Sensible temperature
ブルッと身体が震えて目が覚めた。
どこからか吹き込む隙間風のせいだ。
三蔵は無意識のうちに頭を起こし、その出所を探すように室内を見渡した。
しかし、消灯した室内は暗く、薄いカーテン越しに入る月明かりだけではとてもその場所を見つけることなどできない。
今日の宿は、最初、これで本当に営業しているのかと疑ってしまったほど古かった。
嫌な予感がしたとおり、ドアや窓の建てつけにもガタがきている。
深夜ということもあり、五人で泊まっている室内は冷え切っていた。
それぞれのベッドに寝ている他の連中も、身体を丸めている。
三蔵も頭を枕に戻し、年季の入った夜具に包まった。
(……寒さは野宿と大して変わらねえな)
昨日は森の中での野宿だった。
幸いにもほぼ無風だったが気温の低さはどうにもならなかった。
ローブに身体を包んでいても地面から上ってくるような冷気に対しては気休め程度にしかならない。
携帯食の粗末な夕食では腹は膨れないし、空腹だと寒さは骨身にしみる。
気温の低さとカロリー不足が安眠を妨げていた。
大体、ジープでの野宿の場合、寒さをしのぐという意味では人口密度の高い後部座席の方が有利なのだ。
しかも、は毛布を羽織っているので、両隣の悟空と悟浄もそれなりに温かさを感じることができるだろう。
振り向いてみれば三人は、悟浄にが、そしてに悟空が、という順に寄りかかりあって眠っていた。
それぞれの暢気な寝顔は、今、思い出しても三蔵をムカつかせる。
その感情の動きの理由などどうでもいい。
どういう理由であれ、ムカつくことに変わりはないのだ。
不毛な怒りのためにこれ以上寝つきを悪くするのもごめんだ。
(……横になれるだけマシだな)
三蔵はそう諦めて浅い眠りについた。
翌日。
日中の好天や敵襲がなかったことで移動は快調に進み、そのおかげで、夕方には次の町に着くことができた。
今日の宿は町の中で一番立派だと評判のところにした。
今夜は昨日よりも冷え込みそうだという予報だったし、前日の古い安宿に皆、懲りていたからだ。
風邪でもひけば行程に影響が出てしまうのだし、たまにはこれくらいの贅沢をしても構わないだろう。
いつものように2−3に別れて入った部屋は、洋風の落ち着いた雰囲気で、暖房も完備されていたし寝具の質も良い。これなら今夜は快適に過ごせそうだ。
一行は評判どおりの設備の良さに満足しながら食事に出かけた。
食事を終えて部屋に戻ると室内は暖かかった。
「部屋を出る時、暖房のタイマーをセットしといたの。
丁度良く暖まってるね」
にこにこと笑いながら言ったは続けて
「何か飲む?」
と、訊いてきた。
「ああ……茶を淹れろ」
言いながらソファーに腰を降ろすと『はーい』という返事が聞こえ、ほどなくして目の前のローテーブルに湯呑みが置かれた。
手に取って一口啜る。
すぐに向かいに座るだろうと思っていたが、まだ来ないのでそちらを見てみると、は立ったままでコップの水を飲んでいた。
「座って飲みゃいいだろう?」
三蔵が言うと
「あ、ごめんなさい」
はそう謝った。
行儀が悪いと咎められたとでも思ったのだろう。
そういうつもりではなかったのだが、ではどういうつもりだったのかと訊かれるのも面倒で黙っておいた。
「風邪薬、飲んだだけだから」
「『風邪薬』?」
本を手にやっと座ったのセリフに、つい聞き返す。
「うん。風邪気味ってほどでもないんだけどね、ちょっと喉の奥が痛いから……
念の為」
確かにここ数日は、風邪を引いても仕方ないような環境だった。
風邪は引き始めの対処が肝心なので、適切な判断だろう。
「こじらせんじゃねえぞ?」
三蔵はそれだけ言って、新聞を開いた。
入浴を済ませた後も、三蔵は座り心地の良いソファーで新聞を読みながら寛いでいた。
入れ替わりに浴室に入ったが使うドライヤーの音がドア越しに聞こえてくる。
不機嫌な時には耳障りに感じてしまうことがあるそれも自然に聞き流せるほど穏やかな気分だった。
やがてユニットバスから出てきたが風呂上りの水分補給に冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
その背中に声を掛ける。
「おい、コーヒー」
「はーい、ちょっと待ってね」
返事をしたは自分の用事を中断してコーヒーを淹れ、三蔵に出した後で水のペットボトルを持って三蔵の向かいに座った。
「これ飲んだら先に寝るね。
カップは明日片付けるからそのままにしといて」
「随分、早寝だな」
「風邪薬飲んだせいかな? なんか眠いの。
あ、部屋の明かりは点いてても大丈夫だから」
「ああ」
そんな会話をした後ではベッドに入り、三蔵はゆっくりとコーヒーを味わった。
静かに時間を過ごすことを好むので、話し相手は特に必要ではない。
カップが空になっても、快適な空間とタバコがあればそれでいい。
三蔵はその後もしばらく、ゆったりとしたひとときを静かに楽しんだ。
ふと気付くと、タバコが最後の一本になっていた。
暖房は入っているものの身体も少し冷えてきた気がする。
(……そろそろ寝るか……)
先に床に付いたはとっくに寝入り、安らかな寝息を立てている。
タバコを揉み消した三蔵はベッドサイドのランプを点けて部屋の明かりを消し、自分のベッドに入った。
が――
「チッ!」
舌打ちをした三蔵の眉間に皺が寄る。
寝心地は良さそうだと思ったベッドなのに、シーツが冷たいのだ。
入浴から時間が経っているせいだが、今更悔やんでも遅い。
自業自得なのかもしれないが、苛立ちは抑えられなかった。
部屋自体は温かいはずなのに、何故、寒いと思わねばならないのか。
これでは昨日の宿と大して変わらないではないか。
このまま自分の体温で布団が温もるのを待つのは面倒だ。
そう、すぐ隣に、ほどよく暖まっているであろうベッドがあるのだ。
良い宿を選んだ甲斐あって設置してあるベッドは広く、大人が二人並んで寝られるスペースは十分にある。
三蔵は躊躇いもなくのベッドへと移動した。
もぐり込んだ寝具は期待どおりの暖かさで三蔵の身体を包む。
満足感に身体から力が抜け、ため息が漏れた。
すぐ横ではが行儀良く仰臥して眠り込み、寝顔を無防備に晒している。
もっと暖まりたくて、熱源であるの肩に手を掛けて引き寄せ、腕に抱き込んだ。
「ん……?」
小さな声を出したが身じろいで薄く目を開ける。
体勢が変わったことで、目が覚めてしまったらしい。
寝惚けているに状況判断が出来ているのかどうかはわからない。
ただ、三蔵と目が合うと、は蕩けるように笑った。
そのまま、甘えるように擦り寄ってくるの身体を抱き締める。
どんなに高性能の暖房器具よりも、どんなに上質の夜具よりも、心地良いぬくもりが腕の中にあった。
(……これからの時期はこれに限るかもだな……)
それは、三蔵が最も快適な冬の夜の過ごし方に気付いた初冬の夜だった。
end