Potential episode-3 こたえ ――守るもの、守られるもの――
本当のことや先のことなんてわからないけれど、大切なことだけわかっていれば、たぶん大丈夫。
その朝、数日ぶりの日差しに皆の顔色は明るかった。
この町に入る少し前から雨に降られ、追われるように入った宿でそのままずっと足止めをくらっていたのだ。
季節外れの長雨は三蔵の機嫌に下降の一途を辿らせ、三蔵と同室のは気が重かったし、悟空と悟浄はヒマを持て余して些細なことをきっかけに口喧嘩やどつき合いといったこの二人ならではのコミュニケーション手段に精を出していた。
そしてその二人と同室の八戒はその煩さに溜め息をついてばかりいたのだった。
この明け方まで降り続いた雨もやっと止んで、よく晴れた今は三蔵の機嫌も通常に戻っているし、ようやく出発できることに誰もがホッとしていた。
出発すべく宿を出たところで、は何かにつまずいて
「わっ!」
「うおっ!?」
前にいた悟浄の背中にぶつかった。
「おい、どうした?」
「ごめん! 何かにつまずいちゃって」
振り向いた悟浄に謝っていると、の足元を見た悟空が言った。
「、靴の紐がほどけてる。それ踏んだんじゃねえの?」
「あ、本当だ。ちょっと待って」
しゃがみこんで結び直し、緩んだ紐をキュッと引き締めた時だった。
ブツッという感覚と共に紐が切れた。
普通に結ぼうとしただけなのに、スニーカーの太い靴紐がだ。
「……嘘ぉ……」
思わず声が出た。
「どうしました?」
「……結ぼうとしたら、千切れちゃった……」
切れた部分を手に握ったまま答えたら
「うっわー! 、スッゲェ力持ちー!」
悟空に感心された。
「もう、私にそんな力あるわけないでしょ」
「紐がボロくなってたんじゃねーの?」
「でも、このスニーカー、こないだ買い換えたばかりよ?」
「たぶん、使われていた靴紐が不良品だったんですよ」
「そうなのかなぁ……」
そんな感じではなかったのだけれど、と、不思議に思っているところに
「どうでもいいから、さっさと乗りやがれ!」
ジープの助手席から怒鳴られて、とりあえず靴はそのままで慌てて乗り込んだ。
替えの靴紐なんて用意していなかったので、動き出したジープの後部座席で短くなった紐を一度取り外してからなんとか結べるように通し直す。
(……出掛けに靴の紐が切れるなんて……)
まるで鼻緒が切れたみたいで縁起が悪い。
それに四人には言わなかったけれど、紐が切れた瞬間、とても嫌な予感がしたのだ。
ゾクリとして、本当に鳥肌が立った……
なんだか胸騒ぎがして気持ちが落ち着かない。
(でも、言ったって、気にするような皆じゃないよね……?)
危険な旅路だということは百も承知なのだし、敵の襲撃も日常茶飯事だ。
それに妖気なら皆は事前に察知できる。皆の強さも知ってる。
(うん。気のせい、気のせい)
そう、自分に言い聞かせた。
だいたい最近の自分は余計なことをいろいろと考え過ぎているのだ。
きっと『抱えている問題』のせいで、ちょっとしたことでも弱気になってしまうだけなのだろう。
せっかく晴れて、三蔵の機嫌も直っているのだから、つまらないことをくよくよ考えるのはやめよう。
短い紐で小さく作った蝶々結びを引っ張って整えて、その事を考えるのは終わりにした。
午前中は敵の襲撃もなく順調に進んでいたが、午後、山沿いの道に入った辺りから道の状態が悪くなった。
落石や崩れた土砂に道が半分以上塞がれていたり、大きな水溜りのぬかるみにタイヤをとられたりで、度々、ジープを降りなければならなかったのだ。
乗っていても、道の凹凸のせいでガタガタと揺れて、あまりスピードも出せない。
「うぅ〜、ひでぇ道〜」
「雨のせいだ、雨の。あんだけ降りゃーな」
「なんだか怖いね。宿の辺りが無事で良かった」
「この先は山沿いの道や集落が続きますから、これ以上の被害がなければいいんですが……」
「迂回路もなさそうだし、どんな道だろうとこのまま進むしかねえだろう」
ジープの上でそんな会話をしている時だった。
バキバキという音が聞こえた。
「なんの音?」
「木が折れるみたいな音だな」
悟空と悟浄の会話に辺りを見回したは一瞬息を呑んだ。
走る道の脇の斜面が動いているのだ。
「山が崩れてくる!!」
叫んだ時には、大きな音をたてて土砂が崩れ始めた。
「チッ! 逃げ道がねえ!!」
道の反対側は崖で脇にそれることはできない。
土砂の到着よりも速く先へ先へと進むしかなかった。
「飛ばします! しっかり掴まっててください!」
八戒はアクセルを踏んだが、山肌は連鎖的に崩れてくるし、崩れた部分の体積が増せば土砂の加速度もあがってくる。
気功で防護壁を作ろうにも、ハンドルも離せないし、流動物の厄介さは以前、砂漠のサソリ妖怪の城で学習済みだ。
量もあの時の砂の比ではない。
(これのことだったんだ!)
は、朝、感じた嫌な予感のことを思い出していた。
今、身に迫っている危機は妖怪の襲撃よりもよほど性質が悪い。
押し寄せる土砂は水分を含んでいる分だけ重いし、泥の中にはなぎ倒された木や岩も混ざっている。
その衝撃と破壊力は想像もつかなかった。
「うわあっ! 来るよ!八戒ぃー!!」
(間に合わない!)
「クッソッ!!」
ジープと八戒の頑張りも虚しく、土砂に呑み込まれようとしたその時、辺りを金色の光が包んだ。
そして――
「「「「 !!!! 」」」」
次の瞬間、ジープは真っ暗な空間にいた。
土砂に閉じ込められたわけではない。
前に進んでいる感覚はある。
しかし何も見えない。何も聞こえない。
まるで星のない宇宙空間のような場所だった。
辺りを包むのは金色の光だけ。
暗闇の先に見える光に向かって、ジープは飛ぶように進む。
近づいた先端の光に包まれて、眩しさに目を閉じた。
何が起こっているのかわからなかった。
「ここは……!」
「一体、何が……」
……気付いた時、ジープは、今朝、出発したはずの宿の前に止まっていた。
時間にしてわずか数秒の間の出来事。
信じられない光景に誰もが言葉を失っていた。
「え?」
「おい、これ!」
悟空と悟浄の声に振り返った三蔵と八戒は再び信じられないものを見た。
「「 ――!! 」」
後部座席の中央、がいたはずの場所に、その姿はなかった。
ただ、身に着けていた服や靴が残されているだけ。
それらはまるで体が溶けて消えてしまったかのように、座っていた形のまま重力に負けて崩れている。
さすがの三蔵も動揺を隠せなかった。
身体ごと振り向いた三蔵がの着ていたシャツに腕を伸ばす。
その手に触れたのは薄い布の感覚だけだった。
そして、何かがコトリと小さな音をたてる。
ジープの床に転がっていたのは、見覚えのある透明な珠だった……