Close to me-2

三蔵は悟浄が出て行ったドアが閉まるのを確認して、に目を戻した。

(ったく、油断も隙もねえな……いや、コイツに隙がありすぎるのか)

何があったかも知らずに眠っているの呑気な寝顔に腹が立つ。

「おい! 起きろ」

そう肩を揺さぶると、もさすがに目を覚ました。

膝の上の本が床に滑り落ちる。

普段の半分ほどにしか開かれていない目はトロンとして眠そうだ。

「寝るならちゃんと寝床に入れ」

「ん……」

うなずいた目が床の本を発見したらしい、テーブルの上に拾い上げ、立ち上がると目をこすりながらフラフラとベッドへ向かった。

ポフッとベッドに倒れこみ、もそもそと毛布に包まる。

そのまますぐに寝入ってしまったようだ。

警戒心の欠片もない安心しきった寝顔。

ここまで無防備にされると、信頼されているというより、男と一緒にいるということを忘れられているのではないかという気になる。

「ここは二人部屋で、俺だって男なんだぞ。わかってんのか?」

夢の中にいるが返事をするはずもない。

三蔵はため息をついて部屋の灯りを消し、床に入ったが、わけのわからないイラつきになかなか眠れなかった。

深夜。小さな物音と気配に三蔵は目を覚ました。
とっさに目をやった隣のベッドは空。

反射的に起き上がると、ドアに手をかけているの後姿が目に入った。

「どこへ行く?」

声をかけるとは、いたずらを見咎められた子供のようにビクッと身体を強張らせ、動きを止めた。

「……ごめん……起こしたくなかったから……出てこうと思ったんだけど……」

こちらに背をむけたままうつむいて答える、震える涙声。

「……嫌な夢でも見たのか?」

は何も言わず、大きく首を横に振った。

確かに今夜は雷も鳴っていないし、最近は雷の日でもがうなされることは少なくなっていた。

「なんだか知らんが、泣きたかったら泣け。周りなんざ気にするな。
そうやって無理に呑み込んで、一人で抱えようとするから辛くなるんだ」

「でも……ウザくない?」

やっと振り向いたの目は真っ赤で、声を殺そうと噛み締めたあごは細かく震えている。

「一人で泣かれるよりマシだ」

そう言ってやると両手で顔を覆い、堪えきれないように嗚咽を漏らし始めた。

庇護欲だけではない、よくわからない感情が胸に満ちていく。

そのままひとしきり泣くと、は少し落ち着いたようだ。

戻ってきて自分のベッドに腰掛けた。

「……起こして、ごめんね……」

まだ涙は止まらないが話はできるようになったらしい。

「わけぐらい教えろ」

「……知ってる人に似た顔を見たからかな……」

そんなに好きな奴だったのかと思うと、胸にチリッと焼け付くような痛みが走った。

「そういえば今日はお母さんとお兄ちゃんの月命日だなって気が付いて、そしたらなんか、昔のこと、いろいろ思い出しちゃって……」

(……家族のことを考えていたのか……)

「見たのはいい夢だったの。
子供の頃の、お母さんもお兄ちゃんもいて、普通に、当たり前に倖せだった頃の夢……
一人で旅をしてる頃はそんな思い出だけが心の支えだったのに……皆に会って……元に戻れて……今、すごく倖せで……」

じゃあ、何をそんなに泣くことがあるのかと不思議に思う三蔵に、は続ける。

「最近は、お母さんやお兄ちゃんのことを思い出すことも少なくなってた……
特にお兄ちゃんは私を助けるために死んだようなものなのに、自分だけが倖せで、そんなふうで……それが……申し訳なくて‥っ」

そこで言葉をきるとは、また、ぽろぽろと大粒の涙をこぼした。

を塞ぎ込ませていたものの正体がわかった。

――生き残ってしまった者の死者に対する罪悪感――

――大切な記憶が遠くなっていく恐怖と自責――

すべてを過去のものと割り切ることなど、とてもできるではないだろう。

そして、その優しさ故に自己嫌悪に陥っている……

三蔵は静かに口を開いた。

「仕方ねえだろう。お前は、今、生きてるんだ」

「 ? 」

『よくわからない』というような表情を浮かべたに三蔵は言ってやった。

「人も動物も生きている以上、多かれ少なかれ他の命を犠牲にしているもんだ。
食わなきゃ生きていけんし、殺さなければ殺される、そんな時代だからな」

「…………」

は無言だったが、その表情は少し変わった。
三蔵は続けて言い聞かせる。

「悪いと思うなら、犠牲になった命を背負ってその分まで生きろ。
それが相手に対する礼儀であり、生きている者の義務だ」

「……やっぱり、三蔵ってお坊さんなんだね」

「あん?」

「すごい説得力……うん、そうだね……
それに、私が倖せでいるなら、二人とも喜んでくれるよね……?」

「……お前がそう思うのならそうだろ」

「……ありがとう……」

まだ頬に涙は残っているが、は穏やかな笑みを浮かべている。

この宿に入ってからは見られなかった、意識的に作られたのではない笑顔。

それが自分の心も穏やかにしてくれていることに気付く。

コイツのこういう顔を見るのは……悪くない……

「気が済んだなら、早く寝ろ」

「うん……おやすみなさい……」

泣き疲れていたのか、じきには眠ってしまったようだ。

(だから、なんでコイツはこうも無防備に眠れるんだ?)

悟浄がなにをしようとしていたかくらいはわかる。

『未遂だ』という言葉がなければあのまま発砲していたかもしれない。

そう思った時、八戒の言葉が蘇った。

『……妬いてるんですか?』

(‥っ……!)

まさかとは思う。

しかし、に気持ちを振り回されていることは否定できない。

『一人で泣かれるよりマシだ』などと、らしくないことを言ってしまった事にも自嘲する。

を拾ってから、調子が狂いっぱなしだ。

(…………ザマぁねえな……)

の寝顔から視線を外してベッドに横になり、ゴロリと背を向ける。

こんな気持ちは初めてだ。

目を閉じて、まどろみの中で思う。

一人で泣いてると思うと、居ても立ってもいられない。

他の奴の前で泣くなんざ許せねえ。

泣きたい時は、俺のそばで泣け。

end

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