何処にいても

「はぁ……」

宿の部屋に入るとは大きくため息をついた。

皆と一緒にいた間は普通に笑えていたのに、一人になった途端、テンションは急降下してしまった。

そうなってしまった理由はわかっている。

三蔵がいないからだ。

――この町に着いた今日の昼過ぎ、取り急ぎ食事のできる場所を探していた時、声を掛けてきた人物がいた。
今までにも『三蔵法師様ですか?』と訊かれた事は何度もあったが、今回は少し違っていた。

三十を少し過ぎた頃といったその人は、頭こそ丸めてはいないものの僧侶の格好をしており、

「玄奘殿? 玄奘殿じゃないか!」

と、明らかに三蔵を知っている様子だったのだ。

「あんた……道達か?」

その人の顔を見た三蔵にも見覚えがあるらしかった。

その人は昔馴染みといった口調で懐かしそうに話し掛け、その流れでその人も一緒に食事を摂ることになった。

その席で話を聞いてみると、以前、三蔵が一人で旅をしている時に世話になった人らしかった。

「当時、俺が修行に出されてた寺に『旅のお坊さんが病気で倒れてる』って担ぎこまれてきたんだよ。
治って体力が回復するまでの間……ひと月くらいだったかな?
俺が世話係になってたんだ」

最高僧である『三蔵』に敬語も丁寧語も使わないのは、その間にそれなりに親しくなっていたからだろう。
彼自身、気さくで飾らない人柄のようだ。

女であるが『三蔵一行』の中にいることには最初、少し驚いていたようだが『事情があって保護している』という三蔵の説明にあっさりと納得し、自然に受け入れてくれた。

食べながら互いの近況を話していると、道達が三蔵に頼みごとをしてきた。

この度、病を得た父親に代わって実家の寺を受け継ぐことになった。
その晋山式に合わせて先代である祖父の法要も行うことになり、大掛かりな法会が明日から開かれる。
それに『三蔵法師』として臨席を賜りたい――と、いうのだ。

「準備の買い物に出てきてた俺とここで会ったのも、『御仏のお導き』ってやつだろう。
このとおりだ」

道達は深く頭を下げて懇願し、三蔵が断っても引き下がらなかった。

何事にも腰が重い三蔵が最終的には渋々ながらも承諾したのは、やはり、昔の恩があったからだろうか?

三蔵は食堂を出ると、馬車で来ていた道達と共に、この町から北に少し行った山の中にあるという寺に向かい、四人はこの町の宿に逗留することになった。
法会が済んだ翌日、宿を引き払いジープで寺まで迎えに行く予定――

「……ハァ……」

入浴を終えて、髪を乾かし、ベッドに寝転ぶとまた、ため息がでた。

本を読む気にはなれない。
数日はこの町に滞在するのだから、出発の準備も今は必要ない。

何もすることがないし、する気にもなれない。

一人でいるのなんて、部屋が人数分取れた時には当たり前だし、何度もあるし、皆が出掛けて一人で留守番をした事も、一人だけ別の家に泊めてもらったこともあるのに、何故こんなに気持ちが沈んでしまうんだろう?

(そんなのわかってるじゃん……)

今回は――

三蔵だけがいない。

だからだ――

宿の食堂で夕食を摂った時、それをまざまざと実感した。
賑やかだったけど、だからこそ、それを諌める人間がいない事がよくわかった。

(三蔵は何、食べたのかなぁ……?)

お寺だからきっと精進料理だ。
こってりしたものが好きな三蔵には物足りなかっただろう。
でも、たまには健康的でいいかもしれない。

(もう、お風呂には入ったかな?)

お寺のお風呂なら、檜風呂だったりするんだろうか?
まさか五右衛門風呂だったり?
いずれにしろ、宿のユニットバスよりは広くて気持ちいいだろう。

明日から法要なら、人が多くて大変だろう。
まあ、三蔵も来賓だから対応は最低限ですむだろうけど。

そういえば、三蔵がちゃんと『お坊さん』してるとこなんて見たことない。
今は旅の途中だから当然かもしれないけど、それって、三蔵自身も長いこと、仏事に関わっていないということだ。

法会の種類によって、手順その他は違ってくるし、『三蔵法師』として出席するのだ。
万に一つでもミスがあれば新しく住職になる道達の顔も潰しかねない。

人ごとながら心配になってくる。

(ちゃんとお経、読めるんでしょうね?)

思わず身体を起こして、気付いた。

「あーっ! もう! さっきからなにー?」

部屋に入ってからずっと、三蔵のことばかり気にして、三蔵のことばかり考えて、余計でしかないだろう心配までして!

このまま数日過ごさなければならないのに、ほんの数時間前に離れたばかりなのに、こんなに寂しいなんて……

「なんで、こんなに……好きなのよぉ……」

あんな仏頂面した生臭坊主。
傲岸不遜で面倒くさがりで、味覚障害のくせに鍋奉行で、意地っ張りで負けず嫌いで……

悔し紛れに、欠点を指折り数えてみたけれど、却って、そんな三蔵のことが愛しくてたまらないことに気付かされるだけだった。

寂しくてたまらないけれど、本当はちゃんとわかってる。

今、感じているのは贅沢で倖せな寂しさだ。
一人で旅をしていた頃に抱いていた孤独感とは違う。

いつも傍にいる人がいないから、傍にいて欲しい人がいないから。
そんな大切な存在が自分にあるからこそ感じる寂しさなのだ。

(……三蔵も私たちのこと、思い出してくれてるかなぁ……?)

三蔵も一人で旅をしていた頃には孤独を感じることもあっただろう。
今がそうじゃない事に気付いているだろうか?

ねえ、三蔵、覚えていてね。

私は、何処にいても貴方を想ってる。

例えば、この先、旅の中でもし離れ離れになることがあるとしても、いつも、貴方を想うから。

心ではいつも寄り添ってるから。

それを忘れないで。

end

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