LADY IN LOVE お茶の時間
時々、『あれ?』と思うことはあった。
でも、その度、まさか、と打ち消した。
「はい、終わりましたよ」
昨夜、妖怪の襲撃によって不揃いになってしまったの髪を八戒が切りそろえていた。
腰に届きそうだったものが肩より少し長いくらいまでに短くなってしまったが、もともと自分の意思で伸ばしていたわけでも願をかけていたわけでもなかったし、かえってサッパリしていい気分転換になった。
それに、これくらいの方が洗ったり結ったりしやすい。
「ありがとう。八戒ってなんでもできるのね」
「そんなことありませんよ」
「あ、掃除は私がするから」
「そうですか? じゃあ、お願いします。僕は買出しに行きますから」
「うん」
八戒は手にしていたホウキと塵取りをに渡した。
「悟浄、悟空。手伝ってください」
「「 買出しなら、昨日も行ったじゃん? 」」
「その昨日買った食料やお酒を、昨日のうちに半分以下にしてしまったのは誰と誰でしたっけ?」
「「 うっ…… 」」
「地図によると次の町まで二日はかかるんですから……さ、行きますよ」
こういう時の八戒には誰も敵わない。
観念したように『はーい』と声を揃えて返事をする二人が笑いを誘う。
「いってらっしゃーい」
出かける三人をは手を振って見送った。
三蔵はその間ずっと、テーブルの椅子に座り、我関せずとばかりに新聞をめくっていた。
三蔵が買出しにいかないのはも知っている。
自分で買いに行くのはせいぜい自販機のタバコくらいだ。
(まぁ、三蔵が買い物袋抱えてる姿なんて、想像すると笑っちゃうしね……)
床に落ちていた髪の毛を掃き集めて、溜まっていたゴミと一緒に捨てるとすることがなくなる。
喉が渇いた気がして、は部屋に備え付けてあるお茶を淹れた。
「三蔵、お茶淹れたよ」
湯呑みを一つ、三蔵の前に置き、自分も本を手にテーブルに座った。
「ああ……」
三蔵は一口すするとテーブルに戻し、また新聞に目を落とす。
(『おいしい』とか言ってくれるとは思ってなかったけどね……)
も一口飲んでみる。
(我ながら、うまく淹れられた方だと思うんだけど……
『いらない』とか『まずい』とか言われるよりはマシかな)
湯呑みをテーブルに戻し、本を開いた。
数ページ読んで、お茶を飲もうとしたが、
(あれ?)
湯呑みがない。
の湯呑みは三蔵の手にあった。
たぶん、新聞から目を離さないまま、間違えて取ってしまったのだろう。
「あ……」
「なんだ?」
「そっち、私の湯呑み……」
「あん? ……別にどっちでもいいだろう?」
「三蔵がいいならいいけど……」
最初に三蔵が口をつけた方の湯呑みを手に取りながら、は自分の心拍数が一気に上がったことを感じていた。
(私の飲みかけのお茶を飲んじゃったよ……
んでもって、私も、三蔵の飲みかけを飲もうとしてるし……)
顔が熱くなってるのがわかる。
ただ、お茶を飲むだけのことなのに激しい鼓動が治まらない。
時々、『あれ?』と思うことはあった。
でも、まさか、と打ち消してきた。
(どうしよう……?)
平静になろうと本に目を戻すが、活字を追ってもその内容はちっとも頭に入らない。
三蔵の方に視線を送りそうになるが、顔を上げることができない。
内心ひどく動揺していた。
ふと、三蔵の湯呑みが空になっていることに気付く。
「お茶のおかわり、いる?」
「ああ」
新しく淹れ直して、三蔵の前に置く。
「おいしい?」
相変わらず新聞から目を離さずに飲む横顔に訊いてみる。
「悪くねえな……」
どこか上の空の返事なのに、たまらなく嬉しかった。
(本当にどうしよう……?)
不意に見つけてしまった自分の気持ちに戸惑わずにいられない。
――私、三蔵のこと……好きかも……――
いつの間にこんな気持ちが芽生えていたのだろう?
気付いたときには、しっかりと心に根を張っていて、もうその存在を否定することはできないほどに育っていた
……もう、認めてしまおう。
二人きりの沈黙の中で時が過ぎる。
自分の中にあった、たった一つの気持ちに気付いただけなのに、さっきまでとはなにもかもが違っていた。
人間らしい感情を忘れていなかった自分が嬉しかった。
そのときめきが心地よかった。
三蔵が最高僧であることとか、その性格上こんな甘ったるい感情は意に介することもないだろうこととか、とても叶うはずの想いではないことは、十分想像できる。
でも今は、一緒にいられるだけで十分倖せだと思えた。
この気持ちは誰にも気付かれてはいけない。
この旅にそんな感情を持ち込んではいけない。
今はそんな状況ではないのだから。
でも、想うことは自由だ。
言葉には出さない。
でも、想いは殺さない。
もし……もし彼らがこの旅の目的を果たす時まで一緒にいられたら……
旅が終わる時まで、そばにいることが出来たなら……
その時は、ちゃんと告げよう。
(もし、旅の途中で死ぬようなことがあったら……死ぬ前には伝えたいな……)
きっと、この気持ちを告白する時が、自分の旅が終わる時だ。
三蔵が新聞をめくる音を聞きながら、そう思った。
end