宝物
その定義は人によって違うだろう。
失くしたくない物。守りたい物。大切にしたい物。手離せない物。
そして――
野宿を覚悟していたその日、一行は地図にも載っていない廃村に行き着いた。
屋根があるところには泊まれるかとホッとしたが、残された建物はどれも風化が激しく安心して休める所など無さそうだった。
せめて井戸くらいないかと歩いて、そこを見つけた。
「ここって、お寺?」
「そのようだな」
「ここなら泊まれそうじゃね?」
「ええ、他の建物ほど酷くは傷んでいないようですね」
「井戸もあるといいんだけど……」
入ってみた小さな寺は本尊も他所に移されているようで、中はがらんとしていたが、本堂の柱や壁はまだしっかりとしていた。
庫裏の裏手には井戸もあり、試しに汲んでみた水は澄んでいて飲んでも大丈夫そうだ。
風呂は使えるような状態ではなかったが、かまどでは火をおこすことくらいできそうだし、五人はここで夜を過ごす事に決めた。
簡素な夕食を済ませると、後は特にすることもない。
就寝場所に決めた本堂で退屈な時間をもてあましていた。
「あれ? 、眠い?」
悟空が見たは座位こそ保っているものの、目を閉じて舟をこいでいた。
「……うん……」
小さく聞こえた返事も眠そうで
「横になるといいですよ」
と、八戒が渡した毛布に包まるとはころんと横になり、すぐに寝入ってしまったようだ。
子供みたいなその様子に四人は笑い、なんとなく和んだ気分になった。
「だが、確かにこんな夜はとっとと寝ちまうに限るな」
「だな。他にすることもねーし」
そんなやりとりをして横になった四人だったが、何故か変に目が冴えてしまっていた。
「……起きてる?」
小さな声で訊いた悟空の声に
「なんだよ? 悟空?」
「話してるとも起きちゃいますよ?」
「煩え。寝ろ」
三つの声が返される。
「でもさ……」
それでも言いにくそうに続けようとする悟空を
「……気になるのはわかりますけどね」
「気にするな」
八戒と三蔵は、悟空の言わんとしていることがわかっているような口調で遮った。
「何がだよ?」
三人の会話の意味がわからない悟浄がそう訊いたところで、
『へえ、気付いてたんだ?』
聞き慣れない声がした。
「だっ、誰だ?」
思わず大きく声を上げた悟浄に、
「ダメですよ! 悟浄」
八戒が小声で声を掛け、悟空と三蔵があっさりと言った。
「幽霊だよ」
「寺だからな。霊の一つや二ついてもおかしくねえだろ」
「幽霊だぁ!?」
「そうだよ」
「だから反応しちゃダメですって!」
「相手にするんじゃねえ」
この時まで、三蔵と八戒は霊の存在など無視するつもりでいたのだが……
『初めまして。の兄です』
その霊が発した一言で、四人は反射的に身体を起こしてしまっていた――
蝋燭の灯りが照らす本堂の中で、四人は本尊が奉られていたと思われる場所に胡坐をかいたその霊と向き合っていた。
22、3歳の青年の姿をした霊が名乗った俗名は、以前、との会話にも出てきて四人にも聞き覚えのあったの兄と同じだった。
「……じゃあ、本当にの兄ちゃん?」
『ああ。そうだよ』
窺うように訊いた悟空に彼は人懐っこそうな笑顔を向け、その笑った目元は確かにに似ていた。
「百歩譲って、それは信じてやってもいいが……何故、いきなりここに現れた?」
今は身内の霊が思わず出てきてしまうような緊急時でもないし、この場所もたぶん、この兄妹にとっては縁もゆかりもない場所だ。
唐突すぎる出現に三蔵がそう訊ねるのも無理はない。
『一度、あんたたちと話してみたかったんだけど、なかなかチャンスがなかったんだよね。
この場所は……いわゆるパワースポットっていうのかな?
出てきやすかったんだよ』
「……、起こしましょうか?」
滅多にない機会なのならと八戒が申し出ると
『いや、いいよ。俺が眠らせたんだ』
彼はそう言って断り、悟浄が訊いた。
「なんで? 話したくねーの?」
『顔が見られただけで十分だし……俺に会うと、コイツ、間違いなく泣くだろ?
コレに泣かれるの、弱いんだよね』
彼はそう言いながら眠っているに優しい眼差しを向け、困ったように笑った。
それから、『の兄』は、自分にとってがいかに可愛い妹であったかを滔々と話し続け、四人は頷いたり突っ込んだり笑ったりしながらそれを聞いた。
不思議とうんざりすることはなかった。
「で、何が言いたい?」
『の兄』の話が一通り終ったところで、三蔵が訊いた。
『そうだな。ちゃんと言っておいた方がいいよな』
彼はそう言うと居住まいをただし、今夜、初めてと思われる真剣な表情を見せた。
『は長い間、俺にとって一番の宝物だった。
でも、今の俺はもう何もしてやれない。
だから、今、一緒にいるあなた方に頼むしかない』
そして四人に深く頭を下げた。
『のこと、宜しくお願いします』
「いいの? 俺らに大事な宝物、託しちゃってよ?」
内心の照れを誤魔化すようにわざと軽く言った悟浄に
『ああ。あんた達も、コイツのことを大事に思ってくれてるのはわかってるからな』
彼はそれもこれも全てお見通しだとばかりにニッと笑った。
「……俺たち、こんな旅してるんだぜ? それでも?」
不安そうに訊いた悟空にも
『本人がそれに同行することを望んでるからな……
コイツが進んで飛び込む苦労なら、仕方ないさ』
そう言って優しく微笑んだ。
「平和で幸せな生活を――なんてことは願わないんですか?」
早い段階からの兄になったような気分を味わっていた八戒が訊き、
『俺はいつだっての幸せを願ってるさ。
でも、今の桃源郷に平和に暮らせる場所なんてないだろ?
それに幸せかどうかは本人が感じることであって、周りが決めることじゃない。
今のにとっちゃ、あんた達と一緒にいることが一番らしいからな』
実の兄はそう答えた。
「あんたの言いたいことはわかった……
俺は別件でもそいつの保護を命じられている……使命は果たす」
『「保護」に「使命」ねえ……
言い方は気に食わないけど、することは同じか……食えない坊さんだな』
三蔵の言葉には不満そうなセリフを返したが、彼も三蔵の性格はある程度わかっているらしい。
口調には怒りはなく、呆れたような色が含まれていた。
『いろいろ感謝もしてるけど、正直、兄としてはあんまり面白くない気もする――って、俺のこの複雑な気持ち、わかる?』
彼は足を崩しながら三蔵に向って言い、
「わからんな。兄の立場になったことなどない」
その返事に大仰にため息をつき、頭を掻いた。
『……なんで、こんな男がいいんだろうねえ?』
独り言のような彼のその呟きは、悟空、悟浄、八戒にも共通する疑問で、三人は内心、大きく頷いたのだが、
『……でも……まあ、仕方ないか。が選んだ男だもんな……
認めてやるよ』
そう続けられて落胆し、彼と三蔵だけが僅かに口角を上げていた。
そして、
『じゃあ、そろそろ戻るよ』
そう言って彼は立ち上がった。
「え? もう?」
『いつまでも俺がいたら眠れないだろ? 特にあんたは霊感が強いみたいだし』
「本当に会ってかなくていいのか?」
『ああ。会うと思いが残る。あんた達も俺に会ったことは内緒にしててくれ』
「わかりました。僕たちも彼女をがっかりさせたくはありませんから」
『頼むよ。いろいろとな』
三人とのそんなやりとりを聞いていた三蔵がボソッと呟いた。
「……どいつもこいつも簡単にあれこれ頼みやがって……」
『あれ? 不満? だったらこのまま憑いて行ってもいいんだけど?』
耳ざとく聞きつけたらしい彼がそう悪戯っぽく笑い、三蔵は思わず鼻を鳴らした。
「やはり兄妹だな。憎まれ口のきき方がよく似てやがる」
『まあ、あんただったら簡単に祓えるんだろうけどね』
そんな彼の返し方もと軽口を言い合っている時を思い出させて、三蔵はこの魂がの身内であると改めて確信した。
「憑いてくる必要なんざねえよ。
てめえの妹だろうが? ……信用してやれ」
ふんぞり返るように腕組みをしたまま、尊大な口調で言った三蔵に、の兄は呆気にとられたような顔をしたが、その後、フッと顔を崩し、
『ああ』
と、穏やかに、そして、満足そうに笑った。
失くしたくない者。守りたい者。大切にしたい者。手離せない者。
そして、その倖せを願う者。
それぞれの思いに囲まれて、五人の『宝物』は穏やかに眠り続けていた。
end