デート

大きく吸い込んだタバコの煙を長く吐き出して、悟浄は食後の一服と共に解放感を味わった。

妙にのびのびとした気分になってしまうのは、やはりこの場に、あの仏頂面がないせいだろうか。

三蔵は一昨日から昔の知り合いの寺に行っている。
昨日からその寺で行われている大掛かりな法要に出席していて、自分たちもその間はこの町に滞在する。

泊まっている宿は朝夕の二食付だが、昼は別料金になるし、同じところの食事ばかり食べていても飽きるだろうということで、昼食は街中の食堂に出て摂ることにした。
今はそのランチの席。

三仏神のカードは八戒が預かっているので経済的な心配もなく、心置きなく食事を楽しみ、空になった皿や器が並んだテーブルの上は、食欲が満たされた満足感によるまったりとした空気に包まれていた。

(『鬼の居ぬ間に洗濯』ってか?)

自分だけじゃなく八戒や悟空もなんだかいつもよりくつろいで見えるのは気のせいなのか、あの物騒な仏僧の日頃の行いなのか……
まあ、そうではない人物も約一名いるようだが。

「あー、食った! 食った!」

「食べたら次は勉強ですよ」

倖せそうに笑う悟空に八戒が教師のような顔をして言って、

「『勉強』?」

食後のお茶をそれぞれの茶器に注いでいたがおうむ返しに訊いた。

「ええ、午後から悟空の勉強をみてやる約束なんです」

「旅に出てからは全然、勉強してないから、いい機会だからみてやるって言われてさ」

それぞれに答える八戒はいつもの笑顔だが、悟空は情けなさそうな苦笑いだ。

「そうなんだ。いいじゃない。勉強は大事よ」

は笑顔でそう返し、そこからお茶を飲み終わるまで続けられた学習や教育の必要性についての話を、悟浄はただ聞いていた。
まともに勉強をしたことなどほとんどない為、はさめる口はなかったし、他に気になることもあったからだ。

はこの後どうするんですか?」

席を立ちながら八戒がに訊いた。

「そうね……今日の分の買出しも洗濯も午前中にしちゃってるでしょう?
部屋にいても退屈だから、このまま散歩にでも行こうかな?
お天気もいいし」

その返事を聞いて、悟浄はやっと口を開いた。

「じゃあ、俺もそれについてっちゃおうかなー」

「え?」

見上げてきたの少し驚いたような顔が面白くて、悟浄はいつもより割り増しの笑顔で言ってやった。

「俺もヒマだしさ。ナンパよけのボディーガードになってやんよ」

「ナンパが趣味の悟浄が『ナンパよけのボディーガード』ですか?」

「ははっ! 変なの!」

「うっせェ! おめーらはイイ子で先生と生徒してろ!」

茶化す二人にそう言い返して、悟浄は再びニッと笑いながらの顔を覗き込んだ。

「な? 、いいだろ?」

軽い調子で、しかし押しは強く言うと、は、半分は苦笑いであろう笑みと共に

「うん。ちゃんとガードしてね」

と、了承してくれた。

「ああ、任せろ」

悟浄は親指を立てて頷いた。

店を出たところで宿に戻る八戒、悟空と別れ、悟浄とは特に行き先も決めずに歩き出した。

とりとめのない事を話しながら、悟浄はの様子を注意深く観察していた。

本人はいつもどおりにしているつもりなのだろうけど、昨日から、ふとした拍子に沈んだ顔をしていたり、ボーッとしていたりで、明らかに普段より上の空な時間が多い。

理由はわかりきっている。
それで沈みがちな気持ちを隠そうとが努力をしていることも、それでも隠し切れないでいることも。

空元気を出させて無理をさせるようなことはしたくないが、こんなに隙だらけな状態のを一人にしたらどんな厄介ごとが起きるかわからない。
三蔵がよく『アイツを一人にするとロクなことがない』と言うとおり、ただでさえトラブルに巻き込まれやすい体質なのだ。
八戒と悟空があれ以上まぜ返してこなかったのも、たぶん二人ともを一人で出歩かせることが心配だったからだろう。

この町に着いたのは一昨日なので、商店街の様子もある程度わかっている。
悟浄は衣料店や小物屋といった女の子が好きそうな店を選んで立ち止まり、も買い物をすることはなくてもそれなりにウインドーショッピングを楽しんでいるようだった。

天気のいい街中を歩いている男女。
傍目にはデート中の恋人同士に見えているかもしれない。

本当はそうではないことも、の心が別のところにあることも、悟浄は知っていたが、それでも、デートの気分を味わえているのは悪くなかった。

「なあ? 歩き疲れてないか? ここいらでちょっと休んでかねえ?」

ちいさな公園に行き当り、悟浄はそう言ってを誘った。

「そうね。ちょっと座りたいかな?」

上手くノッてくれたを悟浄は機嫌よくエスコートした。

「うわぁ……!」

公園の中に入ると同時にがあげた声と驚いたような笑顔に、悟浄は内心でガッツポーズをした。

公園の中は花壇がいっぱいで、今の季節の花々が色とりどりに咲いている。
昨夜、一人で飲みに出掛けた時にここを見つけて、を連れて来てやりたいと思ったのだ。

自分には花を愛でる趣味なんてないが、大抵の女は花を見ると喜ぶ。
中には可愛い子ぶってそんな素振りを見せてるだけの女もいたりするが、の場合は本当に好きなのだと、悟浄は知っている。
は道端に咲いている小さな花を見ても目を細めるような奴なのだ。
だから、見せてやりたかった。

「ここ、素敵ね! すごく綺麗!」

言いながら悟浄を見上げてくるは、目をキラキラとさせた今日一番の笑顔で、声のトーンまで上がっている。

「そーだな。好きなだけ眺めてけよ。いくらでも付き合ってやっから」

悟浄はタバコを取り出して咥えながら言い、

「うん! ありがとう!」

の弾んだ声に満足しながら吐き出した一服目は、とても美味かった。

それから悟浄は、口にした言葉のとおり、花を眺めてゆっくりと園内を歩くに付き合った。

は花の高さに合わせてしゃがみこんだり、匂いをかいだり、指先でそっと触れたりしながら、一つ一つの花壇を見て回った。
そして、度々、振り向いては、『これ、すごくいい匂いがするよ』とか、『この花びら、ビロードみたいな手触りで気持ちいいよ』とか、悟浄に話しかけるのだ。

はっきり言って、悟浄は植物に対する興味などあまり持ち合わせてはいなかったが、があんまり楽しそうに笑っているので、ついに促されるままに、花の匂いをかいだり、花に触れたりしてしまった。
ガラでもないことをしているのは百も承知だったが、『旅の恥はかき捨て』とも言う。

何より、の笑顔を曇らせたくはなかったし、と同じ経験を共有できるのなら、少々の気恥ずかしさには目を瞑ることにした。

ひととおり眺めて回ってから、園内にあった自販機で買った缶コーヒーを手に、ベンチに落ち着いた。

「美味しい。普通の缶コーヒーでも、綺麗な花を見ながらだと美味しく感じるね」

らしい意見だとは思うが、悟浄にはそうは思えない。

「歩いた後で喉が渇いてんだろ?」

悟浄が入れたツッコミに

「まぁ、確かにそれもあるけど」

はそう返して笑った。

他愛ない会話を交わす二人が座っているベンチの正面の花壇には紅い花が咲いている。

名前などは知らないが、それは、悟浄が子供の頃、花屋のオジサンに貰った花に似ていて、少し複雑な気分になった。

しかし、隣に座っているは目を細めてそれを眺めている。

深く刻まれた記憶を消すことは難しいが、新しい記憶を上書きしていけば、いつか、この花を見てもこんな気分にはならない日がくるかもしれない。

そんなふうに思いながら飲み干したコーヒーは、ほのかに甘かった。

end

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