on the line 純情でやましい感情
夜中にふと目を覚ます。
このところイラつきがちな三蔵には浅い眠りしか訪れてくれない。
少し標高のある山中での野宿。
西に傾いた満月が木々の陰を落としている中、シンと冷えた空気が意識を覚醒させていく。
溜息をついてタバコを取り出し、火をつけた。
イラつきの原因はわかっている。
――コイツだ――
振り向いた後部座席の中央で毛布に包まっている人物。
うつむいて熟睡中のの顔はよく見えない。
しかし、少し悟浄に寄りかかるように身体が傾いているのが腹立たしい。
(……チッ……)
好きだと言ってくれた相手に対して、自分も相応の気持ちを持っていると自覚したら、男としての欲望が湧き上がってくるのは至極当然なこと。
――触れたい――
――この腕に閉じ込めて、折れるほどに抱きしめて、心ごと、身体ごと、全てを俺のものにしてしまいたい――
しかし、抱きたいと思うと同時に、触れてはならないと思っているのもまた事実だった。
無垢な存在を、自分の色に染めたい欲求と、穢れのないままにしておきたい願望。
相反する感情が三蔵の中で渦巻いていた。
あの夜の後、しばらくは三蔵に対して戸惑うような態度を見せていただったが、今はまるで何事もなかったかのように、以前と変わらず接している。
そのことにホッとしつつも、自分の中の感情をもてあまして、つい避けがちになってしまう。
今は眠ってしまうに限る。
朝が来たからといってこのイラつきが治まるわけではないが、起きていても胸クソの悪さが増すだけだ。
何度目かの溜息を吐いて目を閉じた。
「え? ここ、通るの……?」
「ええ、そうしなきゃ先に進めませんからね」
あっさり答えられて、の顔は引きつった。
目前にあるのは渓谷に架かった吊り橋。
遥か下には上流で雨でも降ったのか茶色の急な濁流が走っている。
「何? 、怖いの?」
からかうような悟空の言葉に一瞬ぐっと詰まったが小さな声で反論する。
「……だって、この橋、ボロボロじゃない……」
見るからに古いその吊り橋はところどころの床板に穴が開き、床板を吊ったロープも千切れた箇所が目立っている。
さすがにジープに乗ったまま渡るのは無理そうだ。
「大丈夫ですよ……たぶん」
(……その『たぶん』の前の『……』が怖いんですケド?)
「さっさと来ねえと置いていくぞ」
三蔵はそれだけ言うとスタスタと渡り始め、悟空と八戒もそれに続く。
「……ジープはいいねぇ、羽があって……」
「キュウ」
「大丈夫だって! 俺がちゃんと後ろから見ててやっからさ」
「うん、悟浄、ありがとう……」
怖いけど、先を行く三人が無事なのだからそれほど脆くはないのかもしれないと思うことにして、恐る恐る踏み出した。
半分以上進んで、思っていたより丈夫そうだと安心したのが間違いだった。
バキッ!
油断が足の運びから慎重さを欠いて、痛んでいた部分を踏み抜いてしまったのだ。
「きゃあっ!」
左足の膝から下が空中にぷらんと揺れ、落ちた破片は音もなく濁流の中に飲み込まれていった。
「おい! 大丈夫か?」
「び、び、びっくりした〜」
後ろから来ていた悟浄に助け起こされたは激しく鼓動している胸を押さえ、その場にへたり込んだ。
「、大丈夫?」
「ケガはありませんか?」
「……なにやってんだ。早く来い」
「う、うん」
先に渡り終わった三人からの声にやっとそれだけ答えて立ち上がったが……
「、どうした?」
「進もうと思うんだけど……足が前に出てくんない……」
の身体は恐怖でガチガチに固まってしまっていた。
(しょうがねえな……)
そう思った三蔵が戻ろうと足を踏み出す前に、悟浄がを抱え上げた。
「え? 悟浄?」
「だーって怖くて動けねーんだろ? 俺が運んでやるって言ってんの」
「でも、二人分の体重だよ? 危ないって!」
「大丈夫、大丈夫。しっかり掴まって、怖いんなら目ぇ、瞑ってな」
悟浄の言う『大丈夫』に根拠はなく、たまらなく不安だが、自分で渡れる自信もない。
「…………うん……ごめんね……」
「いーって、いーって。こーゆーのは俺の役だからさ」
抱え上げられた分、目線が高くなり、の恐怖は増していた。
言われた通り悟浄の肩に掴まって目を閉じる。
(素直だねぇ、カワイーこと。これで俺より年上ってのが信じらんねー)
外見が若いので忘れてしまいがちだが、は自分より十近く年上のはずだ。
女の可愛さは年齢に関係なく心ばえによるものが大きいのかもしれない。
悟浄がを抱いていい気分で橋を渡り終えた時、三蔵の機嫌は最悪になっていた。
に気遣うような言葉をかけてやることもできず、悟浄にも先を越されてしまった。
「ほい、到着」
「ありがとう」
降ろされたの、悟浄に向けられた安心したような笑顔にムカつく。
「てめぇら、遅えんだよ。いつまで待たせやがる」
そんなことしか言えない自分に更に苛立ちが募った。
「お前らが冷てーんだろ?」
「私が臆病なだけなんだってば」
「まあまあ、無事に渡れたんですしいいじゃないですか」
「な、お礼のチューとかはねーの?」
ガウン!
「うわあっ! っぶねーな!! 何すんだよ! クソ坊主!」
「テメェにはこれで十分だ」
「やめてよ! ごめん! 私が悪かったから!」
(なんで、お前が謝るんだ)
両手を合わせてとりなそうとするが、まるで悟浄を庇っているように思えて、三蔵の不機嫌度は上限をなくした。
「さ、早くジープに乗ってください。急げば夕方には次の町に着きますよ」
「じゃあ早く行こうぜ。俺、まともなメシが食いたい!!」
八戒の促しと悟空の同意でその場は治まったが、三蔵の全開の不機嫌は町に着くまでの間にマルボロのストックをゼロにした。