出会い

その朝、宿を発った一行の行く手には越えなければならない山があった。

たまに麓の住民が山菜や薬草を抓みに行くとかで踏みならされた道らしいものはあるものの、その幅はジープで通るには少し狭い。車自体珍しいのだからそれも無理はなく、五人は仕方なく歩いていた。
うす曇りの天候と微風、あまり高くない気温がまだ幸いな道中だった。

「なあ〜、腹減ったー」

「うるせえ! とっとと歩け!」

「お前、朝、あんだけ食って出てきたじゃねーか!」

「我慢してください、悟空。お昼にするにはまだ早いですし、この先の行程を考えれば食料は出来るだけセーブしておきたいんですよ」

「じゃあ、何か食べられる物、探しながら歩こうか。この山、薬草や山菜が多いって、宿の人が言ってたよ」

そんなやりとりの後、は辺りの植物に気をつけながら進むことにした。時期的に木の実が生っている可能性は低かったので、必然的に下を向いて歩くことになる。
更に抓んでいる間は足が止まるので、皆に遅れないように気をつけなければならなかった。

標高が上がるにつれ、道はどんどん細く、わかりづらくなってきた。山菜採りの人間が来るのはこの辺りまでということだろう。
気温も少し低くなっているような気がするし、いつの間にか出始めた霧もどんどん濃くなってきていた。

「おーい、! ついて来てっかー?」

「はーい! 来てるよー!」

声を掛けた悟浄の振り返った先に見えるのはぼんやりとした人影だけで、声でやっとだと確認がとれた。

「食料のことはもう気にしなくていいですから、はぐれないように気をつけてくださいねー」

「はーい!」

先を行く四人は少し歩調を緩め、度々、後ろを振り返りながら山道を登っていった。

しばらく歩いてそろそろ山頂に差し掛かろうかという頃、空腹を訴え続ける悟空の煩さに負けて食事休憩をとることにした。

ー! 早く来いよー!」

「一休みして昼食にしますよー!」

「来ねーと猿に食われちまうぞー!」

各々、声を掛けると、相変わらず濃いままの霧の中に見える人影が近づいてきた。

「ごはん? 食べるー!」

元気に言いながら現れた人物に四人の目が丸くなった。

「……李厘!?」

「ハーイ! 李厘ちゃんで〜す!」

「なんでお前がここにいんだよ!?」

「ヒマだから遊びにきた」

「ずっとついて来てたんですか?」

「うん。驚かそうと思って」

口々に投げかけられる質問に、闖入者は屈託なく答える。
実際、驚きすぎて次の言葉が出て来ない。

後ろからついてくる人影はだとばかり思っていたのに、いつの間に入れ替わっていたのだろう?

しかも、よりによって李厘と!

「あれ? じゃあは?」

悟空の疑問はもっともだったが、この場合は失言以外のなにものでもなかった。

確かにの行方は気になるが、李厘にの存在を知られては事態がややこしくなりかねない。
年長者トリオは慌て、悟浄が悟空の口を手で塞いだが、もう遅かった。

って誰?」

しっかりと聞こえていたらしい李厘はそう小首をかしげた。

その後、八戒と悟浄がなんとか取り繕おうとしたけれど李厘は誤魔化されてくれず、『女の子がいるの?』とか『誰?』とか、しつこく訊いてきて、しまいには怒って頬を膨らませた。

そして、

「教えてくれないなら、もういいよ!」

と言うなり、傍にあった岩を持ち上げ、四人に向かって投げた。

「うおぉ! 危ねえ!」

「いきなりなにすんだ!? こらー!」

「あっそぼー!!」

「てめぇと遊んでる暇なんざねえ!」

「でも、聞く耳は持ってくれてないんでしょうね。たぶん」

こうして四人は刺客よりも賞金稼ぎよりも何倍もやっかいな相手に手を焼かされることになった。

飛び掛ってくる李厘を避けることはそう難しくはないが、空振りした李厘の拳は岩を砕いたり、土砂を飛び散らせながら地面に穴を空けたりして、徐々に足場を悪くしていく。

霧を味方に、逃げるふりをしながら撒くのが一番だと思われたが、逃げる方向を間違って李厘とを鉢合わせさせてもマズい。

李厘を探していた八百鼡が駆けつけ、事態が一応の収拾をみるのはまだしばらく後のこと……

一方、は『はぐれないように〜〜』という八戒に『はーい!』と答えたものの、うっかり踏み込んでしまった茨に足がひっかかり、それを外すのに手間取ったり靴紐を結びなおしたりしている間にすっかりはぐれてしまっていた。

とにかく山の頂上を目指せばいいのだと歩いていたら、前方から何かゴロゴロという音が聞こえてきた。

思わず足を止めて目を凝らしていると霧の中からヌッと大きな岩が転がり出てきたのだ。

「うわっ!!」

寸でのところでかわすと岩は身体を掠めるようにして通り過ぎていった。

「なに? 今の?」

驚いてまだバクバクとしてる胸を押さえながらため息まじりに呟いていると、今度は上から何かがバラバラと降ってきた。
雨ではない。身体に当たると痛い。手に受けてみると土の粒のようだった。

更に、まだ何かが転がってきているような音がする。
霧の中から次々に現れてくるのは岩や石。
最初のものほど大きくはないけれど、避けなければ確実に痛い思いをするだろう。

「なんなの〜〜?」

何が起こっているのかわからないけれど、今、ここでケガをするわけにはいかない。
必死で避け続けて――

『あっ!』と思った時は足を踏み外していた。

次の瞬間には身体が斜面にぶつかったので崖というほど切り立ってはいないらしいが、坂というには急すぎる。

は、体勢を立て直すことはおろか悲鳴をあげることもできないまま、そこを滑り落ちていった。

身体が止まっていることに気付いたのは、頬に当たった雫を感じて目を開けた時だった。
もしかすると少しの間、気を失っていたのかもしれない。

どのくらいの時間をかけてどれほどの高さからどれだけの距離を落ちてきたのか、皆とどれくらい離れているのか、自分がどの辺りにいるのかまったくわからない。

とにかく身体のあちこちが痛かった。

しかし、このままここに寝転がっていては、降り始めた雨に濡らされ、余計に体力を消耗してしまうだろう。

雨が降りだしたことで霧は薄くなり始めているようだ。
少しずつ広がっていく視界の中、目で雨宿りできそうな場所を探し、必死で身体を動かして、枝を広げた大木の下へ這うようにして移動した。
その間に霧は消えていたが、雨は本降りになっていた。

は木の幹に寄りかかって、やっと一息つき、状況の把握に努めた。

あの落ちてきた岩や石……たぶん、敵襲があって、皆が戦っていたのだろう。
あの霧の中では自分は足手まといになっていただろうから、はぐれたのは却って良かったのかもしれない。

自分のケガは……手足の指先は動くので骨には異常はないだろう。
打ち身と擦り傷が主で、目立つ外傷は左足の甲だけだ。

落ちる途中で岩にぶつけたか、枝にひっかけたか……

スニーカーは足を覆うアッパーの小指の方の側面がざっくりと破れ、はいていた水色の靴下が血で黒く染まっているのが見える。

(あーあ、このスニーカー気に入ってたのになぁ……)

傷はそう大きくないようだが結構出血している。
足の甲を走る静脈を切ったのかもしれない。
止血をした方がいいのはわかっているけれど、着ているシャツは泥だらけだ。

せっかく摘んだ山菜を入れていたレジ袋も落ちた拍子にどこかに行ってしまっている。

他に応急処置に使えるものはないかとポケットを探って出てきたのは、ハンカチが一枚と他に、昨日、薬局で鎮痛剤だの基礎化粧水だのの私物を買った時のレシートとその時に貰った粗品のボールペンに数枚の小銭……
ハンカチがあっただけまだ幸いだった。

痛みを堪えながらとりあえず一度裸足になって傷口をハンカチで覆って縛り、冷えないように指先だけに靴下を引っ掛けた。

(……皆、無事かなあ……?)

こんな山の中で会う敵は刺客か山賊か……

霧の中の急襲だったならいつものように楽勝とはいかなかったかもしれない。
けれどあの四人なら大丈夫だと信じてる。

この足と身体では雨の山道を登るのは難しい。
戦いを終えた四人が見つけてくれるのを待つしかなかった。

じっとしていても傷はズキズキと痛んで、でも、それで意識が保てている。

地面に座って木に寄りかかっているので目線は低く、近づいてくる人がいるかどうかはわかりづらい。
聴覚に意識を集中させ辺りの気配を探ることにした。

しばらくそうしていると雨の音に混じって何かが聞こえてきた。
一定のリズムを刻むそれは人の足音のよう。

一人だ。歩いている。

反射的に顔をあげて――

思わず息を呑んだ。

そこにいた人物は初めて見る顔だった。

赤い髪。
褐色の肌。
尖った耳。
左頬に文様状の痣。

妖怪だとわかっても逃げることも身を隠すこともできなかった。

もう目が合っている。

声を出すことも目を逸らすこともできなかった。

その妖怪はまっすぐに歩いてきて、の前で足を止めた。

HOME