Potential episode-2-2
一人で先に部屋に入った悟空は、頭を悩ませていた。
あんな態度をとっていたら皆に不審がられるのはわかりきっている。
しかし、だからといって、いつもどおりに振舞うことなんてできなかった。
どうすればいいのかわからない。どうしたいのかもわからない。
昨夜のことだ――
ふと、目が覚めた。部屋の中は真っ暗。
(なんだ、まだ夜中じゃん……)
寝なおそうと思ったのだけど……
グー……ギュルギュル……
部屋に響く音が自己主張する。
「あ゛〜、腹減って眠れねー!!」
なんとか眠れないかと寝返りを繰り返しているうちに、何かが聞こえた。
最初は気のせいかと思った。
次に、猫の鳴き声かな? と。
そして、女の人が泣いているみたいな声だと思って、気になった。
自分の隣の部屋は悟浄。そして反対側の隣はだ。
空腹も忘れて気にしている間にも、その泣き声は間隔が短く、音量も大きくなっていく。
嫌な夢でも見て泣いてるのか。それとも、どこか痛いところでもあるのか……
心配になって様子を見に行くことにした。
(えっ‥と、夜中だし、鍵かけてるだろうし、ノックとかした方がいいんだよな?)
戸惑いつつ、少しくぐもった声が漏れ聞こえるドアの前に立って、そのドアが施錠されていないことに気付いた。
ラッチが柱の穴にちゃんと入らず完全に閉まりきっていないドアは、その厚さの半分だけ廊下側にはみ出している。
不思議に思いながら、少しだけ隙間を作り、そっと中を覗いてみた。
その際、無意識のうちに身体を縮こまらせて、目の高さを低くしてしまっていたのは、罪悪感があったのか、予感めいたものがあったのか。
中は先ほどの自分の部屋とは違い、暗くはなかった。
ベッドサイドのランプだろう。
仄かな明かりの中に人の背中が半分ほど見えた。
逆光でわかりにくいけれど、裸の背中だ。
こんな見え方をするということはベッドの上に座っているのだろう。
白いけれど広いそれは、のものではない。
その背中の上にあるのは金色の頭だった。
そして、その背中にしがみつくように回された、より白く細い腕こそがのもの……
三蔵の肩口に顔を埋めているらしい頭も見える。
室内のテーブルや椅子の陰になっていてよく見えないけれど、動きがあることはわかる。
その度に、が泣き声に似て非なる声をあげていることも。
理解できなければ倖せだったかもしれない。
しかし、悟空はもう、それがどういう事なのかわからない程の子供ではなかった。
頭の中は真っ白になり、呆然と見開かれた目にはその光景が映され続ける。
やがて、三蔵の背中が前方に傾き、二人の姿は見えなくなった。
視覚からの情報がなくなった分、聴覚はの声以外の音まで拾い始める。
ベッドの軋む音。肌と肌がぶつかる音。荒い息遣い。
の声はますます大きくなっていく。
思わず耳を塞いだ。
走り出したいのに、身体が震えて思うように動かない。
言う事を聞かない足を必死で動かしながら、やっとのことで部屋に帰った。
隣と同じ間取りの部屋。
ベッドに戻る気にはなれなかった。
ドアにもたれて、そのままズルズルとその場に座り込む。
ショックだった。
なにがそんなにショックなのかさえよくわからないくらいショックだった。
長い間、ただ茫然としていた。何も考えられなかった。
(三蔵……)
さっき見たものを覆い隠そうとでもするかのように、出会ってからの様々な場面が甦る。
――岩牢の中で鎖につながれて、何年も何年も空ばっか見てた――
――救いの手を差し伸べたのは 金色の光――
――ずっと憧れてた太陽の光――
――昏いくらい闇の中から連れ出してくれた――
――太陽よりも もっともっと眩しい世界をくれた――
――三蔵と会ってからの方がさ なんかずっといっぱいだ――
岩牢に入れられる前の記憶がない悟空にとっては、三蔵と出会ってからの日々が全てだ。
(……)
頑張り屋で、料理が上手で、優しい。
考えてみれば、三蔵や悟浄や八戒以外の人間とこんなに長い間、一緒にいるのは初めてで……
偶然、の背中を見てしまった後は、じゃれあった時にそれまで意識しなかった身体の細さや柔らかさにドキッとしたり、洗い物をする時のシャツの袖を捲くった腕とか、髪を束ねている時の首筋とかの白さが眩しくて、思わず目を逸らしてしまったりするようになっていた。
そう、は女の人だった。とてもキレイな。
(ああ……そっか……)
大好きな物はたくさんある。
の事も大好きだと思ってた。
でも……への『好き』は、その他に対する『好き』とちょっと違ってた……
(こんな時にわかるなんてな……)
何も気付かず、ただ無邪気に二人になついていた。
今更ながら自分の子供っぽさを思い知らされる。
(見なきゃ良かった……)
でも、が泣いてると思ったから、気になって、心配で……じっとしていられなかった。
無意識の内に抱いていた感情ゆえの皮肉な事態。
乾いた笑いが込み上げる。
笑って、笑って、馬鹿みたいに笑いながら、悟空は泣いていた。
(これから、どうしたらいいんだろう……)
知らなかった頃には戻れない。
そこにあったのは自分にはどうにもできない事実。
三蔵にはがいて、には三蔵がいる。
泣きながらその場で眠ってしまった悟空はそのまま朝を迎えた。
目が覚めても頭の中は混乱したままだった。
そして――そのまま、今に至る。
「どうしたんですか? 悟空。が心配してましたよ?」
宿の部屋で、テーブルを挟んで2対1に座って、悟空への取調べが始まる。
八戒と悟浄は、膠着状態で半日が経過した今、様子を見ながら遠まわしに探るより、逃げられない状況を作ってズバリと訊いた方がいいと判断したのだ。
「……別に、どうも……」
なんでもないふりをしたいのに、の名前が出ると、どうしてもそれが出来なくなる。
「してねーわけねーだろーがよ! オラ、吐け!」
元々、この二人を誤魔化せるほど、上手に嘘がつけるような悟空ではない。
(だって、あんな事、言えねえし……)
しかし、この二人と同室な以上、追求から逃れることが出来ないこともわかっている。
そして気付いた。
が同行してからは恒例になっていたカードでの部屋割り決めがいつの間にかなくなり、2−3に分かれる時は、この組み合わせが当たり前になっていたことに……
(……そっか…………二人とも……知ってたんだ……)
「……あの‥さ…………三蔵とって……」
長い沈黙を破って声を発した悟空に
「おう」
「二人がどうかしましたか?」
悟浄は相槌をうち、八戒もその先を促す。
「……いつから……?」
「「 は? 」」
尋問しているのはこちらの方なのに、よくわからない質問を投げかけられて二人は虚を突かれた形になる。
「何がだよ?」
「……質問の意味がよくわからないんですが……?」
この時点での悟浄と八戒は本当に悟空の問いかけが何に対してのものかわかっていなかった。
しかし、悟空にはその返事が自分を煙に巻くためのもののように思えた。
「わかんないフリなんてすんなよ!! もうごまかされねーぞ!
俺、昨夜、見たんだから!!!!」
突然、声を張り上げた悟空に二人は驚いたが、もっと驚いたのはそのセリフに、だった。
「『見た』って……おい……」
「悟空……?」
この時になってようやく事態を薄々と察した二人だが、予想外のことに上手い言葉が出てこない。
悟空は悟空で、二人の反応から余計な事まで言ってしまったことに気付いた上、昨夜の光景まで思い出してしまった。
「やっぱ、いい!」
一言そう言って、顔も耳も真っ赤にした悟空は部屋から飛び出した。
「悟空! 待って!!」
後を追おうとした八戒を
「放っとけ」
悟浄が制した。
「ですが……」
「今は何言っても無駄だよ……」
「…………かもしれませんね……」
二人はやれやれといった気分で、それぞれベッドの脇の床と椅子に座った。
「どっちにどんな嫉妬すればいいのか、わかんねーんだろ」
ベッドにもたれタバコに火をつけた悟浄が煙を吐き出しながら言ったセリフに
「……父親に恋人が出来た父子家庭の息子の気持ちと、仲の良い姉に恋人ができた弟の気持ちを同時に味わうっていうのは、複雑ですよね」
八戒も同意する。
「ついでに、憧れの年上女がマフィアの幹部の情婦だって知った純情少年の気持ちも加えとけ」
「それ、ちょっと違いますよ……」
「たいして違わねーよ」
確かに『現時点では到底敵わない相手』という意味では当たっているかもしれない。
「……『いつか来る日』ではあったんでしょうけどね……」
「いきなり『現場』を目撃ってのは、さすがにキツイか……」
二人は同時にため息をついた。
「……どうしたもんでしょうねえ……」
「……とりあえず、もちっと落ち着くのを待って、言い聞かせてやるしかねーかな?」
「ですね……聞く耳を持ってくれれば、ですが……」
「あとは、三蔵とにどーゆー報告をするかだな……」
「うわあ、嫌ですよ、僕」
相当に上手い言い方をしなければ、は恥ずかしさのあまりに卒倒しかねないし、三蔵には殺されかねない。
「俺だってごめんだぜ。
つか、あいつらに『原因を探っておきます』って言ったのはお前だろ?」
「あなただって『いざとなりゃー』とかなんとか言ってたじゃありませんか」
「……お互い、人生最大の失言だったな……」
「とりあえず、買出しついでに悟空を探しましょう」
「だな。アイツが納得するかどうかで報告の仕方も変わってくっし……
あ゛〜! しっかし、傍迷惑なヤツらだなー……」
「結構な貧乏くじ引いてますよね? 僕等……」
二人はため息をつきながら部屋を出て、悟空に逃げられたこと、買出しをしながら探すことだけを報告して町に出た。