Sweet like poison 不自然な森
その午後、五人を乗せたジープは森の中を走っていた。
後部座席のが口を開く。
「ねぇ、この森、なんか変よ」
「何がだ?」
「なんか、よくわかんないけど、違和感がある」
「俺には普通の森に見えるけど?」
「うーーん」
「気のせいだろ」
「そうかなぁ……?」
誰からも同意は得られなかったけれど、気のせいだとは思えない。
辺りを見回しながら考え込んで、は気付いた。
「あ! わかった!」
「なんなんですか?」
「毒のある植物が多いの! 草も木も!」
「「「「 毒? 」」」」
「うん。普通こんなとこには自生しないはずのものもある。
まるで誰かが故意に植えてるみたい……気味が悪い」
「気にしすぎなんじゃねーの?」
「心配しなくても大丈夫ですよ。
夕方までには抜けられると思いますから」
「うん……」
そう頷いただったが、釈然とはしていなかった。
(……なんか嫌な感じ……)
はジープに揺られながら漠然とした不安を抱えていた。
「おや? 霧が出てきましたね」
しばらく走ったところで、八戒がそう言ってライトをつけた。
進むにつれ、霧は濃くなっていく。
そして、全員が異常に気付いた。
「……おかしいですね」
「ああ、この霧、まとわりついてくるみてーな感じだ」
「気分が悪い……」
「俺、なんか、指先がヘンだ……」
「毒か!? チッ!」
手足がしびれるような感覚に有毒な霧だと気付いたときは手遅れだった。
ジープは動きを止め、五人もすでに目まで霞んできている。
(確か毒消し作用のある薬草を持ってたはず!)
は動きにくい手で自分の荷物を探った。
「……動くな……毒がまわるぞ……」
「うん……でも……」
五人の意識はだんだん遠くなってきている。
は携帯している短剣の鍔元を左手で握り締めた。
その痛みで少しだけ自分を取り戻す。
しかし薬草を取り出したところで意識をなくしてしまった……
三蔵たちが意識を取り戻した時には霧は晴れていた。
しかし、まだ身体は重く、力が入らない。
それに気付いた悟空が声をあげる。
「? がいねーぞ! あいつ、どこ行ったんだ?」
の姿はどこにも見えない。
「同じ毒を吸ったんだ。動けるわけがねぇ」
「あの霧は人為的に作られたものですよね」
「何者かによって拉致された……か」
この状況では、そうとしか考えられなかった。
「これを出そうとしてたんだ……」
悟空が見つけたのはチャック式のポリ袋に入っている乾燥させた草。
袋には『毒消し(煎じて飲む)』と書いてある。
「動くなって言ったのによ」
「せっかくだから使わせていただきましょうか」
「こんな身体じゃ、探そうにも探せねぇからな……」
「、最初から『この森、変だ』って言ってたんだよな……」
薬湯が苦いのは、もともとそういう味なのか、の言葉をちゃんと取り合ってやっていれば、という後悔のせいなのか……
おそらく両方だろう。
飲むと多量の汗が出て、次第に身体が楽になっていった。
「よし! 探すぞ。待ってろよ、」
「手分けしたほうがいいですね」
「ああ」
「あれ、なんだ?」
辺りを見回した悟空が何かが落ちていることに気付く。
近寄ってみると、の短剣だった。
「……血? あいつ、誰かとやりあったのか?」
抜き身のそれにはわずかだが血痕が残っている。
は人間の女にしては強いが、毒にしびれた身体でどんな戦いができるというのか。
今、無事でいるのだろうか。
「落ち着いてください、悟浄。血がついてるのは鍔元です。敵に切りつけたのなら切っ先が汚れるはず。おそらくこれは敵と戦ってついたものではなく……」
「意識を保つために自分を傷つけた。
必要以上の深いキズにならんよう、切れ味の悪い鍔元の部分でな」
「きっとそうでしょう。大きな怪我ではないはずです」
「……時々、無茶するよな。あのお姫さん」
しかし、そんなの行動に助けられていることもまた事実だった。
「たぶん、手で握り締めていたものが、動かされている間に落ちたんでしょう」
「悟空。血の匂い、わかるか?」
三蔵の言葉に、悟空は鼻に意識を集中させた。
「うん。少しだけど、こっちからする」
四人は悟空の嗅覚を頼りに、ところどころに落ちている血をたどっていった。
(え……?)
目覚めたは自分が地面にうつぶせに倒れていることを知った。
(ジープに乗ってたはずなのに……)
起き上がろうとするけれど、身体はしびれていて動かない。
「う……」
呻くと頭上から声が降ってきた。
「起きたか。あのまま寝てりゃ、怖い思いせずにすんだのにな」
目だけ動かして見上げると一人の男が立っていた。
尖った耳に長い爪……妖怪だ。
森の中であることには間違いないが、さっきの場所ではないらしい。
四人の姿はない。
「……な……にを……」
『何をするつもりだ』と問いたいが、声もよく出せない。
「お前はこいつのエサになるんだよ」
(え!?)
妖怪の背後には毒々しい色彩の巨大な植物があった。
黒に近い深緑の葉には赤い葉脈が走り、まるで血管のようだ。
花弁は禍々しいまでの褐色で、その下に大きな袋状のものが下がっている。
そのぽっかりと開いた口から見える内部は真っ赤だった。
不気味としかいいようのないそれから、つるのようなものが少しずつのほうに延びてきている。
「い……や……」
懸命に身体を動かそうとするがうまくいかない。
「無駄だ。あの霧を吸い込んだだろう?
無味無臭、死には至らないが身体は動かなくなる。
俺が作った特性の毒だ」
「じゃ……この……もり……」
「気付いてたのか。俺はこの森の植物で毒薬や麻薬を作ってるんだよ」
の身体につるが届く。
「そいつの根からは一番いい毒がとれる。改良を重ねて作った俺の自信作だ」
つるに巻きつかれて、ますます身動きがとれなくなる。
「エサは生きた人間。若い女なら最高だ」
は、力の入らない手を必死で動かした。
下草をつかんで抵抗するが身体は徐々に引きずられていく。
握っていた草が千切れ、身体が持ち上げられる。
「そいつの捕食嚢には幻覚作用がある。
痛みは感じない。気持ちよく死ねるさ」
血のような色の捕食嚢の中に足から少しずつ呑み込まれていく。
苦痛は感じない。が、だんだん気が遠くなってきた。
(身体が動かない……私、これで死ぬのかな……?
……皆は……無事かしら……?)
朦朧とした意識の中に四人の顔が浮かぶ。
(……皆と旅ができて楽しかったよ……)
頬に一筋の涙が伝った。
「せいぜい、いい養分になってくれよ」
「さん‥ぞ……」
その名を呼んだのは無意識のうち。
そしての意識は途絶えた。
四人がその場に着いた時、目に入ったのは、巨大な植物に呑み込まれようとしているの姿だった。
そして聞こえる男の声。
「せいぜい、いい養分になってくれよ」
その言葉で三蔵はが置かれている状況を悟った。
ガウン! ガウン!! ガウン!!! ガウン!!!! ガウン!!!!!
銃声に振り向いた妖怪の身体を、悟浄の錫杖からのびたチェーンが拘束する。
五発の銃弾は巨大な植物の捕食嚢の下部に穴を開け、中から消化液が漏れた。
三蔵が弾を込める間に、悟空と八戒がを救いだした。
消化液に浸かった足は火傷をしたように赤くなっている。
「! 生きてるか?」
「息はあります……意識はありませんが……」
「コイツになにをした?」
妖怪に銃を向けた三蔵が問う。
「そいつのエサにしようとしただけだよ。死ぬような毒は使っちゃいねえ」
「あの霧か?」
悟浄のチェーンが妖怪を締め上げた。
「うっ……そうだよ!」
「解毒剤はあるんですか?」
「……そんなもんは作ってねぇ」
「そうか……だったらもう用はない」
ガウン!
三蔵の銃弾は妖怪を貫き、悟浄の錫杖は巨大な植物を切り刻んだ。
水音と、冷たい感覚には意識を呼び覚まされた。
身体はひどくだるく目を開けるのさえ億劫だ。
重い感じのする頭には鈍い痛みを感じる。
冷たい水分を含んだ布で顔を拭かれ、その心地よさに目を開いた。
「気がつきましたか? 気分はどうです?」
「あたま……いたい……」
「たぶん、毒のせいでしょう。悟空、水筒を」
「おう!」
は川の中で八戒に抱えられていた。
不思議に思ったことが表情に出たのだろう。
八戒が言った。
「足があの植物の消化液で焼けていましたから、水で冷やした方がいいと思ったんです。
冷たいかもしれませんが、もう少し我慢してくださいね。
こうしていれば、服に染み込んだ分も洗い流されるでしょうから」
「うん……冷たくて……気持ちいい」
「八戒、水筒、持ってきたぞ」
悟空は濡れることも厭わずに川の中に入ってきた。
そして、水筒の中身をコップに注ぎ、八戒に渡す。
「飲んでください。あなたが持っていた薬草を煎じたものです」
八戒が口に当ててくれたコップの中身を、は苦さに顔をしかめながら飲んだ。
「苦いですけど、この薬は効きますね。
この薬草があったから、僕たちはあなたを助けることができたんですよ」
それは少しでも四人の役に立てたということだろうか?
そう思うとは嬉しかった。
「もうそろそろいいんじゃね? あんまり冷やすと今度は風邪ひくぞ」
悟浄が川岸から声をかけた。
三蔵はその横でタバコを燻らせている。
「そうですね。タオルを用意していてください」
は川岸に上げられ、濡れた下半身をタオルと毛布で包まれた。
足の赤みはずいぶん治まっていたし、薬湯を飲んだ身体は汗をかき始めていた。
「ごめんね……八戒と悟空も……濡れちゃったね……」
「んなこと気にするなよ。が一番大変だったんだからさ」
「そうですよ。もう少しすれば動けるようになるでしょう。
そうしたら着替えてくださいね」
『僕たちが着替えさせるわけにはいきませんし』と、付け加えられては赤面した。
「おい。手の怪我も治してやれ」
「あ、そうでした」
三蔵に言われるまで、自身も忘れていた。
短剣を握り締めていた左手。
出血は止まっているが、手のひらと指にはキズがある。
それを八戒が気功で治療した。
夕方までには抜けられると思っていた森の中での野宿。
体力の消耗が激しかったのか、は着替えもせずに眠っている。
その寝顔を見ながら、悟浄は思い出す。
(確か、あの時、は……)
八戒もまた思い出していた。
(三蔵の名を呼んでいましたよね……)
生命の危機にさらされ、朦朧とした意識の中で呼んだ名前……
ハートブレイクな気分の悟浄と、嫁入り前の娘を持つ父親のような気分の八戒だった。
end