やがて静かにゆっくりと開かれた。

ぼんやりと空中に向けられたまま数回瞬きを繰り返した目が三蔵の姿を見つけて細くなり、唇は微かに笑みの形を作っている。

正直少し驚いて、しかし、それ以上に安心して、声を掛けようと開いた口からはため息しか漏れなかった。

互いに声を発することもなくそのまま見つめ合う。

三蔵の手はずっとの頭を撫でていて、は笑顔のままで何度か気持ち良さそうに目を閉じて……

それは言葉を交わすよりももっと多くのものを伝え合えたような穏やかな沈黙のひとときだった。

「……気分はどうだ?」

静かに声を掛ける三蔵の手はの頬に添えられたまま。

「……悪くはないよ……」

「そうか」

「……でも……身体が重い……鉛みたい……」

「寝てろ。無理するな」

「……私、なんで、こんなに……?」

「覚えてないのか?」

「なんか、頭、ぼんやりしてて……よく思い出せない……」

今回の事はの心身に多大な負担を強いたはずだ。
恐らくはそのせいで記憶にも混乱が生じているのだろう。
今は余計なことは教えない方がいいと三蔵は判断した。

「後で教えてやる。無理に思い出さなくてもいい」

「うん……でも、なんか不思議な夢、見た気もするんだけど……」

「『いい』っつってんだろうが。今は身体を治すことが先だ」

体力が回復してくれば精神的にも安定してくるだろうし、その中で思い出すこともあるかもしれない。

判明したことや推測したこともいろいろとあるが、それをどこまで話すかはの自覚や記憶次第。
もう少し様子を見たほうがいいだろう。

「……うん……」

目を閉じて小さく頷く額に唇を落とそうとした時、ノックの音が聞こえた。

三蔵が傾けていた身体を起こしながらドアの方を振り向くと、返事を待たずに開かれた。
こういう事をする奴は決まっている。

「ただいま〜!」

入ってきたのは思っていた通り悟空だ。
その後ろから八戒と悟浄も続いてくる。

「あっ! !!」

悟空の嬉しそうな声でそれに気づいて

「おっ!気がついたか!!」

「これでもう安心ですね」

悟浄と八戒は顔をほころばせ

「キュウ〜!」

ジープも嬉しそうな声をあげた。

「皆……ごめんね……」

「なんでが謝るんだ?」

「また、心配掛けちゃったんでしょ……?」

「いーんだよ! 気にすんな。
つまんねー事、考えてっと治るモンも治らねーぞ?」

「そうですよ。
今はゆっくり休んで、早く元気になってくださいね」

ベッドの傍によった三人は笑顔で、も自然に微笑んでいた。

数日ぶりに見られたの笑顔に、三人は掛け替えのないものを失わずにすんだことを実感する。

――これからも、この笑顔に応えたい――

は自分たちのことも、とても大切に思ってくれているのだ。
それが恋愛感情でなくても、今は、なんとなく満足な気分だった。

悟空の言ったとおりだったこと

――は三蔵がそばにいる時でなきゃ目を覚まさない――

に気付いて、悟浄と八戒が複雑な気持ちになってしまったのは部屋を出てからだったが、二人ともそれは口には出さなかった。

「……ねえ、三蔵……教えて欲しいことがあるんだけど……」

がそう切り出したのは、意識を取り戻して三日目の午後だった。

まだ立ったり歩いたりする時には誰かの肩を借りなければならなかったが、自力で身体を起こせる程度には体力も回復していた。

起き上がってベッドヘッドに寄りかかったは、もう顔色もいつもどおりだし、目にも力が戻っている。

「私が寝込んでるのって、また、何かしちゃったからよね?
八戒は『助けてくれた』って言ったけど、本当?
……私、何したの?」

意識を取り戻した時には曖昧だった記憶も、今ははっきりしているようだ。

「……土砂崩れのことは覚えているか?」

「うん。『危ない!』って思って……でも、その後がわからないの」

「土砂に呑まれると思った次の瞬間、俺たちの乗ったジープは別の場所にいた。
この宿の前だ」

「ここ、あの朝、出発した宿よね?」

「ああ。瞬間的にここまで戻っていた。
悟空の一件の時、お前が宿から森まで移動したのと同じ現象だろう」

そこまで言って、三蔵はタバコに火を点けた。
三蔵がの前でタバコを吸うのは数日ぶりだった。

「で、お前は、あの時同様にぶっ倒れて、今に至るというわけだ」

三蔵が吐き出した煙は、あえて話さなかった言葉の代わりのように長く伸びた。

「……そう……」

も何も疑問は持たなかった。
力を使ってから意識を取り戻すまでのことは何も覚えていないし、知るすべも無いのだから当然だった。

「眠ってる竜を起こしちゃったんだね……」

「あん?」

「前に話したでしょ?
占い師のお婆さんに『背中に大きな竜を飼ってる』って『普段は眠ってる竜を起こさないように気をつけなさい』って言われたって」

「……そんなこともあったな」

考えてみると、今回判明したことは、市井の偉大なる占者の言うとおりだったわけだった。

「……使っちゃいけない力を使っちゃったんだってことは、自分でもなんとなくわかる……
だから、こんなふうに寝込んじゃうんだなって……」

「…………」

「できるかどうかわかんないけど、これからは気をつけるね。
私の中にいる竜を起こさないように……」

口ではそう言いながら、は、それが不可能なことをわかっていた。

きっかけは、たぶん、自分の気持ちなのだ。
自然発生の感情は理性ではコントロールできない。
そして、力を使うことが命をすり減らすこととイコールなのだということも感覚としてわかる。

心配を掛けてしまうだろうから言わないけれど、言えないけれど、それが事実なのだ。

「……そうしてくれ」

そう返す三蔵もまた、が気をつけたくらいで制御できる力ではないということを知っていた。

しかし、今、それを告げることはできない。

が珠の力を使ってしまうのは自分たちの力不足を補うためなのだと、認められるまでにはかなりの精神的苦痛と葛藤を強いられた。

なにより、持ってしまった力には神まで関わってくるような重大な問題なのだと知った時のの気持ちを案じた。

まだ、身体も本調子ではないのだ。
余計なことを教えて回復を遅らせるような真似はしたくなかった。

二人は、互いに、互いを思って、口をつぐんでいた。

「じゃあ、には何も教えてねえの?」

を部屋に残し四人で夕食をとりながらそういう話の流れになり、三蔵はには菩薩の来訪を教えていないことを告げたが、悟空には意外だったようだ。

「なんで? せっかく、いろいろわかった事もあるのに」

「まだその時期じゃない」

「まあ、三蔵が慎重になりたがる気持ちもわかりますけどね」

「今は、体調を戻すことが最優先、ってか?」

珠の力を使った最初の一件の後に陥ったの酷い自己嫌悪は体力の回復を遅らせた。
今、精神的な負担になるかもしれないことは言わないほうがいいだろう。

「それはわかるけど……
が知らなくて俺たちだけが知ってるって、なんかズルくねえ?
のことなのにさ」

「いや、ずっと隠しておくっつーわけじゃねーんだろ」

「話すのは体調その他の様子を見てからということですね?」

「ああ」

「では、この件はすべて三蔵にお任せします」

「だな。アイツの保護を命じられてんのは三蔵サマだし」

そして、の身体を取り戻したのも三蔵だった。

八戒も悟浄も何もできなかった自分の無力さを自分の口でに告げることはしたくなかったし、すべてを知ったが不安を抱えた時、何よりも頼りにするのは三蔵の存在だろうということもわかっていた。

「それまで、の前ではこの話題は避ける――ということで……
悟空もいいですね?」

「わかった」

こうしてに対する告知の件は三蔵に一任された。

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