Potential episode-2-5

が意識を取り戻したのはその日の午後だった。

念のため、医者にも診てもらったが特に病的な症状はなく、何故こんなに衰弱しているのかと医者も首を捻っていた。

気休め程度の点滴もしないよりはマシだっただろう。
目を覚ました時には自力で起き上がることはまだできないようだったが、少しは症状も落ち着いていた。

「三蔵……」

はベッドサイドの椅子に座って新聞を読んでいる三蔵に声をかけた。

「なんだ?」

「悟空は大丈夫?」

「ああ、いつもと変わりねえよ」

「……良かった……」

安心したように吐息を漏らすに、三蔵は慎重に話を切り出した。

「……俺も、お前に訊きたいことがある……話せるか?」

「うん……私、変だよね……?」

「何があった?」

「……お茶をこぼしたの……」

「は?」

確かに宿に戻った時テーブルの上はそういう状態だったが、それがなんだというのだろう。

訝しがる三蔵にはゆっくりと話した。

テーブルに広がった茶の水面に三蔵たちの姿が見えたこと。
それで森と悟空の様子を知ったこと。
気がついたら悟空を抱きしめていたこと。
そのまま気を失ってしまったこと……

「……何故、見えたのか、どうやって悟空の傍に行ったのか……自分が何をしたのか……自分でも、わかんない……」

「…………」

「一瞬、頭の中が真っ白になって……正直、よく覚えてないの……」

「そうか……なら、いい……」

水鏡を媒体にしての透視。瞬間移動。
そして付け直した悟空の制御装置。
どれをとっても、普通の人間にできることではない。

しかし、すべてがそうと意識してのものでないのなら、これ以上訊いても、を混乱させるだけだろう。

「……ねえ、悟空のこと、教えて……」

「……ああ」

三蔵の口から語られる悟空の真の姿と過去をはじっと聞いていた。

悟空が普通の人間ではないだろうということはわかっていた。
どちらが本当の悟空かなんて関係ない。

それより500年も一人きりで岩牢に閉じ込められていたという事の方がにとっては衝撃的だった。

返す言葉も見つけられず、ただ目を閉じて、悟空の500年と今に思いを巡らせる。

そして、ふと、思い当たった。

「もしかしたら……私も、悟空と同じなのかもしれない……」

「何がだ?」

「さっき……『あの時の事はよく覚えてない』って言ったけど……
ただ……私の中に、私じゃない何かがいる……すごく、大きな……
それが、何かしたんだってことは……なんとなく、わかる……」

「お前はお前だ。それ以外のものじゃない」

「でも……怖い……いつか……私が私じゃなくなりそうな気がする……
そうなったら……三蔵や皆を傷付けるかもしれない……」

人間であるはずのだが、何か人外の力を持ってしまった事は、三蔵としても認めざるをえない。
それを本人が自覚してしまっては、恐れるなと言う方が無理だろう。

三蔵はそっと、の頬に手を添えた。

「お前は悟空の暴走を止めた。
ヤツが必要以上の破壊や殺戮をすることを防ぎ、周りにいた者と悟空を守った」

「…………」

涙の溜まったの目を見ながら、三蔵は続けた。

「お前は誰も傷付けない」

の目尻から雫が零れ落ちる。

「……三蔵が……そう言ってくれるのなら、信じたいよ……でも……」

「俺を信じろ。お前が望まないことをしようとするなら、俺が止めてやる」

「…………うん……」

「……少し寝ろ。今は余計なこと考えたりしねえで、早く身体を治せ」

「……うん……」

頷いたの額に三蔵がキスを落とす。
の涙は寝入った後もしばらく止まらなかった……

翌日、悟空が三蔵との部屋を訪ねた。

まだ、どんな顔をすればいいのかわからないけれど、たぶん、一番心配させてしまったのはだ。

一連の不思議な現象のことも聞いた。

何故、そんなことが起こったのか誰も知る由はないけれど、引き金になったのはきっと自分の言動だ。

その結果としてが寝込んでしまったのなら、全部、自分のせいだ――

悟空はそう思っていた。

……えっと……」

しかし、口を開いても何をどう言えばいいのかわからない。

ベッドサイドの椅子に座った悟空の背後には三蔵。
テーブルで新聞を読んではいるが聞き耳を立てているであろうことは想像できる。

「三蔵……悟空と二人で話したい……」

が言うと、三蔵は黙って席を外した。

悟空は少しホッとした気分で、に向き直った。

でも、まだ顔を直視できない。少し俯いて、必死で言葉を探した。

「あのさ……俺、に心配とか面倒とかかけちゃって……
だから、謝んなきゃって思って……」

「……悟空……」

は言おうとした『そんなことないよ』という言葉を呑み込んだ。
『今は悟空の話を聞こう』そう思った。

「ごめん……本当に……ごめん……
俺、頭ん中、ぐちゃぐちゃしてて……なんか、もう、訳わかんなくて……」

「……うん……」

「俺、知らなかったからさ。
その……と三蔵が……って……
だから、置いてかれたみたいな気がして……
急に、二人が遠くなっちゃったみたいで……」

はこの時初めて、悟空に三蔵との事を知られてしまった事を知った。

「……びっくりさせちゃったんだね……ごめんね……」

今のには悟空にとっての三蔵がどんなに特別な存在なのか容易に想像できていた。

「謝んなよ!! 今は俺が謝ってんだし!
……上手く言えねえんだけど、知らなかったの俺だけだったんだって思ったら、なんか、めちゃくちゃ悔しくて……」

言いながら悟空は気づいた。

(……俺、すごく、寂しかったんだ……)

何も知らないのは自分だけだったという事が、まるで除け者にでもされているような気がして……
寂しかった。

「悟空、もう、いいよ……お願いだから謝らないで……
誰が悪いってわけじゃないから……」

優しく声をかけられて、悟空はやっと顔をあげた。
微笑んでいるの目もとても優しい。
それは子供を見守る母親の目にも似ていた。

「俺、には世話かけてばっかりだしさ……
ガキって言われても仕方ねえよな……」

そう……ガキだから、二人のこともあの夜まで全然、気づかなかった……

「悟空……私だって悟空にはすごく助けられてるんだよ」

「え……?」

悟空にとってはまったく意外なセリフだった。
二の句をつげない悟空には続ける。

「最初に私のこと見つけて、拾ってくれたのは悟空だったでしょ?」

「…………」

「私、ちゃんと覚えてるよ。
最初に話を聞いてもらった時も、三蔵に『コイツ困ってんじゃん』って、『助けてやれよ』って、言ってくれたよね」

「……そうだったっけ……?」

「そうなんだよ。私、すっっごく、嬉しかったんだから」

よく覚えていないけれど、『がそう言うのならそうなのかな?』と思った。

「悟空が何気なく言ったことにハッとさせられることもあるし、元気な悟空を見てるとこっちまで元気になってくる。
悟空にはいつもパワーをもらってるよ」

「……」

「それに……たぶんね、出会ったのが三蔵一人だけとだったら、きっと、今みたいにはなってなかった。
皆がいたから、私、『この人たちと一緒にいたい』って思うようになったんだと思う」

「俺たちがいたから?」

「うん。
だから、私は、悟空も、悟浄も、八戒も、ジープも、皆、大好きで、大事だよ」

そして、は少し顔を赤らめながら小さく付け足した。

「……三蔵はその……『好き』の意味がちょっと違っちゃったけど……」

『ちょっと違う好き』の意味は今ならわかる。

(そうだ……三蔵は特別だけど、俺、のことも特別なんだ……)

三蔵をにとられたみたいで、寂しい。
を三蔵にとられたみたいで、寂しい。

でも、『お似合いの二人だ』って思えるくらい、二人のことが大好きなことに気付いた。

二人がいつからそういう間柄になったのか、自分は気付かなかった。
それは、二人がずっと変わらない態度で自分に接してくれていたからなのだ。

そして、今もは正直に自分の気持ちを話してくれている……

自分は何も失くしてないし、何も減ってない。

ずっと抱えていた胸のモヤモヤがやっと晴れた。

「でもさ、相手が三蔵だったら苦労しねえ?」

「それはお互い様でしょ? ずっと一緒にいるんだし」

「それもそうだな」

顔を見合わせて笑った。
『ずっと一緒』という言葉が心に響いた。

「あ!」

部屋を出ようとドアを開いた時に思い出して振り向いた。

「弁当、美味かった。サンキュな!」

「どういたしまして」

はとても嬉しそうに笑ってくれた。
それが、とてもとても嬉しかった。

一人になったは安堵のため息をもらしていた。

悟空はちゃんと自分の名前を呼んでくれた。顔を見てくれた。
いつもどおりに戻れたのだ。

あの笑顔を、素直な優しさを、失くさずに済んだことに心から感謝した。

そして思った。
自分の身に起こった事に対する不安は消えないけれど、考えても仕方のないことだから、今は忘れる努力をしよう。
それよりも、早く元気にならなければ……

大きく深呼吸をして、気持ちを切り替えた。

end

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