絆

「……チッ」

三蔵は目を閉じたまま舌打ちをした。

数日ぶりに泊まれた宿の一室で心地よく眠っていたのに、意識が呼び覚まされてしまったのだ。

目を開けなくても、室内が暗いことはわかる。
たぶん、まだ夜明け前だろう。

三蔵の安眠を妨げたのは外から聞こえるTPOをわきまえない声だった。
恐らくは夜通し飲んでいたのだと思われる数人の酔っ払いが表の道を通っているようだ。

『楽しい夜だった』だの『友情っていいよなー!』だのと酔語を並べながらワイワイとはしゃいでいる彼らはアルコールのせいで声を抑えるという礼を忘れているらしい。

『時間帯を考えろ』と怒鳴りつけてやりたいところだが、煩いと感じる一方それも面倒だった。
もし苦情を訴えたことで絡まれでもしたら、もっと煩わしいことになる。

酔人たちが通り過ぎれば声も遠くなるだろう。
三蔵は眉間に皺を刻みつつも、放っておくことにした。

が、

「俺たちの絆は永遠だー!」

三蔵のそんな譲歩を無にするように酔漢の一人が声を張り上げた。
三蔵のこめかみに青筋が浮く。

その時、

「うるさい!! とっとと帰って寝ろ!!」

近隣の住人らしい第三者の声が彼らを叱り付けた。

その怒鳴り声は今までの中で一番の音量だったが不快に感じることなどあろうはずもない。
むしろ、辺りに静けさを取り戻したことは称賛に値すると思わせた。

「……フン」

溜飲が下がった思いに、我知らず口角があがる。
目を閉じて眠気が戻るのを待とうとして、耳に残っていた言葉に失笑が漏れた。

(『絆は永遠』だ? 笑わせてくれるもんだ……)

恥ずかしげもなくそんなことが言えるのは酔った勢いだったのだろうが滑稽なことだ。

今の世の中では『固く結ばれた人の繋がり』的な美化されたイメージの強い言葉だが、『きずな』は、もともとは動物を繋ぐ綱のことだ。
漢字の『絆』も語源は『引っ張る』の意であるし、送り仮名をつけて『ほだし』と読むと『枷』や『束縛するもの』という意味にもなる。

そんなものに縛られ続けることを良しとするなど、呆れる話だ。

そこまで考えたところで、思考が止まった。
不意に脳裏に浮かんだ思いがけないものに、反射的に目を開く。

瞼の中に現れたそれは

――悟空、悟浄、八戒の顔――

(……バカバカしい……)

一瞬の間の後に三蔵はそう自嘲した。

奴らとはただの腐れ縁。

今、共に旅をしているのも三仏神に『供に連れて行け』と言われたからでしかない。

ただ、それだけのことだ。

三蔵はくだらない考え事にそうけりをつけ、ふと思った。

(だが……そうだな……)

――たまに縄に繋いでおきたくなる人間なら……いる――

そう思い当たって、視線は自然とその人物に注がれていた。

少し首を動かすだけで目に入るほど近く、同じベッドのすぐ隣で眠っているに……

こちらを向いて横臥するは先ほどの騒がしさにも気づかず熟睡している。
久々の同衾で少し無理をさせてしまったのだから当然といえば当然だった。

こうして自分の目の届くところにいるのなら構わないのだが、本人の落ち度の有無に係わらず目を離すとろくなことがないのがなのだ。

の身の安全のためにも、厄介ごとを避け自分自身の心の平穏を保つためにも、少なくとも一緒にいる間は、は自分の傍に置いておく必要がある。

束縛するつもりも、そんな趣味もないので、実際に首輪をつけるようなことはしないが……

三蔵は悪戯心にそそのされるままに、の首筋に唇を寄せた。

十分とは言えないが、無いよりはマシだ。
三蔵はそれを確認して目を閉じた。

何も知らずに眠り続けるの首筋を新たに刻み込まれた跡が紅く彩っていた。

世のうきめ 見えぬ山ぢへ入らむには 思ふ人こそほだしなりけれ

(古今和歌集 巻十八 物部吉名)

end

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