starry sky  気持ち一つ

そっとドアを開けたは、廊下に誰もいないことを確認してから部屋を出た。

音を立てないように気をつけ、息を殺しながら長い廊下を歩く。
やっと角を曲がって宿の玄関に出た時にはホッとため息が漏れた。

が夜分に外出することには、皆、良い顔をしない。
心配してくれての事だとはわかるし、だから、いつも控えてはいるのだけど、今夜は別だった。

それぞれに部屋がとれた事を幸いに部屋を抜け出したのだが、途中から、小さな頃かくれんぼや鬼ごっこをして遊んでいた時のようなドキドキ感を覚え、なんとなく楽しくなってきてしまっていた。

外に出て心地良い夜風にあたると、少し後ろめたい気分になった。

(皆、ごめんね。すぐ帰るから)

心の中で謝って宿を後にし、懐中電灯の灯りを頼りに目的の場所を目指した。

その頃、三蔵はいつものようにタバコをふかしながら新聞を読んでいた。
静かに穏やかに自分の時間を過ごしているのだ。

活字を追っていた目の端で、ふと、何か光るものが動いた気がして窓に目をやった。

懐中電灯のものだろうか?
宿の裏手にある竹林の中を動いていく小さな灯りが見えた。

そう気にも留めず再び新聞に目を戻したのだが、紙面に見つけた小さな記事に嫌な予感を覚えた。

そこにあったのは『流星群 ピークは今夜』の見出し。
そこに毎年、この時期に見られる流星群の写真と、見られる時間や方角が掲載されていた。

数日前の新聞にもこの流星群の情報は載っており、それに食いついた人物がいたのを思い出したのだ。

『わあー、見たいなぁー』などと言いながら、興味津々の様子で記事を読んでいた
『見ごろ』と紹介されている時刻を指している時計。
さっき見た小さな灯り。

その三つが頭の中で繋がった。

『まさかな』とは思う。
しかし、目を離すと何をしでかすかわからないのがだ。

重い腰を上げて、の部屋まで行ってみた。

ノックをする。
返事はない。

ノブに手を掛けると内鍵しかないドアは開き、灯りの点いていない室内にの姿は無かった。

代わりにテーブルの上に見つけたのは数日前、が見ていた件の新聞記事の切り抜き。

嫌な予感の的中が決定的となった。

(……ったく、アイツは!)

三蔵は舌打ちをして捕獲に向かった。

竹林の中を走る一本の道は途中から緩やかなカーブを描く坂になっていた。
上りきると芝の茂った丘に出る。

抜け出したことがバレたとも知らず、はその真ん中に立ってうっとりと空を見上げていた。

(……綺麗……)

よく晴れた新月の空に満天の星。
時折、尾を引きながら星が流れ落ちる。
これが見たかった。

(前に見たのは、まだ一人で旅してる時だったっけ……)

その時と、まだ旅の空という点は同じでも、他は何もかもまるで違っている。
感慨深い気分に浸っている時、足音が聞こえた気がして振り向いた。

((……前にもこんなことがあったな……))

口にこそ出さなかったが、二人は同時にそう思っていた。

夜、こっそり宿を抜け出して散歩していたを三蔵が追いかけた。

あの時、三蔵には逆光のの顔は見えず、には満月の光に照らされた三蔵の姿が見えた。

二人が初めて唇を重ねた夜……

今、淡い星明りの中、相手の姿だけが互いの目に映っている。

軽い既視感と、ここにこうしていることが偶然のような必然のような不思議な感覚が混在していた。

「何やってんだ?」

訊いてくる三蔵の声には多少の不機嫌さが混じっている。
灯りもないまま暗い道を上ってきたのだから当然だろう。

しかし、で訊きたかった。

「……どうしてわかったの? こっそり抜け出したのに……」

星を見るのに良い場所を宿の人に尋ねる時も、部屋を出る時も、宿を出る時も、皆に見つからないように細心の注意を払っていたのに……と、には不思議だった。

「こっちが何やってんのかって訊いてんだよ」

さっきより少しだけイラつきの増した声に、

「天体観測。今夜は流星群のピークなんだって」

と、答えて空を見上げた。

三蔵の眉間に皺が寄る。

そうだろうと思ってはいた。

単独行動は控えろとうるさく言ってきた甲斐があって、最近はそういう事も無くなったと安心していたらこれだ。

「もう見ただろ? 宿に戻るぞ」

「え〜? せっかくここまで来たのにー!」

三蔵の言葉には唇を尖らせた。

流れ星も少しは見たけれど、まだまだ見たい。

「毎年あることだろうが?」

「だって、天気が悪かったり、月が明るすぎたりで見にくい時も多いんだよ?」

今夜はその条件は二つともクリアしているし、更にが宿の人に教えてもらったここは、今後別館を建てる予定の宿の私有地だとかで、余計な灯りもなければ人も来ない、絶好の観測ポイントだった。

「ねえ、もうちょっといいでしょう?」

上目遣いでねだられて、三蔵はため息をついた。

「……少しだけだぞ」

「うん!」

嬉しそうな返事に三蔵は内心自嘲した。
なんだかんだ言ってもには弱いのだ。

とりあえず目の届くところにいるのだから、敵襲があったとしても自分が撃退すればいいだけの話だ。

それに、ここで一つに貸しを作っておくのも悪くない。

退屈しのぎにタバコを取り出そうとした三蔵に、がトンとぶつかってきた。

「あ、ごめん!
……長い間、空を見上げてると平衡感覚おかしくなっちゃうね」

「だったら最初から寝転んでろ」

「そっか」

実はも、できるなら寝転ぶか、せめて座って見る方が転倒の心配もなく楽だということはわかっていた。

しかし、それでは万が一、何か起こった時の初動が遅くなる。
それを懸念して立ったままでいた。
その程度の配慮はしていたのだ。

(三蔵がいるんだから大丈夫よね)

は安心して、その場に寝転んだ。

「三蔵も座るくらいしたら? 芝がふかふかで気持ちいいよ」

星を見る気などない三蔵だったが、こういう状況になった以上、もうしばらく『天体観測』とやらに付き合わされることになるのは明らかだ。
やれやれという気分で腰を降ろした。

「あ、流れた!」

は星が流れる度に嬉しそうに声を上げる。

楽な姿勢になった分、意識を空に向けられ、結果、流星の発見率が上がったようだ。

しばらく見ていると急にが静かになり、三蔵は思わず声を掛けた。

「おい……寝てんじゃないだろうな?」

「起きてるよ。ちょっと昔のこと思い出してただけ……」

上に向けたままのの視線は宙にとけ、それだけ遠い記憶を見ているのだろうと思わせた。

「ずーっと前にもね、こんな風に流れ星を見たことがあるの」

は問わず語りに話し始めた。

一人での旅を始めて数年、道中苦労しながら辿り着いた寺でも、協力はおろか話を聞いてさえもらえない事も多く、全く見えない先に絶望していた頃だった。

とりあえず次の寺を目指して歩いていた荒野の真ん中で転んだ。
仮の身体だから痛くはない。ただ衝撃を感じただけ。

「……その時、自分の中でそれが当たり前になってることに気付いてね。
愕然としたの」

まるで、自分がどんどん『人間』から遠ざかっているような気がして、たとえ術が解けたとしても、その時の自分がどんな状態になっているのかが怖くなって、前にも進めず、後にも戻れず、地面に這いつくばったまま絶望した。
酷くなげやりな気分になって、そのまま仰向けに寝っ転がった。

「そしたら、流れ星が見えたの」

今夜みたいな星が満ちた広い夜空に線を描いて消えていく、かつては星の一部だった欠片たち。

「でも、『あー、流れ星だ……』って思うだけで、全然、感動しないし、綺麗だとも思わないの」

とても情けない気持ちになって、泣きたいのに泣くこともできなくて、何もかもどうでもよくなってしまって、結局、夜明けまでそのままぼんやりと空を見ていた……

「……あの時の私って、かなりネガティブだったなあ……」

自嘲するは、しかし、辛そうには見えない。

幾多の苦難を乗り越えて元に戻れた今は、数ある記憶の中の一つに過ぎない事になっているのだろう。

三蔵は訊いてみた。

「で? 今夜はどうなんだ?」

「うん。すごく綺麗だと思うし、見られて嬉しい!
三蔵も一緒だから、もっと嬉しい!!」

素直にそう言われて感じた照れを三蔵は咳払いで誤魔化した。

「同じような光景なのに、気分一つで見え方も感じ方も全然違ってきちゃうんだね……」

は、綺麗なものを見て綺麗だと思える自分でいられて良かったと、しみじみ嬉しかった。

「今の私になれて良かった……」

『三蔵を好きだと思える自分でいられて良かった』なんて思った事までは言ってあげないけど、お礼くらいは言っておこう。

「三蔵や皆のお陰よ」

「別に何もしてねえよ」

「でも、言っとく。ありがとう」

その言葉を受け、三蔵の口角がわずかに上がったのを見届けて、は視線を上空に戻した。

次の流れ星には願い事をしてみよう。

――これからも、ずっと、皆と一緒にいられますように――

end

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