Brothers-2
宿をとって二日目。
熱が出たり下がったりでまだ体調の芳しくないはベッドで休養し、三蔵は新聞を読んだり昼寝をしたりして過ごした。
部屋に閉じこもりっぱなしの暇つぶしに、悟空は間食、悟浄は喫煙を続け、八戒は買出しに出かけなければならなかったし、暇をもてあました二人がうるさくてあまり落ち着いては過ごせなかったが、それなりにのんびりすることはできた。
平和といえば平和だったが、やはり食事は同じ部屋で摂ったので、その間の三蔵の機嫌は悪かった。
「だから、なんで、お前らまで一緒に食ってんだよ?」
「いいじゃん」
「野郎ばっかで食っても美味くねーんだよ」
「食事の時は是が非でも配膳の人に対応しないといけないでしょう?
直接的な詮索はしないにしても、こんな格好でいる限り、怪しまれている事は確かです。
人数が多い方が一人一人に注目する時間が短くなりますからね。
『木は森に隠せ』って奴ですよ」
八戒の言う事も尤もで、三蔵はそれ以上文句が言えなくなってしまった。
八戒の言う『木』にあたるのは三蔵なのだから。
「"三郎兄さん"のすることってさ、時々、真面目なんだか不真面目なんだかわからない事あるよね?」
夕食の片付けも終わって二人きりになり、室内のユニットバスで入浴も済ませた三蔵が新聞を読んでいる時にが言った。
「それに面白がってノッてるのは誰だ?」
新聞から目を離さないまま不機嫌な声で答える三蔵には苦笑する。
面白がっているのは事実だ。
「だって、一応、理に適ってはいるじゃない。
それにさ、いつ、どんな理由で宿の人が部屋に来るかわかんないんだから、気をつけておいた方がいいと思うの」
話している間にベッドにいたはずのの声が近くなって、三蔵は顔をあげた。
は立ち上がってテーブルのすぐ傍まで来ている。
「どうした?」
「お風呂」
「明日にしろ」
「えー!? ヤだ!」
「まだ、本調子じゃねえんだろうが」
「だって、昨日も我慢したのよ? その前は野宿だったし。今日は入るー!」
そう駄々を捏ねては口を尖らせる。
確かに昨日も『風呂に入る』というを叱り付けてやめさせた。
「……好きにしろ」
三蔵は折れ、
「好きにするー!」
と、ユニットバスの中に入っていくをため息で送った。
程なくシャワーの音が聞こえ始め、そのうち、それにの鼻歌が混じりだす。
三蔵は再びため息をついて新聞に目を戻した。
しばらくして三蔵はふと気付いた。
遅い。
元々には長風呂の傾向があるが、いつもより長い。
(寝てんじゃねえだろうな?)
そう思った時、ユニットバスの中からバシャンという大きな水音が聞こえてきた。
反射的に立ち上がり、ドアノブに手を掛ける。
幸いロックは掛かっていなかった。
開いたドアから湯気が溢れる。
は浴槽の縁にすがるようにして湯船に浸かっていた。
その表情は、昨日、発熱に気付いた時のそれに似ていて、三蔵が入ってきたことにも気付いていないようだった。
「おい!」
声を掛けながら肩を掴んで揺すると、はゆっくり顔をあげた。
「あ……」
「何やってんだ!?」
「……あがろうとしたら、立ちくらみしちゃって……」
三蔵は舌打ちしながらを抱えて立たせた。
「だから止めたんだ」
の肩にバスタオルを掛け、抱え上げてベッドまで運ぶ。
は恥ずかしそうにしながら身体を拭き、もたもたと服を着た。
入浴したことで体力を消耗してしまったらしい。
そして、ベッドに入って横になると大きくため息をついた。
たぶん、身体を起こしているのが辛いのだろう。
「貧血の奴が長風呂なんか入ってんじゃねえよ」
「ごめんなさい……久しぶりだったから気持ちよくて……」
叱られたはしゅんとしている。
それなりに反省はしているようだ。
「薬はちゃんと飲んでんだろうな?」
「あ……夜の分、飲むの忘れてた」
三蔵の確認に答えるの声がだんだん小さくなるのと同時に、三蔵の眉間に皺が寄る。
「治るモンも治らねえだろうが!」
「ごめんなさいっ!」
謝りながら毛布を引っ張り上げて顔を隠したに、三蔵は今夜何度目かのため息をついた。
コップに水を汲み、ベッドサイドのローテーブルに置いてあった薬の袋を手に取る。
顔の上半分だけ毛布から覗かせたが、起き上がろうと身体を動かすのを見て、悪戯心が起きた。
手早く取り出した錠剤を自分の口に放り込み、コップの水を含む。
そして、体を半分起こしたまま『え? なんで?』とでも言いたげな顔をしているに、襲い掛かる勢いで口付けた。
「んーっ!」
声になってない声を上げながら、の身体がベッドに沈む。
三蔵は自分の口の中のものをの口に流し込み、はそれを受け入れた。
嚥下する喉が小さな音を立てる。
それが聞こえても三蔵はの唇を離さなかった。
ここのところ、野宿が多かったり何かと慌しかったりで、肌を合わせる事はおろか、唇を重ねることさえなかったのだ。
久々の感触をじっくり味わって、名残を惜しみながら顔をあげた。
これ以上続けていれば、自分を抑えられなくなる。
まだ体調に不安の残るをそれに付き合わせるわけにはいかない。
は湯上りのせいだけではなく顔を赤くして、小さく
「……バカ……」
と、呟いた。
こういう時のはボキャブラリーが極端に貧弱になる。
「続きはまた今度な」
言ってやると、はまた頭から毛布を被ってしまった。
三蔵は笑いを殺しながら部屋の灯りを消し、自分のベッドに入った。
その耳に、呟くようなの声が届く。
「……早く元気になるからね」
『続きは――』の言葉に込められた『とっとと身体を治せ』という三蔵の気持ちは伝わっていたらしい。
「いいから、早く寝ろ」
素直ではない三蔵はそう言ってしまったけれど、二人とも温かい気持ちで眠ることができたのだった。
三日目。
の熱は下がっていたが、念の為と、今日まで横になっていることを四人に厳命され、大人しくベッドに入っていた。
四人も昨日と同様に過ごし、今日の買出しには八戒と悟浄の二人で出掛けていた。
悟空は十分な食料さえ与えておけば大人しく留守番をしてくれるし、逆に連れて行くと余計な買い物が増える為だった。
買い物から帰った二人が廊下を歩いていると、空き部屋の掃除をしているらしい宿の従業員たちの話し声が聞こえてきた。
つい立ち止まってしまったのは、話題になっているのが自分たちの事だったからだ。
兄弟らしいがどうも胡散臭いと怪しまれている。
「でね、もっと変だなと思ったのはー」
「なに? なに?」
「昨夜、通りかかった時に大きな水音が聞こえたのよ。
ちょうど二人で使ってる部屋の前でね。つい、聞き耳を立てちゃって。
まあ、話の内容まではわからなかったんだけど、浴室の中で話してるっぽくて……」
「ええー? 兄妹で一緒にお風呂に入ってたってことー?」
「断言はできないけど、もしかしたらそうなのかもって……」
悟浄と八戒は同時にため息をついた。
外出や他人との接触を控えても、こんな形で注目されてしまっては元も子もない。
「……何やってんだよ、"太郎兄さん"は……」
「そっち方面にも釘を刺しておくべきでしたね……」
二人に気付いた従業員が作業の手を止める。
「あ、あの……」
「申し訳ありません」
宿で働く者としてはあるまじき失態に身を縮こまらせている従業員たちに、八戒は
「いいえ、こちらのほうこそ、いろいろとお騒がせして……」
と、済まなそうな顔を見せ、続けた。
「実は……"花子"だけは誰とも血が繋がっていないんです」
『おいおい』という表情を浮かべた悟浄に構わず、八戒は"花子"の身の上話を披露した。
それは――
自分たちの父親の親友が身重の妻を遺して死んでしまった。
その後、その妻も出産時に命を落としてしまい、産まれたばかりでまだ名前もない赤ん坊が一人きりで遺された。
父はその子を引き取り花子と名付けて育てた――
という、取ってつけたような人情話。
更に、父は"花子"を自分の息子たちのうちの誰かの嫁にと考え、それに乗せられてその気になってしまったのが長兄の"太郎"なのだと付け加え、だから、あの二人には新婚の客に応対する時のような接客態度をとって欲しい、と、頼んだ。
この設定ならば"花子"だけがサングラスではない理由の説明もつく。
宿の人間の疑問をすべて解消し、且つ、こちらへの必要以上の詮索を防ぐ素晴らしいでっち上げだったが、悟浄は笑いを堪えるのに苦労した。
「……お前って、ホント、詐欺師な」
部屋に戻ってから言った悟浄に、八戒は
「褒め言葉ととっておきますよ」
と、悪びれたふうも見せずに笑った。
夕食の時、三蔵とは、配膳担当の者たちの態度が微妙に変わった――それまでに感じていた視線を感じなくなった――事に気付いたが、その原因までは知る由もなく、落ち着いた気分で食事を摂れることにホッとしていた。
結果的に正解だったらしい"三郎"の打ち明け話は、悟浄と八戒の胸の内に納められたままだったが、悟浄は改めて八戒という男の食えなさを再確認したのだった。
四日目。
床を上げたは完全に復調できたようだった。
瓶底メガネにおさげという格好で元気に動き回り、洗濯をしたり買出しに行ったりもしたが、熱を出すことも疲労を感じることもなく、一行は翌日の出立を決めた。
そして、五日目。
朝食を摂った後で、五人は宿を発った。
最後まで正体がバレずに済んだのは喜ばしい事だったが、それが不本意ながらずっと付き合わされた猿芝居の成果だと思うと複雑な心境の三蔵だった。
「ハァ〜ッ……何事もなく済んで良かったよ」
ずっとその行動に注意を払っていた怪しい連中が出発して、宿の主人は胸を撫で下ろしていた。
「おや、あの御一行はお発ちになったのかい?」
呑気に声を掛けてきた母親はお茶の誘いにきたようで
「ええ。やっと肩の荷が下りましたよ」
主人はそう言いながらそれにのった。
「またお立ち寄りいただきたいもんだねえ」
湯呑みを抱えて言う母親に主人は苦笑した。
「勘弁してくださいよ。もう御免ですよ」
「お前ね、そんなこと言っちゃバチが当たるよ?」
「『バチ』ですか?」
「あれは三蔵法師様の御一行だよ?」
「はい?」
主人は湯呑みを取り落としそうになった。
「お前、気がついてなかったのかい?
金髪の御方の額に赤いホクロみたいなものがあったろう? あれは『チャクラ』って言って、その証なんだよ」
「……全然わかりませんでした……お母さんはいつから気付いてたんですか?」
「最初にいらした時に気付いたさ」
「じゃあ、なんで黙ってたんです!?」
「あんな風に身をやつして、あんなあからさまな偽名を使うなんて、よっぽど身分を隠したがってらっしゃるんだと思ってね……
お客様の意を汲んで見て見ぬ振りをすることも、宿屋のサービスの一つだよ」
そう言ってかつての大女将は茶を啜り、主人は接客業の年季の違いを思い知らされた。
その後、宿の主人は混乱することになる。
『三蔵法師御一行様』が泊まった二つの部屋には飲酒や喫煙の跡があり、その上、女と二人で部屋を使っていたのが『三蔵法師様』だったらしいと知るのである。
どこまでも人騒がせな三蔵一行なのだった。
end