Potential episode-1-2

町に着いて三日目の夕方。

三蔵の意識はまだ戻らない。

は部屋の中を歩ける程度には回復していたが、三人の言いつけを守って安静にしていた。

宿の食堂、三人で囲んだ夕食のテーブルには、アルコールもバカ話もなかった。
重くなりがちな空気を振り払うように悟空が明るく言った。

「でも、、おとなしくしててくれて良かったな。
『自分で看病する』って言い張るかと思ってた」

「頭のいい人ですからね。ちゃんとわかってるんですよ。
今、自分が無理をすれば、僕たちが三蔵だけでなく、の身体の心配までしなくちゃいけなくなる、って」

「……そうなんだ……」

「たぶん、昨夜もろくに眠っちゃいねーんだろうな……そんな顔色だ」

「食事も摂ってはいますが、すぐ、もどしてしまいます……
身体が受け付けないんでしょう」

「……いっそ、泣き叫んでわがまま言い張ってくれた方がマシだな……」

「ええ。精神的な面でかなり無理をしています。
そっちの方がケガよりずっと心配ですよ」

「…………」

そして、それ以上に心配なのは三蔵の容態だった。

医者に『今夜がヤマ場だ』と言われた事を知っているのは八戒と悟浄だけ。
はもちろん、悟空にも言えるはずはなかった。

持ちこたえられるかどうかというその夜。
それぞれに部屋はあったが、悟空も悟浄も八戒も三蔵の部屋に集まっていた。

会話らしい会話もなく時だけが流れ、床に座り込んでいた悟空は壁にもたれて寝息を立て始めていた。

「てめぇの部屋で寝りゃいいのによ」

「心配なんですよ。やっぱり悟空にとっては大きな存在ですから……」

それでも、取り乱したりはせず、のことを気遣ったりできるあたり、成長したのだと思う。

「……乗り切ってくれると信じましょう」

「当たり前だろ? コイツがそんな簡単に死ぬようなタマかよ」

「そうですね……コーヒーでも淹れましょうか」

「おう。頼むわ」

カップに口をつけている時、部屋のドアが小さくノックされ、二人は顔を見合わせた。

訪問者の心当たりは一人しかいない。
ドアを開けると、そこに立っていたのはやはりだった。

「ねえ、ここにいちゃダメかな? ……たぶん、その方が眠れると思うの」

ろくに眠れていないだろう憔悴しきった姿でそう訴えられては、断ることはできなかった。

が三蔵のケガに責任を感じて自分を責めていることは容易に想像できる。
もう身体よりも心の方が心配だった。

「……いいですよ。どうぞ」

はほっとしたように微笑み、部屋に入ってきた。

「俺らが起きてっから、お前は寝ろよ?」

「うん……ここ、いい?」

はそう言って床に座り、三蔵が寝ているベッドにもたれた。

三蔵の手を両手で包み込むように握り、やがてその瞳が閉じられる。

眠ったに毛布をかけてやりながら、悟浄と八戒はその頬に涙が伝っていることに気付いた。

「夢の中でしか泣けないんですね……」

「……ケガ人のくせに、そんなに気ぃ遣うなよな……」

それでも、眠った事にだけは安心できた。
深い眠りに入れば自分を責めることもないだろうし、体力の回復も早いだろう。

寝ずの番をするつもりで、眠気ざましのコーヒーもおかわりしていたが、連日の看病疲れもあって二人ともいつの間にか眠ってしまっていた。

深夜。
ふと目覚めた悟浄は思わず八戒を起こした。

「これは一体……?」

目を覚ました八戒が問いかけるが、悟浄にもわけがわからなかった。

「お前にも見えるなら、夢じゃねえんだよな?」

二人の目の前には不思議な光景があった。

と三蔵の身体が、淡く金色に光っているのだ。
眩しいほどではないが、あたたかな金色の粒子が二人を取り囲んでいる。

直感的に悪いものではないとは感じたが、その正体まではわからない。
悟浄と八戒は言葉を失くし、ただ見ているだけだった。

しばらくして、フッとその光が消えた。

そして、それを合図にしたように三蔵が意識を取り戻す。

「三蔵」

「やっと気が付いたか」

意識が戻ったのなら、もう大丈夫だろう。
悟浄と八戒はホッと安堵の息をもらした。

「ああ、起きちゃダメですよ。酷いケガだったんですから。
あなた、三日も意識不明だったんですよ」

「……どこも、なんともねえぞ?」

起き上がった三蔵は怪訝そうに言った。

「肋骨が何本かいってたし、内臓も傷ついてたはずだぞ?」

「はあ? 何かの間違いだろ?」

確かに顔色も戻っているし、痛みに呻くこともなく起き上がった様子は、さっきまでずっと瀕死と言ってもいい状態だったとは思えない。

三蔵がベッドにもたれて眠っているに気付いた。

「コイツも一緒に落ちたんだったな……」

「三蔵が上手に庇ってたみたいで、大きなケガはありませんでしたよ。
落ちる前に負っていた傷もあの場で塞ぎました」

「そうか……」

「出血したせいで貧血気味みたいだけどな……
お前が止血したんだろ? それがなかったらヤバかったかもしんねえな……」

話し声に目を覚ましたが起きている三蔵に気づいた。

「三蔵……起きて大丈夫なの……?」

「ああ」

「良かった……」

安心したように微笑みながらそう言うと、はまた眠ってしまった。

「本当に、どこも痛くないんですか?」

「……寝過ぎで腰が痛えくらいだな」

言いながら三蔵はうざったそうに顔に貼られたガーゼや絆創膏をはがし、そこから現れた皮膚には傷の跡さえなかった。

八戒が気を送ったのは崖下での一度きりだ。こんなに早く治るわけがない。
しかし、包帯をとった上半身にも傷や異常は全く見当たらず、悟浄と八戒はまるで狐につままれてでもいるかのような気分だった。

「……様子がおかしいな」

「『おかしい』というか……不思議ですよ」

「つーか『あり得ねえ』だろ?」

「俺の事じゃない。コイツだ」

三蔵の視線の先にはがいる。
その顔色は悪く、ハァハァと苦しそうな息遣いをしていた。

「さっきまでこんなじゃなかったよな?」

「ええ。熱でも出たんでしょうか?」

八戒はの額に手を当ててみたが熱くはない。
夢にうなされているわけでもなさそうだ。

「とりあえず部屋に寝かせて、様子を見てみます」

「……俺が運ぶ」

三蔵がベッドから降りた。

「おい、待てよ。お前には――」

『まだ無理だ』と悟浄が言いかけた時には、三蔵はヒョイッとを抱き上げていた。

「コイツの部屋はどこだ?」

「……ここの右隣です」

(本当に、もう治ってんのか?)

(強がってるわけじゃなさそうですよね……)

三蔵はさっきまで死に掛けていた人間とは思えないようなしっかりした足取りでを部屋まで運んだ。

信じられないことだが、三蔵のケガは全快していた。その体力までも。
翌日からは全く普段どおりだった。

そして、それまで順調に回復していたはずのは、一人では起き上がることもできないほどにひどく衰弱していた。

今度はの部屋に全員が集まって、その容態を見守っている。

「昨日までは歩けるようになってたのに、なんで急にこんなになっちゃったんだろう?」

「やっぱ、あれと関係あんのかな?」

「わかりませんけど……無関係とも思えませんね……」

「なんの話だ?」

悟浄と八戒は、昨夜見た事を話した。

「それって、が三蔵を治したってこと?」

「この状況ではそう考えるのが自然でしょうね」

は何も覚えてねえんだろ?」

「そのようだな」

特異な境遇の中で生きてきたとはいえ、は普通の人間だし、気功が使えるなんて話を聞いたこともない。

しかし、何か、今までとは違う何かが、の中で静かに始まっている気がした。

end

Postscript

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