A SPROUT IN DESERT 約束
パチン……
そろそろ眠ろうと、三蔵は部屋の灯りを消したが、部屋の中は明るかった。
カーテンを閉じていない窓から月の明かりが射し込み、床にくっきりとその形を映している。
この部屋は二階なので、庭木等の光を遮るものがないのだろう。
窓辺に寄り見上げると、雲ひとつない夜空を満月が蒼く照らしていた。
(悪くねえ月夜だな……)
今夜は一人ずつ部屋がとれたので、うるさい奴らはいない。
タバコを燻らせながら、しばらく眺めていた。
カーテンを閉めようとした時、外を歩く人影が目に入った。
後姿や着衣に見覚えがある。
(? ……こんな時間にどこ行きやがる?)
三蔵は舌打ちしながら、部屋を出た。
(俺は何をやってんだ?)
の歩いていた方へ足を進めながら思う。
確かに以前の三蔵なら、そう気にも留めなかっただろう。
実際、出会って間もない頃、夜の森の中でがジープを降りてどこかへ行った時も、そのまま放っておいた。
まあ、あの時は悟浄が後を追っていたせいもあるが……
自分の中にに対する何か特別な感情があるらしいことには薄々気づいている。
この気持ちを呼び表す言葉など知らない。
そんなことはどうでもいい。
歩いていると何がが聞こえてきた。
(……歌? この声はか?)
夜風に乗って流れてくる、はりのある澄んだ歌声。
心を和ませるような優しい旋律。
三蔵はその音源を捜した。
音に導かれて着いたのは宿の裏手に広がる小高い丘だった。
一面に青々とした草が茂り、風にサワサワと揺れている。
そんな中に立つの月の逆光に切り取られたシルエットは、幻想的な絵画を思わせた。
足音に気付いたらしいが振り返る。
「あ、なんだ、三蔵……びっくりした」
「なに、ほっつき歩いてんだ?」
「ただの散歩。今夜のお月さま、とっても綺麗だから」
「単独行動は控えろといつも言ってるだろうが」
「散歩も? ちょっと厳しすぎなんじゃない?」
不服を訴える内容の言葉だが、の口調は少し面白がっているようにも聞こえる。
「用心するに越したことはない……お前に何かあると奴らが煩えからな」
「三蔵は? 何も言ってくんないの?」
いたずらっぽく訊いてくる笑顔が愛らしい。
「何かあってからじゃ遅えだろ。いつ敵の襲撃があるかわからんのだからな」
「……うん……そうだね……ごめん……」
三蔵の言葉には神妙な顔になった。
素直と言おうか、単純と言おうか……
とても自分より長い時間を生きてきた者とは思えない。
まあ、人間の本質など、そう簡単に変わるものではないのだから、生来、そういった性格なのだろう。
……心根の真っ直ぐな女だ……
恐らく、他人を陥れたり、踏みつけにしたりした事などないだろう。
バカがつくほどのお人好しだ。
そんな人間がこんな旅をしていて辛くはないのだろうか?
「……いつジープを降りようとお前の勝手だ。
だが、一緒にいる間は俺の目の届く範囲にいろ」
旅を続けるのも止めるのもの自由だ。
しかし、こちらの意図しない形で消えられるのは本意ではない。
「私は最後まで降りないよ。三蔵たちの旅を見届けたいから」
は穏やかに、しかし、きっぱりと言って三蔵を見上げた。
「ひとつ、お願いがあるの。きいてくれる?」
「内容によるな……」
「もし、私が……旅の中でみんなの足手まといになったり、三蔵が『コイツはもう連れていけない』って思うことがあったりしたら、その時は……」
三蔵は黙って続く言葉を待ち、が三蔵の目から視線を外さないままに言ったそれは、少なからず衝撃的だった。
「三蔵が私を殺して」
しかし、驚きを感じると共に、なら言いそうな言葉である気もした。
はそういう人間だ。
「そうでもしないと、たぶん、私は自分からジープを降りるなんてできないから」
はそう理由を付け加えて微笑んだ。
「何故、俺なんだ?」
「三蔵なら、殺してくれると思うから……それに……」
「『それに』?」
「三蔵になら殺されてもいいって思うから……
私が死ぬときは三蔵に殺されるときなんだって思えば、たぶん、何も怖がらずに戦えると思う」
は真っ直ぐに三蔵を見つめる。
強い意志を秘めた瞳。
この目に心を射抜かれた。
「三蔵、最初に言ったでしょ?
『ついてくるのならそれなりの覚悟をしろ』って。
だから、お願い」
それがの願い――
三蔵はそれに応える言葉を探し、気づいた時にはを抱きしめていた。
「え!? ……さんぞ――」
「黙ってろ」
これ以上、の声を聞いていたら、おかしなことを口走ってしまいそうだ。
腕の中にある柔らかなぬくもり。どこか甘い香り。
思い切り抱きしめれば折れてしまいそうなこの身体のどこに、そんな強さを隠し持っているのだろう。
「……いいだろう……お前を殺すのは俺だ。
だから……他の誰にも殺されるな」
三蔵は腕に力を込める。
「お前自身にもだ」
その三蔵の言葉の意味を、はちゃんと感じとった。
――どんな状況に追い込まれようとも、自ら生命を絶つような真似は絶対にするな――
「……うん……約束ね……」
「ああ」
ふわりと笑う頬に三蔵が手を添える。
一瞬、戸惑うような表情を見せただったが、三蔵と目が合うと、とろけるような微笑みを浮かべた。
そっと唇を重ねる。
触れるだけのそれだったのに、の身体がピクンと震えた。
「……好き。三蔵が大好き……
旅が終わっても三蔵と一緒にいたい」
離れた唇からこぼれたの言葉に、何かが満たされていくのを感じる。
返事をする代わりにもう一度、その唇を塞いだ。
緊張して竦ませた肩がその細さを意識させる。
啄ばむような口づけが、繰り返すうちにだんだんと深いものに変わっていく。
「……ん‥っ……」
甘い吐息をもらし脱力したの身体を、その腕で、その胸で、しっかりと受け止める。
今の自分を支配しているこの呼び名を知らぬ感情は、ひどく曖昧で厄介なものに思える。
しかし同時に、何故か心地よかった。
最初は成り行きで旅に加えた。
しかし、いつの間にか掛け替えのない存在になっていた。
それはまるで、砂漠の中に芽生えた新芽のように……
守りたいものが出来てしまったことを知る。
今度こそ、守り抜ける自分であらなければならない。
それほどまでの覚悟で、お前がそう望むのなら、このまま一緒に旅を続けよう。
そして誇れるだけの強さで、お前の覚悟に応えよう。
end