Potential episode-1 兆し
道らしい道もない山の中は昼間だというのに薄暗く、木々や茂みの間には怒号や銃声、金属音が響いていた。
「なんだぁ? 今、殴り飛ばした奴、消えたぞ!」
「茂みの向こうは坂になってるみたいですからね。
気をつけてくださいよ!」
「つーか、こりゃもう『崖』だろ!?」
『坂』よりも急な傾斜には、木や草やむき出しの岩。
そこを悟空の如意棒や八戒の気功砲に弾き飛ばされた妖怪たちが転がり落ちていく。
「どっちでもいいが落ちるんじゃねえぞ!
探す手間なんかかけさせやがったらブッ殺す!!」
越える者などいなくなって久しいらしい山は、かつて道であったと思われる場所にも低木や草が生い茂り、足場は悪かった。
襲撃を受けたことで初めてその崖の存在に気づけたのは皮肉というものだろう。
「俺はなー、早くまともなメシが食えるとこに行きたいんだよ!!」
「この山、降りりゃすぐ町だしな」
「でも、街中に来られるよりは、こっちの方が被害は少なくて済みますからね」
「くっちゃべってねえで、とっとと片付けろ!」
襲い掛かってくる妖怪たちを倒しながらそんな会話が出来る余裕などにはない。
いつだって自分の身を守ることで精一杯だ。
切りかかってきた刀を短刀で受け止めて堪えていると、銃声と共に相手が倒れた。
「ありがとう」
「礼は全部済んでからにしろ」
言いながら三蔵は庇うようにに背を向け、発砲を続ける。
三蔵の背中を預かれるほどの実力がない事はわかっている。
でも、これをなくさない為には必死でやるしかないのだ。
次の相手をなんとか蹴り倒した直後、弾を込めなおす三蔵に突き向かう刃が視界に入った。
「三蔵!」
は考える間もなく、間に割って入る。
そのわき腹に、鈍く光る切っ先が突き刺さった。
至近距離からの三蔵の銃弾に妖怪が吹き飛んだはずみで刀が抜け、溢れる血がのシャツを赤く染めていく。
踏みとどまろうとする足は痛みによろける。
堪えきれず倒れる茂みの向こうは……崖。
「!!」
伸ばした三蔵の腕がの手首を掴まえたが、身体の落下を止めることは出来なかった。
「「「 ! 三蔵!! 」」」
まだ残る敵の相手をしている三人にはどうすることも出来ない。
二人の身体は木や草の生えた斜面をガサガサ、バキバキと音を立てながら転がり落ちていった……
残りの妖怪を大急ぎで片付けた三人は、崖を降りながら必死で二人を探した。
あんな落ち方をして無傷でいられるわけはない。
その上、は落ちる前に既に傷を負っていたのだ。
予想以上に時間をくって、やっと崖下で見つけた二人は意識をなくしていた。
だが、息があっただけ幸いと言うべきかもしれない。
これがクッションになる草木のない断崖だったならば命はなかっただろう。
のわき腹の刺し傷には止血の応急措置が施してあった。
包帯代わりに巻かれた黒い布は三蔵のアンダーシャツ。
必然的に裸になっている三蔵の上半身には擦過傷や大きな痣がいくつもあり、不自然な腫れ方をしている箇所は骨折や内部での出血の可能性があると思われた。
とり急ぎ、出血のある大きな外傷を八戒の気功で塞ぎ、ジープで町までの道を急いだ。
(……どこ……?)
意識を取り戻したの目に映ったのは見慣れない天井だった。
身じろぐと身体のあちこちが痛む。
「気がついたか?」
その声に視線を動かすと、ベッドサイドの椅子に腰掛けた悟浄に行き着いた。
「……ここは……?」
「町の宿だ。山、下ったトコのな」
「そう……私、なんで……」
寝ている理由がわからなくて、訊こうとして思い出した。
「ねえ! 三蔵は!? 三蔵も一緒に落ち――つっ!」
反射的に起こそうとした身体に激痛が走る。
「ああ、ほら、無理すんな! お前、丸一日寝てたんだぞ?
わき腹の傷は八戒が塞いだけど、他にも打撲とか擦り傷とかあんだから……」
悟浄はの肩を押さえて寝るように促した。
「……三蔵は?」
「隣の部屋に寝てるよ。八戒と悟空がついてる」
「ケガ、酷いの?」
「まあ……無傷ってわけにはいかなかったみてーだな。
でも、医者にも診せたし、心配はいらねえよ」
「本当に……?」
「ああ。それよりも今は自分の身体のこと考えな……
お前が目ぇ覚ましたってあいつらに教えてくっから。
大人しく寝てるんだぞ?」
「……うん……」
一人になっては三蔵のことを考えた。
落ちる間、三蔵は庇うように自分を抱え込んでいた。
きっと、自分より酷いケガをしているはずだ。
悟浄が出て行ったのは、三蔵の容態を詳しく訊かれるのを避ける為だったのかもしれない。
自分のせいで三蔵まで崖から落ちてしまった。
ケガの具合はどうなのだろう?
心配で、申し訳なくて、溢れそうになった涙を必死で堪えた。
泣いたらまた、皆に余計な気遣いをさせてしまうだろう。
もう、これ以上、心配をかけたくはなかった。
その後、八戒や悟空が顔を見せた時もそれ以降も、は三蔵の事は訊かなかった。
訊いても本当の事は教えてもらえないだろう事も、ケガをしている自分に余計な心配をさせまいと気を使ってくれているという事も、わかっていたからだ。
早く起きられるようになって、自分で確認すればいいのだ。
そう思って、押しつぶされそうな不安に耐えた。
翌日の午後。
何もわからないまま寝ていることにもう我慢ができなくなって、は身体を起こした。
部屋に来る誰も、三蔵のことを話題にしない。
快方に向かっているのなら、その報告くらいしてくれるはずだろうに、それがない。
ということはつまり、良くない状態が続いているのだとしか思えなかった。
ベッドから降りて立ち上がる時も、前に足を踏み出した時も、動かす度に身体は痛んだし、地に足が着かないような浮遊感に頭がクラクラしたが、早く三蔵の顔が見たかった。
壁に手をつきながら廊下を歩き、その部屋のドアをノックした。
「はい?」
返事をしながらドアを開けた八戒が少し驚いたような顔をした。
「……」
「ごめん……でも、どうしても気になったから……
三蔵の具合、どうなの?」
「ダメですよ。寝てなきゃ」
「せっかく来たんだから、顔くらい見せて……」
泣きそうな目で言われて、八戒は断れなかった。
「……少しだけですよ?」
「うん……」
ヨロヨロと歩き始めたを八戒は横から支えた。
「……」
心配そうに声を掛けた悟空に、は
「大丈夫よ」
と、声を返すが、無理に作ったような青白い笑顔は傍目には痛々しく、悟浄は小さくため息をついた。
(歩くのもやっとって感じのクセしてよ……)
それでも様子を見に来ずにはいられなかったのだろう。
そう思うと切なかった。
ベッドサイドの椅子に腰掛けて、は眠る三蔵を見た。
額や頬にガーゼや絆創膏の貼られた顔色は悪く、毛布から僅かに見える肩には包帯。
「今、ちょっと眠ってますけど……」
八戒はそう言ったが、実は嘘だった。
あれからまだ一度も三蔵の意識は戻っていない。
医者に診てもらい、出来うる限りの処置をしてもらったが、あとは本人の体力次第だった。
「……『そばに付いていたい』なんて言ったら、怒る?」
ぽつりと訊いたに
「当たり前です!」
「そんなフラフラで何が出来んだよ?」
「三蔵のこと心配してんのはだけじゃないんだぞ?」
一斉に言葉が返ってきた。
その少し強い口調は、三人もそれぞれに心配や不安を抱えている証拠だろう。
「…………ごめん……訊いてみただけだから……」
自嘲気味に言われて三人は、ケガ人相手にこんな言い方をすることもなかったな、と、少し反省した。
「の気持ちもわかるけどさ……」
「お前もケガしてんだぞ?」
「今は、自分の身体を大事にしてください」
「……うん……」
「あまり起きてると身体に障りますよ?
三蔵には僕たちがちゃんと付いてますから」
「ほら、部屋まで連れてってやっから」
そう言って悟浄がを抱え上げる。
「無理しちゃダメだぞ?」
「うん……ごめんなさい……」
運ばれていくの視線は、ずっと三蔵に注がれたままだった。