identity 馬鹿果報
その日の午後、ジープの後部座席ではいびきと寝息の三重奏が奏でられていた。
好天の青空の下、快調に進んで行く車上は吹きぬけていく風も爽やか。
「天下泰平ですねえ」
「騒がれるよりはマシだが……バカばっかりだな」
「悟空と悟浄はともかく、にまでそんなこと言っちゃ可哀相ですよ。
お弁当作るのに早起きしてたんですから」
「……遊びで旅してるわけじゃねえってんだ」
「なりの気遣いですよ……
きっとまた『寝込んで迷惑かけちゃった分頑張らなきゃ』とか思ってるんでしょう」
「……『迷惑』……か……」
のそういう性格は三蔵も知っている。
しかしあの時、がいなければどういう事態になっていたか……
それを思えば数日の足止めという代償は安いものだ。
それに気づかず張り切ってしまうあたりらしいと言えばらしいが、やはりどこか抜けた印象を与えられる。
「……本当にバカな奴だな」
『あの出来事』の後、数日寝込んだだったが、順調に体力を取り戻し、一行は旅に戻っていた。
表面上はいつもどおりの日々の中、全員がの身に起こっている事に対する疑問や心配を抱えていたが、それを口に出したところで建設的な会話ができるわけではないこともわかっている。
触れず語らず。
それが今できる唯一のことだった。
「もうすぐ町に着きますけど、それまでは眠らせておいてあげましょう」
「……フン」
『バカ』だの『遊びじゃない』だの、三蔵のセリフは字面だけ見れば非難がましいのに、八戒の耳にはまるで惚気の言葉のように聞こえた。
(まったく二人とも『ごちそうさま』ですよ……)
密かについた溜め息が風に溶けて流れた。
町に着いて早々に宿が決まると、三蔵以外の四人は買出しに出かけた。
先頭を行くのは妙に張り切っているだ。
天気が良いからさっさと済ませて宿に帰ったら洗濯もするのだと、露店の食い物に立ち止まりがちな悟空や、呼び込みの女の子に足を止めてしまう悟浄の尻を叩くようにして先に進み、必要なものを買い揃えていく。
次の店を目指して歩いている時だった。
「おや、これは珍しいお人たちだねえ」
ふいに聞こえた声に思わず立ち止まった。
声のした方を見ると、小さな辻占のテーブルに行き当たる。
「あんたがた、旅の人かい?」
再びかけられた声の主はまっすぐに四人を見ていた。
「はい」
が答えたのは、その年老いた占い師の深い皺に囲まれた笑顔がとても穏やかで優しかったから。
「だろうねえ。あたしも長いこと街角に出てるけど、こんなことは初めてだよ」
「婆ちゃん。『珍しい』って何が?」
小首をかしげて訊いた悟空に占者はこともなげに言った。
「あんたがた、皆、人間でも妖怪でもないね」
「「「「 ! 」」」」
驚くべき内容を、まるで明日の天気でも告げるような、なんでもない口調で言われ、言葉を失う四人にその人は独り言のように続けた。
「昔から、ごくたまぁに、そういう人はいたもんだけど……
四人もそろって、しかもこのご時世にそんな穏やかな気を湛えてるなんて、珍しいことこの上ないさね」
「『気』ですか……」
誤魔化す気にもなれず、そう聞き返しながら、八戒は思い出していた。
この旅で最初の刺客を迎えたあの宿の主人も『初めからなんとなく気付いていた』と、『"気"で解る』と言っていたことを。
「あぁ。あたしは手相も見るし筮竹も使うけど、一番得意なのは気を見ることなんでね」
「……とりあえず、アンタがスゲェ占い師なのはわかったよ」
悟浄の軽い口調に楽しそうに笑った偉大なる占者はその後、に視線を向けた。
「お嬢さん、気をつけなさい」
「あの……なにを……?」
いきなり立て続けに言われたことは、言葉としては理解できるが、事実として受け入れるには重大すぎる。
はすっかり困惑していた。
「あんたには底知れないものを感じるよ……
そうだね、例えるなら、その小さな背中の上に大きな竜を飼っているようなもんってとこだろうか?
……悪いもんじゃあないってことはわかるけどね、あんたが何故、そんなもんを背負ってるのかまではわからない。
でも……悪いもんじゃなくても、大きすぎる力ってのは諸刃の剣だよ。
……普段は眠っているその竜を起こさないように……
お気をつけなさい」
戸惑うに言い聞かせるようにゆっくり話す声は最後まで優しく温かかった。
その後、どんなやりとりをしてその場を離れたのか、は覚えていない。
ただ言われた言葉が頭の中をグルグルと回っていた。
そして、それは他の三人も同じだった。
『四人とも、皆、人間でも妖怪でもない』と言われたのだ。
最後に言われた助言は先日からの出来事を思い起こさせる。
確かに『人間』であったはずのがあんな事を言われて、気にならないはずはなかった。
「、この店に入りますよ」
「あ、うん」
沈黙の時間はその会話で終わりを告げ、店に入ってからはいつもどおりの買出しの風景に戻った。
どっちの方がお買い得だの、ワゴンセールには思わぬ掘り出し物があったりするだの、少々所帯じみたことを言いながら買うべき品物を選んでいくは、無理にテンションをあげていることが丸わかりで……
あんな事が出来た以上、が『普通の』人間とは少し違ってしまったのは認めざるを得ないが、当人がそれを受け入れるには抵抗があるのだろう。
三人はの空元気に付き合って店から宿までの道中もワイワイと賑やかに話していた。
「じゃあ、洗濯してくるね」
宿に戻り、荷物の整理が終わると、はそう言って部屋を出て行った。
「アイツ、ぜってー、さっきの気にしてるよな」
悟浄は溜め息をタバコの煙で誤魔化しながら小さく呟いた。
「……汚れ物だけ持って、洗剤忘れて行きましたしね」
しかもその洗剤はさっき買ったばかりだ。
「俺、持ってってくる」
悟空はそれを手にの後を追った。
「。洗剤、忘れてる」
「あ……ありがと……」
水を溜めている途中だったは持って来られて初めて、忘れてきたことに気づいたらしく苦笑した。
「ってさ、時々、こーゆうちょっとしたドジするよな」
「うっ……悔しいけど、反論できないなぁ……」
「だろ?」
「あっ! でも、でも悟空だってさ!」
そこから、あの時はああだった、この時もこうだった、と、互いのドジについてのほじくり返し合い、言い訳のし合いが始まり、それは洗濯が終わるまで続けられた。
「……なんか、すっごい不毛な言い合いだった気がするなぁ……」
言いながら、は部屋に戻る途中に見つけた自販機のボタンを押して、ガコンと音を立てて落ちたコーラを悟空に差し出した。
「喉、渇いたでしょ?」
「うん。サンキュ」
晴天の下で、自然と声が大きくなってしまうようなやり取りをずっと繰り返して、二人とも喉はカラカラになっていた。
自分にも冷たいウーロン茶を買ったと悟空は、その場でタブを起こして飲み始めた。
「……サンキュな」
「何が? コーラのお礼ならもう言ってもらったよ?」
「それじゃなくてさ……いつも、いろいろしてもらってるし……」
「私がしたくてしてるんだから……他には何もできないしね」
「……あとさ……」
「ん?」
「俺、嬉しかったんだ。
ほら、こないだ、金鈷が壊れちゃっただろ?
で……『もしかしたら怖がられちゃうかもな』……とか思ってたからさ。
だから……」
――自分の本当の姿を知っても、その後も何の変わりもなく接してくれていることが嬉しい――
不器用に、でも正直にそう話した悟空には明るく言った。
「そんなの当たり前じゃない。悟空は悟空だもん」
その返事を聞いた悟空も満足そうににっこりと笑った。
「うん……おんなじだな」
「『同じ』?」
「俺もがだから、一緒にいられるのが嬉しくて楽しいんだ」
まっすぐに向けられた笑顔。まっすぐに届いた言葉。
「……ありがとう。悟空」
「えへへっ」
照れくさそうに笑う悟空を見ながら、やっとは意識してではなく自然に笑えていた。