Close to me 曇りのち晴れ
「? どうした?」
やっと辿り着いた町で宿を探しながら歩いていた一行は、悟浄の声に振り返った。
見ると、いつもなら遅れても数歩分でちゃんとついてきているが、後方を振り返った姿勢のまま、数メートル後ろに立ち止まっている。
「あ、なんでもないの。ごめん」
悟浄の声が聞こえたらしく、は小走りで追いついてきた。
四人は特に気にすることもなく視線を前に戻して目当ての建物を探し、見つけた。
「ほら、そこが宿みたいですから、入りますよ」
「あー、これでやっとまともなメシが食えるー!」
三日、野宿が続いた後だ。
多少古びていても宿に泊まれるのならマシだった。
しかし、そこには二人部屋が二つしか空きがなかった。
その上、この町に他に宿屋はないという。
なんとか交渉して片方の部屋に予備のベッドを入れてもらうことになった。
二人部屋に三つのベッドでは、窮屈なのは目に見えている。
いつものようにカードで部屋割りを決めることになったが、悟空と悟浄は大いに盛り上がった。
二人の主張で、勝負事に強い八戒はカードを引かせてもらえず、最後に残った一枚ということになったくらいだ。
いつもならそんな騒がしいやりとりをニコニコしながら見ているが、どこか上の空だということに気付く。
自分がカードを引く番になったことを、言われるまでわかっていなかったのだ。
そんなが二人部屋を意味するハートを引いたのは無欲の勝利といったところか。
結局、ハートを引いたのはと三蔵だった。
悔しがる悟空と悟浄に追い討ちをかけた『邪念が多すぎなんだ』という三蔵のセリフも、の耳には入っていなかったらしい。
ただ、黙って四人の後に従っていた。
予備のベッドを入れてもらう間、三人もとりあえず三蔵との部屋に居させてもらうことにしたのだが、部屋に入ってからも、の心ここにあらず、という様子は続いていた。
「? なんかさっきから変じゃねえ?」
「え? そう?」
悟空が声を掛けるとは小首をかしげた。
「ここ数日、野宿が続いてましたからね。疲れてるんじゃないんですか?」
八戒が訊くと
「そんなことないよ
……さっき昔の知り合いにそっくりな人、見かけちゃって、ちょっと『懐かしいモード』に入っちゃってたみたい。
心配させてごめんね」
はそう釈明して謝った。
「……『知り合い』って、恋人だったりとか?」
「えっ……? 違うよ!」
冗談めかして言った悟浄にうろたえるように答えたの頬には朱が走っている。
(……正直な人ですねえ)
(虚を突かれると弱いんだな。覚えとこ)
八戒と悟浄の表情にごまかしきれていない雰囲気を察したは
「……そりゃ、好きだったけどね。片想いだったし……」
口ごもるように白状した。
「ふーん。どんな奴だったんだ?」
悟空の質問は無邪気な好奇心。
「え〜?」
は困ったように額に手を当てたが、にこにこと期待してるような悟空の視線に負けたらしく、口を開いた。
「……ハンサムじゃなかったけどね、すごくいい人だったよ。
厳しいところもあったけど、本当はとても優しい人でね……
いろいろ良くしてもらったし……大好きだった……」
はにかみながら、懐かしむように、いとおしむように話す笑顔は可愛らしく見えた。
「でも、昔のことだしね」
少し大きな声でそう話を切り上げると、は『洗濯してくる』と言って、洗い物の入った袋を抱え部屋を出て行った。
男四人が残された部屋の中に微妙な空気が漂う。
「……妬いてるんですか?」
( ! )
「まっさかー! 昔の、それも片想いの相手に妬いたってしょうがねえだろ」
「でも『おもしろくない』って顔に書いてありますよ」
(二人ともね)
自分の言葉に悟浄が答える前に、三蔵もピクリと反応していたことに八戒は気付いていた。
「でも、好きな相手のこと話す女の子って可愛いな」
「「「 え? 」」」
悟空のものとは思えない言葉に耳を疑った三人だった……
その後、は普段と変わりないように振舞っていた。
三人が残りの買出しに行っている間に入浴と洗濯は済ませたそうだ。
『先にお風呂に入れば今日着てた服も洗えるし』というあたり合理的でらしい。
部屋に浴室がない代わりに温泉の大浴場がある宿だったので、『明るいうちに入る広いお風呂は気持ちよかった』そうだ。
しかし、食欲はあまりないようだったし、ふとした拍子にぼんやりしていたり、ため息をついていたりする。
普段、よく笑う分、その笑顔の曇りは目立った。
「やっぱり、広いお風呂は気持ちいいですね〜。外には露天もあるみたいですよ」
大浴場の湯船に浸かりながら、八戒が言った。
「せっかくの温泉なんだからよ、露天くらい混浴にしろっての。
おい! コラ! 泳ぐな、猿!!」
「なんだよー! 今は俺たちしかいないんだからいいじゃん」
「三蔵が『あとで入る』って言ったのは正解でしたね……」
その時カラリと浴室の引き戸が音をたて、他の客が入ってきたので、さすがに悟空も大人しく二人の横に並んだ。
「……なあ、今日の、元気なくない?」
「好きだった人のことでも考えてるんですかねえ?」
「さーな」
「そういえば、術をかけられる前のの話ってほとんど聞いたことないな……」
気にはなるけれど、何故かしら、訊いてはいけない事のようにも思える。
考えているとのぼせてしまいそうなので、切り上げた。
「あー、あの部屋、狭ーんだよなー。俺、もうしばらくこの辺にいるわ」
「じゃ、僕たちは先に部屋に戻ってますよ」
「おー」
悟浄はロビーのソファーに座り、ハイライトに火をつけた。
(なんだかなー……)
様子がおかしいの事も気になるが、そんなと三蔵が二人部屋だという事がもっと気になる。
三人があがる頃を見計らってきた三蔵と脱衣所で会った時の仏頂面を思い出す。
あの男に女の子を元気づけるなんて芸当ができるはずないし、そもそも、そういった発想すら浮かばないだろう。
むしろ追い討ちをかけるタイプに見える。
本人が何も言わないのなら、そっとしておくべきだとはわかっている。
だが、今日のは放っておけない気分だ。
ちょっと様子を見るくらいはいいだろう。
何本目かのタバコをもみ消し、その場を後にした。
悟浄が部屋を覗くとまだ三蔵の姿はなく、は椅子に座ったまま眠っていた。
膝の上には読みかけの本。
「、そんなとこで寝てっと風邪ひくぞ」
声をかけながら近づいたが、起きる気配はない。
首を後ろにそらせ、天を仰ぐような姿勢をしているので、顔がよく見える。
(かーわいー顔しちゃって……)
昼に見た、はにかんだ笑顔がそれに重なった。
(ああ。確かに妬いてるよ。
コイツにあんな顔させられる男がいるってだけで、ムカつく!)
少しあどけなさの残る無防備な寝顔。
あごを突き出すような格好になっている為、薄くわずかに開いているつややかな唇。
これを味わったことのある男は、もういるのだろうか?
悟浄は誘われるように顔を近づけていった。
寝息が顔にかかり、もう少しで触れそうになった時
コツ
後頭部に何か硬いものが当たった。身体の動きが止まる。
カチャリ……
聞きなれたそれは銃の撃鉄を起こした音。
「わ! わっ! ちょいタンマ!!」
悟浄は慌てて両手を挙げた。
「未遂だよ! 未遂!! ……ちょっと魔が差しただけだって!!」
「……お前の部屋は隣だ」
「わーってるって。
塞いでるみたいだったから、ちょっと様子を見に来ただけだよ」
邪魔をされたのは残念だったが、同時にホッとしてもいた。
眠ってる女に手を出そうとするなんて、本当にどうかしている。
「じゃな」
部屋を出て行きながら、悟浄は声には出さず口の中でつぶやいた。
(さーんきゅ……)