Potential episode-3-3
観音の言葉に四人の視線はテーブルの上の珠に集中した。
『あの女』とはのことに他ならないだろう。
しかし、言葉の意味はわかっても状況が理解できない。
「『そのもの』って……?」
「どーゆー意味だよ!?」
「『今のところ』と、いう部分も気になるんですが……」
「そうがっつくなよ」
次々に投げかけられる質問を煩そうに遮った観音だったが
「……ご説明、願おうか」
押し殺した中にも焦りを含ませた三蔵のセリフに、微かに唇の端を上げ、話し始めた。
「お前らが拾った女が人外の能力を持ってることは知ってるな?
その力の源がその珠だ」
薄々そんな気はし始めていた。
ただの珠のために神がやってくることなど有り得ないのだから。
「珠は本来、術をかけられた人間の魂と魄、肉体の三つを繋ぐためにあったもので、術が解けた後も身体の中に取り込まれ、その役割を続けていた」
「『コン』と『ハク』って……何?」
「って、そりゃー、おめー……」
小さな声で悟空に訊かれた悟浄は言葉を濁し、その質問に答えたのは三蔵と八戒だった。
「『魂』は陽の霊魂、『魄』は陰の霊魂のことだ」
「二つとも『たましい』の意味ですが、『魂』を精神や心、『魄』を生きる為の生命エネルギーと捉えることが多いようです。
身体と、それを動かすエネルギーと心、この三つが揃ってはじめて人は人として生きられるんです」
その解説に二人が浮かべた『ふーん』という表情を見て、観音は話を続けた。
「珠の役目は宿主の生命維持で、それは体内に珠が存在するだけで良かった。
扇の要のようにな。
つまり、珠にどれだけの力があろうとも、宝の持ち腐れで終わるはずだったんだ。
だが、あの女はその力を使ってしまった。
使えるはずのないものを無理やり引き出してんだから、当然、そのしっぺ返しもくらう。
わずかな量なら数日寝込む程度の負担で済むんだろうが、今回は使い過ぎたな。
抑え切れなくなった力が暴走して、人としての肉体を保つことが出来なくなっているんだ」
「『ちゃんと生きて存在はしているけれど、目には見えない状態』……と、いうことですか?」
「『今のところ』はな。
だが、このままでいればそのうち、たとえ身体を取り戻せても魂や魄がそれに定着できなくなる」
「それって……」
悟空が訊きかけて言葉にできなかった続きを、観音は事も無げに言った。
「簡単に言や、死ぬってことだ」
そういうことだろうと思ってはいても、はっきりと告げられた事実は非情なほどに重い。
「どうすりゃいいんだよ?」
悟浄が思わずそう訊いてしまったのも無理はなかったが、観音の返事に欲しい情報は含まれなかった。
「勘違いするな。俺は別にそいつを助けに来たわけじゃねえぞ。
言っただろ? 『回収しにきた』ってよ。
珠はそいつが死ななきゃ回収できねえんだ。
生きた人間を天界に連れて行って保護するってのもいろいろ面倒だからな」
「なんだよ? それ! それでも神様かよ!?」
そう気色ばんだ悟空も
「知らねえのか? 神ってのは誰も救わない。ただ、見てるだけなんだよ」
観音の言い草に返す言葉を失った。
「今日、お前らが通ったのは、こことは違う次元の道だ。
そこは本来、神にしか入ることの出来ねえ場所なんだよ。
だが、そいつは、そこに自分以外にも四人と一匹も送り込んだ。
下手な神よりも大きな力を持ってしまっているんだ。
だから天界で問題になり、回収命令が出た。
人間が持っていい、人間に制御できるレベルの力じゃないんだからな」
「……状況やそちらの言い分はわかったが――」
おもむろに口を開いた三蔵が観音を見据える。
「――それで納得して大人しく引き渡すとでも?」
観音はフッと笑って答えた。
「いや。お前らがそんな可愛いタマじゃねえのはわかってるさ。
だから、チャンスをくれてやる。
そいつをちゃんと人の形に戻して、生き延びさせることが出来たら、今回は回収を見送り、ついでに『玄奘三蔵』に、そいつの保護、監視を命じてやる」
「『今回は』ですか……」
「ああ、次はない。
もしまた今日のような力の使い方をしたら、その時はもう元には戻れないだろうからな」
「『戻れない』……」
説明されなくてももう悟空にもその意味はわかっていた。
「神にも匹敵する力だ。人間の生身の身体が順応できるわけがない。
わずかでも使えばそのひずみは蓄積され、結果、寿命を縮める。
暴走させれば尚更だ」
四人はそれぞれに思い出していた。
力を使った後のは酷く衰弱していた。
確かに、あんなことを繰り返していれば身体はもたないだろう。
文字通り、命を削っているのだ。
「今ならまだ戻せんだろ? タイムリミットは?」
「そいつの体力次第だが、日付が変われば完全にアウトだろう」
悟浄が畳み掛けた質問に返されたのは後者に対する言葉だけだったが、それは前者に対する肯定にもなっている。
「そいつを生かすも殺すもお前ら次第だ。ま、せいぜい頑張るんだな」
そう言いながら四人の顔を見渡して観音は姿を消した。
最後に『そいつが死んだら回収に来る』と、不穏な一言を残して……
「……結局、何しに来たんだ? あの『神様』……」
観音の退場に伴うように日没を迎え暗くなった室内に灯りを点けながら、悟浄が呟いた。
「さあ……その真意はわかりませんが、いろいろと情報が得られたのは明るい材料です」
「それよりもさ、俺、『目に見えない状態』ってとこが、まだよくわかんねえんだけど……」
そう悟空は首を傾げた。
「そうですね……ゴム風船をイメージするとわかりやすいかもしれません」
「『風船』?」
「ええ、中にドライアイスが入った風船です……
固体のままであるはずだったドライアイスが風船の中で気化してしまったら、風船は膨らんで膨らんで、ゴムの膜はどんどん薄くなって、やがて向こうが透けて見えるようになる……
そういう状態なんだと、僕は解釈しました」
「膨らめば膨らむほど、元には戻りにくくなる……ってとこまで同じだな。
最悪……いや、なんでもね」
悟浄が言うのを止めた続きは、他の三人にもわかる。
――最悪、割れて終わり――
「まだ、間に合うはずです」
皆の不安を振り払うように、八戒はきっぱりと言い切った。
今が非常に緊迫した状況であることは再確認できた。
の中にある力の源も判明した。
現在の状況と原因がわかったのだから、何か手はあるはずだ。
――絶対、死なせない――
それが四人に共通している意志。四色の八つの瞳が珠を見つめていた。
再び静まりかえった部屋の中で動きをみせたのは、ずっと沈黙を保っていた三蔵だった。
口を開かないまま立ち上がった三蔵は珠を手に取ると、それをベッドの中央に置いた。
「「 ………… 」」
悟浄と八戒は無言でその後を追い、最後尾に続いた悟空が訊く。
「三蔵……どうすんの?」
三蔵は思いついた事を実行しようとしていた。
その方法が正しいのかはわからない。
もしかすると状況を更に悪くしてしまうかもしれない。
しかし、何もせずにタイムアウトを迎えるわけにはいかない。
「力の暴走を、悟空の金鈷が外れた状態と同じ……と、仮定するなら……」
三蔵は経文の守り人としての自分に賭けた。
――オン マ ニ ハツ メイ ウン――
覚悟を決めて唱えると、経文がシュルシュルと珠を包み込み始めた。
幾重にも重なった経文の隙間から金の光が漏れる。
眩しさに目を閉じた次の瞬間には、その光は、白い足や腕に姿を変えていた。
見慣れた細い指。右足の膝上に傷跡。
半分ほど覗いている目を閉じたの顔……
四人の口から安堵のため息が漏れた。
「お前ら、後ろ向いてろ!」
三蔵が怒鳴る。
「ああっ! はいっ!! ほら、悟浄! 悟空も!」
八戒は慌てて従い、二人を促した。
「「 なんで? 」」
「が消えた時の状況を考えてください!」
「「 あ…… 」」
ようやくその理由を察した二人も八戒に倣う。
経文が巻きとられると、三蔵は何も身に纏っていないをベッドに横たえ、毛布をかけた。
「まだか?」
「もう、いい?」
「あのー、三蔵? 僕たちものことは心配なんですよ?」
許可が下りないことにしびれを切らした三人が恐る恐る振り向くと、三蔵はの顔に自分の顔を重ねるように覆い被さっていた。
(……あ……)
(おい! コラ! クソ坊主!!)
(……ひょっとして、キスなんかしてます?)
呆気にとられた三人の前で、三蔵が頭を起こす。
「息、してねえんだ……」
その言葉に、部屋の中は新たな緊張に包まれた。