Potential episode-2 発動
最初に不審を感じたのはだった。
朝、『おはよう』と声を掛けた時のこと。
いつもなら笑顔で『おはよう! !』と元気に返してくれる悟空が目を逸らしてうつむき、すれ違いざまに『……はよ……』としか聞こえなかった小さな声は明らかに沈んでいたのだ。
「悟空?」
振り向いて呼んでも、悟空はパタパタと駆けて行った。
(聞こえなかったのかな?)
聞こえているのに無視されたとは思いたくなかった。
(どうしたんだろう……?)
あんな悟空は初めてで心配になったが、すぐに食堂でまた会うのだし、と気を取り直した。
その朝食の席では全員がその異常さに気付いた。
あの第一声は『腹減った』の悟空が、驚異的な食欲が、底なしの胃袋が
――食事にまったく箸をつけない――
「悟空……どこか具合でも悪いの?」
の声にも答えない。
「なんか変なモン拾い食いして腹でも壊したか? 脳味噌胃袋のお猿ちゃん?」
いつもならムキになってやり返す悟浄のからかいにも反応がない。
「悟空? 本当にどうしたんですか?」
八戒の問いにやっと口を開いたかと思えば、
「……俺、先に行くから……」
それだけ言って、食堂から出て行ってしまい、残された四人は呆然と見送るしかできなかった。
「どーしちまったんだ? アイツ」
「……さあ? ……でも、尋常じゃありませんね」
「さっき廊下で会った時も変だったの……」
「誰か、何か心当たりはありませんか?」
「「「 ………… 」」」
しかし誰にも、思い当たる節など何一つなかった。
ここ数日は大した襲撃もなく、ジープで走るだけだったし、昨夜もまったく普段どおりだった。
「…………放っておけ……」
三蔵の出した結論はそれだった。
「でも三蔵! あんな悟空、絶対、変だよ!!」
「何にヘソ曲げてんだか知らねえが、ガキの我侭に付き合ってやる趣味はねえ」
「……まあ、『飼い主』がそう言うんなら、そうすっけどよ」
「そうですね……」
しばらくはそっとしておいて、様子を見たほうがいい。
三蔵の『放っておけ』は、そういう意味だろう。
実際、現段階ではそれ以外の手立ては思いつかなかった。
「とっとと食って出発するぞ」
「はい」
「おう」
そして三人は食事を再開させたが、はとてもそんな気にはなれなかった。
「ごちそうさまでした……」
そう両手を合わせて、椅子から立ち上がる。
「おい、もういーのか?」
「あなたもほとんど食べてないじゃありませんか」
「あんまりお腹空いてないし……
でも、残すのは勿体無いから、手をつけてない分は折に詰めさせてもらうね」
言葉としては発せられなかったの気持ちは三人にもわかる。
――後で悟空が『腹、減った』って言った時に、すぐに食べさせられるように――
「……好きにしろ」
三人が進まない箸を無理やり動かして食事を済ませるまでの間に、はいつもの悟空ならペロリと平らげてしまうだろう折り詰めを作った。
(無駄になる……なんてことはないですよね?)
(食ってやれよ? バカ猿)
(ったく、どいつもこいつも……)
食堂を後にし、宿を出てジープに乗り込む。
困惑の一日はこうして始まった。
移動中のジープの上の空気はとにかく重かった。
なにしろ悟空が一言も口をきかない。
それこそ『腹減った』の決め台詞さえもだ。
シートの上に立てた片膝を両手で抱え、そこに顔を埋めるようにして、沈み込んでいる。
隣に座っているはチラチラと様子を見て、声を掛けるタイミングを伺うが、結局、何も言えないままでいた。
「八戒、次の町まではどんくらいだ?」
重苦しさに耐えかね、悟浄が口を開いた。
「何もなければ午後には着くと思いますよ。
このずっと先にある森を抜けたところに大きな町があるみたいです」
「じゃあ、昼メシは町に着いてからだな」
「その方がちゃんとしたものを食べられますね」
「朝メシ抜きでそれまでもつか? 猿?」
悟浄はそう悟空に話を振ったが、返事はなかった。
(無視かい!?)
(大失敗でしたね、悟浄……)
相手がノッてこなければ悟浄もからかいようがない。
そしてやっと機会を掴んだが声を掛ける。
「悟空、お腹が空いた時は言ってね? 少しならあるから」
しかし、悟空はやはり無言だった。
(でもダメですか……)
「って、おい猿! せっかくが――」
「いいの!」
文句を言いかけた悟浄をが止めた。
「でもよ……」
「いいの……怒らないであげて……」
「まぁ、お前がそう言うんなら……」
悟浄は引き下がって――なんとか喋らせてみようかという意欲を失った。
出発してから次の町に着くまでの間にジープの上で交わされた会話は、それが全てだった。
町に着いてからも悟空の様子は変わらなかった。
歩く街中で売られているどんな食べ物にも興味を示すことはなく、ただうつむいて四人の後からついてくるだけ。
まずは食事、と、適当な食堂に入ろうとしたが、
「俺、いらない」
数時間ぶりに口を開いた悟空のセリフがこれだった。
「表で待ってるからさ。皆、食ってこいよ」
そう言われても、セリフの主が悟空なだけにそういうわけにもいかない。
先に宿を探すことにした。
見つけた宿でとれたのは二人部屋が一つと三人部屋が一つ。
「部屋割りはいつもどおりということで……」
八戒が言いながらフロントで受け取った二つの鍵を差し出すと、
「八戒、悟浄。俺、先に部屋、行ってるから……」
三人部屋の方の鍵を手に取った悟空は、その場から逃げるように行ってしまい、
「「「「 ………… 」」」」
四人は無言で顔を見合わせた。
「まァ、アレだ。『反抗期』って奴か?」
「だったら、まだ手の打ちようがあるんですけどね……」
「身体の具合が悪いわけじゃなさそうだし……」
「……八戒」
「ええ、わかってますよ、三蔵。明日、出発するまでには原因を探っておきます」
「いざとなりゃー、無理やりにでも吐かせるさ」
三人がそう話していると
「……私が、何かしちゃったのかも……」
俯いたがポツリと言った。
「何か思い当たることでもあるのか?」
三蔵の問いには大きくかぶりを振る。
「でも……悟空、私の顔、見ようとしないのよ……朝から一度も名前呼んでくれないし……
気付かないうちに何かしたのかも……」
言いながら、は今にも泣き出しそうな顔をしている。
「ンなことねーって!」
「そうですよ。それだったら僕ら全員同じですよ?」
「うん……変なこと言ってごめんなさい……」
「……ずっと悟空の隣で心配し続けて疲れてるんですよ」
「買出しは俺らで行くから、お前はゆっくりしてろ。な?」
「……うん……ありがとう……」
「さっさと部屋へ行くぞ。来い」
「……うん」
常ならぬ悟空の態度がまでを沈ませている。
部屋の違う二人と廊下で別れた悟浄と八戒は、なにがなんでも今夜中に事態の打開策を見つけねばと心に決めながら、悟空の待つ部屋へ向かった。