出会い-2

――殺される――

そう思った。

とても自分が敵う相手ではない。

妖気を感じられるわけではないけれど、それなりに戦いの場数は踏んでいる。
その妖怪がそこいらの賞金稼ぎのような雑魚ではないことは一目でわかった。
正に格が違う。

殺気とは違うが、ただそこに立っているだけで周りを圧倒するような威厳を感じる。

自分などたとえ体調が万全であっても、一撃を与えるどころか、間合いに踏み込むことすらできないだろう。

あの四人と旅をすることが自分にとって命がけになることは承知していた。
だからいつでも覚悟はしていたつもりだ。

しかし、いざ、死を身近に感じると身体が震えてくる。

「人間だな?」

声は聞こえていたけれど、話し掛けられたのだとわかるまでに少し時間がかかった。

口が渇いて声が出せない。
出来たのは頷くことだけだった。

「怯えなくてもいい。俺は無益な殺生は好まない」

そう言われて正直、は面食らった。

桃源郷に異変が起きて以来、妖怪は人間を襲い、喰らう、天敵と化したのではなかったか。
なのに、この妖怪は自分に対して敵意はないと告げている……

その真意を計りかね当惑しているに妖怪はまた声を掛けてきた。

「人を探しているのだが、女の妖怪を見なかったか?」

「い、いいえ、誰も……」

首を横に振りながら言って、声が出せるようになっていることに気付いた。

「そうか」

の言葉を受けてのその声には、少し残念がっているような響きが含まれていた。

人間と会話をする時のようなやりとりに、この妖怪はまだ自我を保っているらしいと思い当たった。

悟空や悟浄や八戒のように、異変の影響を受けていない妖怪も、まだいるのかもしれない。

「里の者か? ケガをしているようだが」

「あ、あの……山菜を採りに来たんですけど、霧の中で仲間とはぐれてしまって……」

ケガのことを気にしてくれているあたり悪い人ではないみたいだと思ったが、自分に害を与える気はなくても、三蔵たちの事を知られてはマズいことになるかもしれない。
鉢合わせになってしまう事態など論外だ。

この妖怪には早々に立ち去ってもらわねばならない。

は慎重に言葉を選びながらケガをしたいきさつを説明し、一人ではないので大丈夫だということをアピールした。

の話を聞いた妖怪の反応はあまりに意外だった。

「すまない」

そう言って、少し俯いたのだ。

(……この人、今、私に謝った……?)

は耳を疑った。状況が理解できなかった。

「……え?」

思わず、素でそう聞き返してしまったが、相手は特に気分を害した様子もなく言った。

「その岩を転がした者に心当たりがある。
こちらの争いのとばっちりでお前にケガをさせてしまったようだ。
すまなかった」

その言葉を聞きながら、はぽかんとしてしまった。

この妖怪はのケガに直接関わったわけではないのに、自分の仲間のせいらしいと考え、更にそれは推測でしかないだろうに、自分の側の非を認め、謝罪しているのだ。

(……この人って……三蔵よりよっぽどの人格者なんじゃない……?)

立ち居振る舞いや話し方から育ちの良さと生真面目さを感じるし、その分プライドも高そうだけど、潔く謝ることができるのは純粋な部分もあるからだろう。

「少し待っていろ」

呆けているにその妖怪は言い、の返事を待たずに

「連れに薬師がいる。呼んできて手当てさせよう」

と、言葉を続けて足早に去って行った。

一人、残されたはすっかり困ってしまった。

あの妖怪は、たぶん悪い人じゃない。
自分のケガに責任を感じて手当てをと言ってくれた事も有り難い。

でも、彼の推測のとおり、のケガの原因があの人の連れにあるのだとしたら、彼は三蔵たちとは敵対する関係にあるということになる。

ならば尚更、自分の言う『仲間』が『三蔵一行』であるということは知られてはならないし、彼と四人が出会うことは避けなければならない。

しかし、どうすればいいのだろう?

彼は連れを呼びに行くと言った。

四人が今どうしているのかはわからないが、戦いが終わっているのなら自分を探してくれているだろう。

いずれにしろ、この山の中にいる事だけは確実なのだから、その中で会わないという保証はない。

そして、その危険性は自分がこの場から離れて四人を探しに行ったとしても変わらないのだ。

あの妖怪の戦闘力はかなりのものだろう。
いざ戦いになったら、四人も無事では済まないかもしれない。

それに、ケガをしている自分を気遣ってくれた人だ。
大好きな皆と戦ってほしくない。

居ても立ってもいられない気分では立ち上がったが、全身の痛みにまた座り込んでしまった。

結局、に出来たのは、最悪の事態が起こらないことを祈りながら待つことだけだった。

落ち着かない気分でしばらくの時間が経った頃だった。

「おーい! ー!」

ー! いますかー?」

「聞こえたら返事しろー!」

悟空と八戒と悟浄の声が聞こえてきた。
いつの間にか雨も止んでいる。

ー!」

ー! どこだー?」

口々にを呼ぶ声がだんだん近くなる。

「三蔵! お前もちゃんと探せよ!!」

そう文句を言う悟浄の声が聞こえたので、三蔵も一緒にいるのだとわかった。

ホッとした途端、傷が痛み出したが、今は一刻も早くこの山から出たかった。

自分の為に仲間を呼びに行った彼には悪いことをしてしまうけれど、それは申し訳ないけれど、ちゃんとお礼を言いたかったけれど……
仕方がない。

「ここー! ここよー!」

は気力を振り絞って立ち上がり、返事をしながら声のする方に歩き出した。

中途半端に靴下をはいているだけの左足は引きずっていたし、少し貧血のようで頭もクラクラしたけれど、早く皆に会いたかった。

四人の顔を見た時は気が抜けてその場に倒れこんでしまい、皆を驚かせてしまったけれど、はぐれたことを叱られはしなかった。

四人とも髪も服も濡れていて、雨の中で戦ったり探してくれていたりしたのだとうかがい知れた。

八戒は足の傷を気功で治しながら、を探している時にジープでも通れそうな山越えの道を見つけたから移動の心配はしなくていいと言ってくれ、は安心した。
背負われて山を越えるなんてお荷物になるのは嫌だったから。

転がってきた岩を避けているうちに足を踏み外して滑落してしまったのだと言うと、皆、一様に苦笑というか微妙な顔色をした。
誰も何も言わなかったけれど、それぞれに心当たりはあるらしい。

「とにかく、とっとと次の町に行くぞ」

「ええ。町に着いたら医者を探しましょう」

「そうだな。腹は減ってるけど先にを診てもらわなきゃ」

「ほら、、寝てな」

は促されるままにジープの後部座席に横になって目を閉じた。

動き出したジープの振動を感じながら、あの妖怪がまだ戻って来ていなかったことにホッとした。

彼のことは皆には話さない方がいい。

何故だかわからないけれどそう思った。

(……ごめんなさい……)

心の中で謝って、山を後にした。

三蔵一行がジープで山を降りきった頃。

あの妖怪――紅孩児は合流した妹や腹心の部下たちと一緒に、人間の女が座っていた木へと向かっていた。

妹が城を抜け出したと報告を受け、独角、八百鼡と共に探しに出掛けたのだ。
以前の例から三蔵一行のもとに向かったのかもしれないと後を追ったのだが、それが当たりだったと知ったのは人間の女の証言からだった。

妹の不始末でケガを負わせてしまったのなら、手当てをして麓の近くまでは送ってやらねばならないだろう。
そう思っていた。

「あれぇ? 誰もいないよ? お兄ちゃん」

跳ねるように先を歩いていた李厘が振り返って言った。

「あの傷では動けるとは思えないが……」

「でも本当に誰もいねぇぜ?」

地面に血の染みがあるので女がいた木であることに間違いはないのだが、そこに女の姿はなかった。

「紅孩児様、こんなものが……」

女が座っていた辺りにしゃがみこんだ八百鼡が見つけたのは、小さな紙切れ。
風で飛ばされないように両端に小石が置いてあった。

手渡されたそれに目を通す。

『仲間が来たので一緒に行きます
 ケガの手当てもしてもらうので大丈夫です
 ありがとうございました』

縦長のレシートの裏にペンで書かれた短い置手紙だった。

「なんだあ。もう帰っちゃったのか」

横から覗き込んでそれを読んだ李厘はなんだかつまらなさそうだ。
そもそもの原因が自分にあるということはもう忘れているらしい。

「手当てして差し上げたかったですね」

残念そうに言う八百鼡は、その場に残された血痕から、相手のケガが軽いものではないということを察したようだ。

「まあ、仕方ねぇさ。普通の人間は妖怪には会いたがらねぇだろうしな」

独角の言うことももっともだった。
あの女も最初は怯えて固まっていた。

「ねえ、靴も落ちてるよ?」

木の根元に片方だけのスニーカーがぽつんと残されていた。

「ああ、こんだけ破れてちゃもう履けねぇな。
それで忘れたか落としたかして行ったんだろう」

仲間と一緒に行ったのなら、靴が片方しかなくてもなんとかなるだろう。

「帰るぞ」

紅孩児は一言そう言って三人を促した。

女がいないなら、もうここですることは何もない。

本人が『大丈夫』だと書き残しているのだから、追いかけてまで手当てしてやることもない。

たぶん、もう二度と会うことはない相手だ。
それに、人間の女にとっては、妖怪と会ったことなど早く忘れてしまいたいことかもしれない。

なのに気になるのは……

きっと、妹のせいでケガをさせてしまったからだ……

「靴を落とした女の人か……なんだっけ? そんなお話あったよね?
ねえ、八百鼡ちゃん」

「『シンデレラ』ですよ、李厘様。帰ったら一緒に本を読みましょうか?」

「うん! その前におやつね!」

先頭を歩く紅孩児の後ろで、李厘と八百鼡がそんな会話をしていたが、紅孩児の耳には入っていなかった。

――この靴にピッタリ合う娘さんはいませんか? ――

王子様が見つけたシンデレラには、もう、別の俺様がいたりすることを、紅孩児は知らない。

end

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