Midnight crescent  それぞれの夜と朝

「とれた部屋はツインとトリプルが一つずつです。さ、引いてください」

宿のフロントで、八戒が五枚のカードを差し出した。

それは旅の中で日常的に繰り返されているいつも通りの光景……

「なあ、八戒。
最近、三蔵、めちゃくちゃ機嫌悪くねえ? 雨でもないのにさ」

食事も済んで部屋に戻った悟空が同室の八戒に話しかける。

もう一人の同室者である悟浄は、食事の後、その足で酒場へ出かけていた。

茶化す者がいないので悟空は素直に訊ねることができた。

三蔵の不機嫌のとばっちりを最もくらうのは悟空だ。

しかし、悟空にその原因に気付けというのは無理な話だし、わからない以上、当然の疑問だろう。

八戒は適当にごまかすことにした。

「そうですねえ。ここのところ野宿が多くて、ろくな食事が出来てませんでしたから、カルシウムが足りないのかもしれませんね」

「カルシウム?」

「不足するとイライラしたり、怒りっぽくなったりするらしいですよ」

「……、一緒の部屋で大丈夫かな?」

?」

「なんかさあ、俺らにはやたら怒るくせに、にはこう、冷たいってゆーか……時々わざと無視してるような感じじゃん?
ケンカでもしてんならマズくねえ?
部屋割り決まった時、二人とも複雑な顔してたしさ。
なんか、気になんだよなぁ……」

(……悟空にまでこんなことを言われるようじゃ、三蔵もまだまだですね……)

「大丈夫ですよ、たぶん。
それに、もしケンカしてるとしても、二人きりでいる方が却って仲直りできるかもしれませんしね」

「だと、いいんだけど……」

は三蔵より大人ですからね。三蔵次第でしょう」

「……すっげえ、不安……」

悟空の言葉に笑いながら思う。

(まあ、確かに、今夜が一つのきっかけにはなるでしょうね)

その頃、悟浄は酒場のカウンターで、一人、グラスを傾けていた。

今の状態の三蔵が、と二人部屋でおとなしく寝ていられるわけがない。

そう思うと飲んでも酔えないし、女を引っ掛ける気にもなれなかった。

宿に帰る気にもなれず、誘われたカードゲームで暇をつぶし、結構な額、勝ったが、気晴らしにはならなかった。

(あいつにも一言、文句言わねーとな……)

「この店で一番高い酒くれ」

あぶく銭を換えたボトルを手に、酒場を後にした。

戻った宿の、小さな常夜灯が一つあるだけの薄暗い廊下に人影を見つけて、悟浄は立ち止まった。

窓から外を見ているの横顔。

「どした?」

声を掛けると驚いたように顔をこちらに向ける。

「あ、悟浄……」

「三蔵に部屋、追ん出されでもしたの?」

今の三蔵ならそれも有り得ないことではない気がした。

「まさか」

はそう笑って続ける。

「三蔵は今いないよ。タバコ買いにでも行ったのかな?」

「で、ここで待ってるわけ?」

「ううん。私が待ってたのは、三蔵じゃなくてお月さま」

「月?」

「うん。旧暦の23日に月待ちをすると願いが叶うんだって。
さっき上がったとこなの」

「へーぇ。面白いこと知ってんね」

外に目をやるにつられて悟浄も見上げた東の空に、下弦よりも少しだけ欠けた月が浮かんでいた。

「それで? どんな願い事したの?」

「内緒」

「ケチ」

言ってやるとはクスクス笑った。

「んー、そうね。悟浄になら教えてあげてもいいかな?」

「お! 気前いいねー。で、何?」

「ふふっ、調子いいんだから!
……『これからもずっと、皆と一緒にいられますように』って」

悟浄は一瞬、言葉を失った。

も最近の三蔵の態度に不安を感じているのだろう。

しかし、特別な感情を持っているが故に生まれる男としての苦悩を分かれと言うには、は鈍すぎる。

あの三蔵が自分に対する欲望と理性の間で揺れているなど、きっとには思いも寄らないことなのだ。

思い切り明るく言ってやった。

「そんなん、願うまでのこともねーって!
さ、済んだんなら、早く部屋に戻りな」

「うん、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

悟浄はが入った部屋のドアが閉まるのを見届けて、自分の部屋に戻った。

「お帰りなさい。思ったより早かったですね」

ベッドヘッドにもたれて本を読んでいた八戒が声をかける。
悟空は既にイビキをかいて夢の中。

「なーんか、大勢いる中で飲んでるのがウザくてよ。
ここでお前と飲みなおそうと思って」

戦利品のボトルを持ち上げて八戒に見せる。

「久しぶりにいいですね」

二人は琥珀色のスピリッツを互いのグラスに注ぎあった。

「廊下でに会った」

「廊下で? こんな時間に? まさか三蔵が追い出したんですか?」

「いんや、三蔵はいねーんだと。逃げた、かな?」

「さあ、どうでしょう?」

同じ男として、三蔵の葛藤はわかる。

同情とやっかみの入り混じる複雑な気分で黙り込んだ二人の耳に、廊下を歩く靴音が聞こえた。

聞きなれた足運びが隣の部屋に消える。

しばらくして、八戒が口を開いた。

「いつまでも逃げているわけにはいきませんからね……」

今後の展開が読めた気がした悟浄は、文句を言ってやることにした。

「お前、カードに細工しただろう?」

「ここのところの三蔵のイラつき方は史上最悪でしたからね。僕らの平和のためです。
それに、わかってて黙ってたのなら、立派な共犯ですよ」

「俺的にはどっちにしても全然平和じゃないんデスけど?」

これを言いたくて、酒に誘ったようなものだった。

「仕方ないですよ。
の気持ちがどこに向いてるか、わかるでしょう?」

「まあな
……態度には出さねえようにしてるけど、見てるとわかるんだよな〜」

「それだけのことを見てるって事ですか」

「俺の目は自動的にいい女に照準が合うようにできてっから。
って、お前さんはどうなんだよ?」

「僕ですか?」

正直、なら過去も含めた自分のすべてを受け入れてくれるかもしれないと思ったことはある。

しかし、それは仮想でしかないし、恋敵になったかもしれない男に教えてやるつもりもない。

「なんだか、年頃の娘を持つ父親の気分ですねえ」

「なんだそれ? お前、枯れるにゃ早すぎるぞ」

「枯れてるつもりはありませんけどね」

「まあ、ライバルは少ない方がいいか」

「おや? あきらめてないんですか?」

「あのクソ坊主がその気になるってのは計算外だったけどよ。
アレが釣った魚にエサやるタイプに見えるか?」

「『釣った魚は、後は食うだけ』って感じですかね?」

「……この状況で、それはシャレになんねって」

「ここまでお膳立てしてやってるんだから、後は二人で好きにしてくださいってとこですねー」

「『好きに』ねえ……」

「まあ、だったら、三蔵とどうこうなっても、急に態度を変えるようなこともないと思いますよ」

「なんでそうはっきり言い切れる?」

「僕が妖怪だって言っても、たいして驚いてませんでしたし、その後もなんの変わりもありませんでしたから」

その言葉に悟浄は驚いた。

「言ったのか? 自分で?」

「ええ。話の流れでつい」

「『つい』って……お前よぉ」

八戒がそんなミスをするはずがない。
きっと、なんらかの理由があってわざと言ったのだ。

「あ、悟浄のことは最初からわかってたみたいですよ?」

「……はあ?」

悟浄はグラスの酒をこぼしそうになった。

「その髪と目の色が意味していることを知っていたそうです」

「…………」

「そこで『禁忌の子』って言葉を使わなかったあたりが、彼女らしい気遣いだと思いましたけどね」

「そうか……」

は出会った時から半妖だと知っていて、それでも差別も区別もしなかったということになる。
悟浄の感慨は深かった。

「悟空のことも普通の人間じゃないってことには気付いてます。
『でも、そんなの自分にはどうでもいい事だ』って……
『悟空は悟空。悟浄は悟浄。八戒は八戒だ』って笑ってました」

「……侮れねー女だな」

そんなだからこそ、あの三蔵でさえ心を動かされてしまったのだろう。

「見かけはともかく、彼女の中身は僕たちよりずっと年上なわけですし」

「あんな境遇で生きてきただけのことはあるってか?」

「ええ。頭もいいし、物事に対する柔軟性もすごい。
懐の深い人です……」

その懐に包まれる幸運を手にしたのが三蔵なのはおもしろくないが、それがの選択ならば仕方ない。

それからしばらくして、二人だけの酒宴を切り上げ、それぞれのベッドに入った。

眠りに落ちる直前、の甘い声が聞こえた気がした……

翌朝、雨。

いつもとは少し様子が違い、朝食の時間になってもは姿を見せなかった。

一人、現れた三蔵の顔を見て、八戒は密かにため息をつく。

(雨だというのに、昨日までの不機嫌さが嘘みたいに消えてますね……)

そう仕向けたのは自分だが、いざ、そうなってしまったと思えば、やっぱり心中は複雑だった。

「あれ、は?」

まだ何にも気付いていない悟空が無邪気に訊く。

「体調がよくないらしい。
どうせこの雨じゃ出発もできん。もうしばらく寝せておけ」

しれっと答える三蔵の澄まし顔に、悟浄は苦虫を噛み潰す。

(お前が原因だろうが!
……スッキリした顔しやがって……この生臭坊主!!!)

悟浄は昨夜の八戒との会話で、自分が捕まえ損ねた魚がいかに大きかったのかを思い知らされていた。

その頃、はベッドの中で昨夜の余韻に浸っていた。

身体に残る感触も跡も、疲労感や痛みでさえ、喜びに繋がった。

(お願い……本当に叶っちゃった……これで、一緒にいられる……)

最近、また不安になりかけていた。

でも今は、『ここにいていい』のだと教えてくれるものを手に入れた。

耳に残る三蔵の言葉。

――お前は俺のものだ――

は最高に倖せな気分で眠りに落ちていった……

end

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