Potential episode-2-3

悟空は、部屋を飛び出した勢いのまま街中を走り抜け、気がつくと町の入り口にあった森の近くまで来ていた。

走ったことで少しだけ落ち着いたけれど、気持ちの整理ができたわけでもない。

泣きたいような、怒りたいような、でもそのどちらとも違うモヤモヤした気分。

(あ゛ー、俺、なにやってんだろー?)

道の脇の草っぱらに大の字に寝転んだ。

見上げる空は高く澄んで青く、自分の小ささを意識させられる。

三蔵の顔もの顔も直視できなくて、居心地が悪くて落ち着かなくて……
悟浄も八戒も、知っていたのに自分には何も言わなかったのだと思うと、ムカついた。

(なんだよ。皆、俺のことガキ扱いしてさ……)

知ってしまった今、こんな態度しかとれないのだから、実際ガキなんだとは思う。
でも、今はそれを素直に認められない。

(なんか……この辺にポッカリ穴でも開いたみたいだ……)

右手で押さえた胸が痛んだ。

そのまま閉じようとしていた目が、その気配に見開かれ、身体は反射的に跳ね起きていた。

大量の妖気。

それが森の向こうからどんどん近づいてくる。

(チクショ! こんな時に!!)

刺客か、賞金稼ぎか、ただのならず者か、それはまだわからない。
しかし、いずれにしろここで食い止めなければ、確実に町に被害が出る。

(少しでも町から遠いとこで――)

悟空は迎え撃つべく、森に踏み込んだ。

(来る!)

森の中を通る町への道の中央に立って如意棒を構えた悟空の目に、妖怪の一団が飛び込んでくる。

「こっから先には通さねえ!!」

「なんだぁ? このチビ」

「ギャハハッ! この人数相手に何が出来るってんだ? 笑わせるぜ」

「おう、コイツ、手配書に載ってた奴だぜ」

「三蔵一行のか?」

「ああ、確か『孫悟空』って大喰らいのガキだ」

「じゃあ、三蔵一行がこの先の町に入ったって情報は確からしいな」

「こんな森ん中に一人か? 三蔵のお供はどうした?」

「食費がかさむってんで捨てられたってか?」

見かけでなめられて小馬鹿にされることは今までにもあった。
しかし今日は妖怪たちの口から出た言葉が、いちいち悟空の胸に突き刺さる。

「……ごちゃごちゃ、うるせえんだよ!!!」

悟空は抱えた胸のモヤモヤを振り払うように妖怪たちに飛びかかった。

(こんなザコ、楽勝だっての!!)

バタバタとなぎ倒しはするものの、身体の動きはいつもより悪い。

(あ゛ー! そういや、朝からろくに飲み食いしてねえんだった!)

少々の寝不足と空きっ腹によるエネルギー不足。
何より昨夜から受けていたショックのせいで精神状態の不安定な悟空は集中力を欠いていた。

いつもなら楽によけられる攻撃をかすらせてしまう。
なんとか急所ははずせても敵の攻撃をくらってしまう。
小さなダメージも、重なれば大きなものとなる。

そして敵の数は一人で相手をするには多過ぎた。
いくら倒してもキリがない。
息はあがり、目に入った汗が視界を曇らせる。

「ヒヒッ。そろそろ疲れてきたか?」

「さっさと降参しろよ、チビ」

数にものを言わせた妖怪たちにはまだ余裕がある。

「一人で相手しようってのがバカだよなァ」

「どうせ役立たずなんで置いてかれたんだろォ?」

「こんなお供じゃ玄奘三蔵もいらねえって言うよな」

妖怪の言葉や、皆の顔が頭の中でグルグル回って、悟空は声を張り上げた。

「うるさあぁーぃっっ!!」

同時に、何かが壊れた音が聞こえた――額の辺りから……

少し遡って、悟空の孤軍奮闘が始まった頃――

買出し中の悟浄と八戒は足を止めて顔を見合わせた。

「……久々の『お客さん』ってとこか」

「まだ遠いですけど、結構な量ですね。町に入られると厄介ですよ」

「悟空探すのは後だな」

「ええ。宿に戻って三蔵と合流しましょう」

宿に残った三蔵もほぼ同時にその妖気を感じていた。
動く気配がないのは様子を伺ってでもいるのだろう。

狙いが経文なのか町への襲撃なのかはわからないが、放っておくわけにはいかない。

「どうかした?」

茶のおかわりの湯呑みを差し出したが訊いた。
妖気を感じることは出来なくても、一瞬の三蔵の変化には気付いたようだ。

「いや……どうもしねえよ」

悟浄と八戒も気付いているはずだ。合流してジープで向かった方が早い。

読んでいた新聞を閉じて眼鏡を外し、湯呑みに口をつけた。
感じる妖気に神経を集中させながらも平静を装う。

はさほど気にする様子もなく、テーブルの向かいに座って本を開いた。
そう、には気づかれない方がいい。
その身の安全を考えれば、連れて行くわけにはいかないのだから。

やがてドアがノックされた。

「三蔵」

「ちょっといいですか?」

「ああ」

悟浄と八戒が顔をのぞかせ、三蔵が立ち上がった時、三人の顔色が変わった。

「何かあったの?」

「いいえ。そういうわけでは……」

なんとかごまかそうとする八戒の笑顔はぎこちない。
しかしそれも無理はなかった。

今、感じた、それまでの妖気とは全く異質で、桁違いの気。

以前にも感じたことのあるそれが、誰のどういう状態のものであるかは三人とも予想がついた。

「もしかして、悟空のこと? だったら私も――」

「「 お前はここにいろ!! 」」
 「ここにいてください!!」

立ち上がりながら『一緒に行く』と続けようとした言葉を三人同時に強く遮られ、驚いたの身体がビクッと震えた。

「……悪りぃ……でもよ……」

「僕たちだけで大丈夫ですから」

「……すぐ戻る。おとなしく待ってろ」

諭すような口調の中に隠された緊迫感。

「……うん……わかった……」

はそう、うなずくしかなかった。

三人を見送って一人残ったは落ち着かない気持ちでその場に立ち尽くしていた。

部屋を出て行く背中が緊張感に包まれていた。
あんな三人は初めてだ。

確信した。

自分にはわからないけれど、きっと何か大変なことが起きている。
ひどく胸騒ぎがする。
――身体が怖気だつような嫌な予感。

自分には何もできないのだろうか?
とても危険なことになっているのでは?
不安と心配は増すばかりで頭が混乱する。

なんだか気分まで悪くなってきてしまった。
立ちくらみのようにグラリと視界が揺れて、咄嗟にテーブルに手をつき身体を支えた。

その拍子に湯呑みが倒れる。その音で少し正気に戻った。
テーブルに両手をついた姿勢のままで目を閉じて深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着けようと努める。

(…………しょうがない……よね……)

……三人が何も言わずに出て行ったのは、知ったからといって自分にはどうにもできない事だからだ。
……何もできることがないのなら、言われたとおり、おとなしく待っていよう。
……皆が戻った時は何も気にしてないフリをして『お帰りなさい』と迎えよう。

心配で心配で、息もつまりそうだけど、今の自分にできるのは、それに耐えることだけなのだ。

うなだれていた顔を上げると転がった湯呑みが目に入る。

(……片づけなきゃ……)

こんなことしかできない……
自分の無力さがたまらなく情けなかった。

倒れた湯呑みを起こして、こぼれた茶を拭こうとした時、その手が止まった。

「 !? …………なに……? ……これ……?」

テーブルの上に広がった茶の水鏡に、ありえないものが映っていた。

三人の乗ったジープ。

後方の斜め上の上空から見下ろしているような光景が見える。
まるで空を飛んで後ろから付いていっているような景色だった。

何故、そんなものが見えるのか、などと、その超常現象について考える余裕なんてなかった。

三人の様子がわかる。それがすべてだった。

ただ食い入るようにそれを見つめた。

移動するジープは街中を抜け、森に差し掛かる。
その先にあった情景に、三人もも息を呑んだ。

それは――血まみれの惨状だった。

破壊された森の一角。血を浴びた草木。累々と横たわる妖怪の無残な死体。
その中に一人、佇んでいる小さな人影――

「…………ごくう……な‥の……?」

着ている服は確かに悟空のものだ。
しかし――

長く伸びた後ろ髪、尖った耳、瞳孔が縦に細長く変化した金色の瞳と金鈷のついていない額が顔の印象を変えている。
そして、爪が長く尖った両手の指先は真っ赤に血塗れていた――

三人の視界の隅には真っ二つに割れた金鈷が転がっていた。

「……バカ猿が……」

「……やっぱ、コレかよ……」

「……悟空……」

大きな気を感じた時から、そうだろうと予想はしていた。

三蔵の魔天経文を使うにはまだ遠いが、うかつには近づけない。
今の悟空のスピードがどんなものなのか想像もつかない。
下手に動くのは命取りだ。

じっとこちらを見ていた悟空の唇が笑みの形に歪む。

「……来るぞ」

ゆらりと身体を揺らした悟空が一歩踏み出そうとした時、

「うわぁぁっ!」

男の悲鳴が聞こえた。

「 ! 」

「人?」

「間が悪りぃったら……」

奥の方から現れた男は妖怪の死体に腰を抜かしている。
森で仕事をしていたのか、たまたま通りかかったのか、いずれにしろこの場に来合わせてしまったのは不幸と言うしかないだろう。

悟空がその男の方に向き直る。
三人は悲鳴を聞いた時から走り出していたが、位置的にも距離的にも間に合わない。

怯えてへたりこんだまま後ずさる男に悟空が手を振り上げる。

悟空! ダメぇっ!!!

水鏡を通してすべてを見ていたは思わず叫んでいた。

止めなくちゃいけない。
悟空が悟空じゃない。
もし、あの人を手にかけたりしてしまったら、悟空自身も傷ついて苦しむ――

それは思考というよりも一瞬にしての気持ちの爆発。

頭の中が真っ白になった。

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