Potential episode-3-4
大きな好転はしたものの、危機的な状態はまだ続いている。
三蔵の動作の合間に、八戒がの手首に触れた。
「脈はなんとかふれますが……弱いですね」
心臓が動いていても、衰弱の度合いが自発呼吸もできないほどに達しているのなら、危険な状態であることには変わりない。
三蔵によって繰り返されるkiss of life……
緊迫した時が流れる。
どれくらいそうしていただろうか?
ヒュゥッ
の喉が鳴った。
二、三度咳き込んで、息を取り戻す。
浅く早い、喘ぐような苦しげな呼吸を繰り返し、それが少し落ち着いた頃、の瞼がゆっくりと開いた。
その目が心配そうな四人の顔を捉える。
「ごめ……わたし……また……なにか……しちゃ‥た……?」
「僕たちを助けてくれたんですよ」
「ああ、命拾いした」
「のおかげなんだぜ」
三人が交互に声を掛ける中、三蔵は無言での手をグッと握った。
言葉など選べなかった。
「そ……? ……よかっ……」
呟くような言葉を言い切る前にはまた意識を失ってしまったが、身体は取り戻した。
心肺もなんとか機能している。
わずかとはいえ会話もできた。
最悪の事態は回避できたのだ。
恐らく後はの体力次第。
特異な境遇の中で生き延びてきたの生命力を信じるしかなかった。
まだ油断はできないと四人が長い夜を過ごしている頃、は夢の中にいた。
自分でこれは夢だとわかっている。
そこは不思議な場所だった。
ちゃんと立っているのに、足の下に地面の感覚はない。
見渡す限り何も無い、乳白色の世界。
身体を動かしても、移動できているのかさえわからない。
だが、恐怖や不安は感じない。
温かくて、花の香りのようないい匂いがした。
『おい、お前!』
どこからか、声がした。初めて聞く声だ。
『私?』
『そう。お前だ! ……確か、とか言ったか?』
『ええ。あなた、誰?』
『そんなことはどうでもいいんだ。お前に訊きたいことがある』
声の主の姿は見えないが、その口調は尊大で、有無を言わせない迫力があった。
不快に感じないのは傲岸不遜な言動に日常的に接しているからだろう。
『……何を訊きたいの?』
変な夢だと思いながら相手にのってみた。
『お前、ヤツらの旅を見届ける覚悟があるか?』
『なかったら、一緒にはいないわ』
『ヤツらが傷つく姿を見ることがあるかもしれなくてもか?』
『そんな場面は見たくないけど……離れているよりはマシだもの』
『ヤツらの死に目を見ることになるかもしれなくても?』
『その心配はないわ』
『フッ……ヤツらが不死身だとでも思ってるのか?』
『違う。死ぬのは私が最初だからよ』
『何故、そう思う?』
『私の中に、私じゃない何かがいる……
私の手には負えないくらいの大きな何かがね……
ただ……たぶん、ソレは私の気持ちとどこかで繋がっていて……
今日、皆を助けてくれた』
土砂に呑み込まれると思った時、頭の中が真っ白になった。
そこから自分を覗き込む皆の顔を見た時までの記憶はない。
自分が皆を助けたのだという意識もない。
だけど感覚的にわかる。
あの占い師のお婆さんが言っていた『眠っている竜』を自分は起こしてしまったのだということ。
自分の意思ではなく、感情がそうさせたのだということ。
『だから、これからもきっと、本当に危ない時には助けてくれると思う……
でも……』
『でも?』
『たぶん、ソレは……引き換えに、私を呑み込んでしまうんだと思う……』
あの時、言われた『諸刃の剣』という言葉の意味をはそう受け取っていた。
悟空の一件の後、すぐには寝返りも打てないくらい身体が苦しかった。
さっきも切れ切れに言葉を吐き出すだけで精一杯で、指一本も動かせなかった。
皆が心配そうな顔をしていたのは、きっと体調がまた酷い状態になっているからだったのだろう。
『それでもヤツらと行くのか?』
『ええ』
――離れたくない――
――ずっと一緒にいたい――
それが自分の意志。
我侭なのはわかってる。
だから、自分にできることをする。
たとえそれが、命を縮めることになるとしても。
『わかった。じゃあ、俺はもう何も言わねえよ。
せいぜい、ヤツらの面倒を見てやれ』
その言葉を最後に声の主は去ったようだった。
(誰だったんだろう……?)
まるで人ではない大きな存在と対面したような不思議な気分だ。
しかし、それもやがて眠りの中に吸い込まれていった。
「フッ……」
天界の観音は楽しげに目を細めていた。
「あの女、受けて立ちやがった。気に入ったね」
自らを滅ぼす危険性を秘めた強大な力だと自覚したうえでのことだ。
生半可な覚悟じゃない。
起こった出来事からそれを察しているのだから頭は悪くないらしいが、それでも連中との同行を望むあたりが人間らしい愚かさだ。
しかし、そういうバカは嫌いではない。
「……宜しいのですか?」
困り顔で訊いてくる二郎神に言ってやった。
「いーんじゃねえの?」
「しかし……」
「あの女が力を発動させる引き金になっているのは、守りたいという想いだ。
きっかけが負の思念じゃなければ、珠は決して誰も傷付けず、何も破壊しない。その証拠に、珠には一点の曇りも濁りもなかった。
あの女、天然のお人好しだな。今どき、天界にもあんなバカ正直な奴ぁいねえぜ」
くっくっ、と、笑う観音に二郎神は内心溜め息をつく。
「……回収命令の方はいかがいたしましょう?」
「ヤツらが不甲斐ないことしてりゃ次には回収できるさ。
それに、人間の一生なんて俺らにはあっという間だし?
神様の取り柄は気が長えことだろ?」
「一人の人間にそこまでのお慈悲を……」
二郎神は感嘆の言葉を漏らした。
回収命令を優先させるならば、もっと時間が経って蘇生が望めない状況になってから行くべきだったし、回収するだけならば誰が行っても良かった。
あの時点で観世音菩薩本人が出向いて状況を説明し、半ば挑発するような態度で『チャンスをくれてやった』のは、その慈愛と慈悲ゆえ……
しかし観音は不敵に言い放った。
「はあ? その方がおもしろいからに決まってんじゃん?
あの金蝉までが女一人に振り回されてんだぜ?」
「観世音菩薩……」
少々の胃痛を覚えながら呆れたように呟く二郎神の隣で観音は静かに微笑んでいた。
(あいつらには、ああいう存在が必要かもしれねえしな……)
――見ていてやるよ。寄せ集めのパーツが一つ増えたポンコツの走りを――