It is not work that kills, but worry. いえる気持ち
三蔵の回復と入れ替わりでが寝込んでから三日。
一行はまだ旅立てずにいた。
の体調がなかなか戻らないのだ。
「八戒……の具合、どう?」
へ食事を運んだ八戒が部屋を出ると目の前には悟空がいた。
その向こうには悟浄。
そして三蔵は部屋のドアを開け、廊下と部屋の境界線上で入るでも出るでもなく、蝶番の付いた柱にもたれていた。
「よくありませんね……」
悟空の問いに答える八戒の顔が曇る。
ここのところずっと、食べては吐いてを繰り返しているに、できるだけ消化の良いメニューを選んでいるのだが上手くはいかない。
「何も食べてない時でも吐いているようです。
あれじゃ、体力はつきません」
「医者はなんて言ってんだ?」
訊ねる悟浄の声にもいつもの軽さはない。
「原因となるような病的な症状や兆候は見受けられない、と言ってました。
『身体の衰弱はともかく、吐き気は精神的なものからではないか?』と……」
「『精神的な』……って?」
「『何かを気にしたり悩んだりしてんじゃねーか?』ってことだ」
「何を?」
「俺に訊くなよ。つか、わかりゃ苦労しねえって……」
「そんなことがあっても自分から言うじゃないでしょうしね……」
三人がしているそんなやりとりを黙って聞いていた三蔵は、何も言わないまま部屋に入りドアを閉めた。
「……三蔵、冷たくね? のこと心配じゃないのかな?」
「素直じゃねえ奴だからな」
「どういう意味?」
「きっと三蔵なりにいろいろ考えてるんですよ。あの仏頂面の下でね」
悟空はともかく、悟浄と八戒にはわかっていた。
の不調の原因が精神的なものであるのなら、それをなんとかできるかもしれないのは誰よりも三蔵なのだ。
(悔しいけどよ……)
(今は、三蔵に任せるしかありませんよねぇ……)
一体、何を身体にまで影響をきたす程、気に病んでいるのかはわからない。
三蔵の傷を癒したのがだという事実は確かにひっかかるが、本人にその自覚はない。
それとも、それでも何かを感じて不安になっているのだろうか?
しかし、うかつなことを言っては悪戯にを混乱させるだけだろう。
「今は何も言わずにそっと見守ってあげましょう」
「俺らに出来んのはそれくらいだろ?」
八戒と悟浄の言葉に、悟空は釈然としない表情を浮かべながらも
「……うん……」
と、うなずいた。
それからしばらく後、三蔵はの部屋に向かった。
こんな状態を長く続けるつもりはない。
旅立てないことももちろんだが、なによりこのままではは本当に身体を壊してしまう。
何を思い病んでいるのかはわからない。
だが、陥っているであろう思考のパターンはある程度、想像がついた。
それが当たっていればなんとかできるはずだ。
部屋の中に入るとはまだ起きていた。
ベッドに腰掛け、ベッドヘッド側の壁にもたれているその顔色は悪く、やつれた印象が否めない。
「寝てなくていいのか?」
「まだ眠くないし……この方が吐きそうになった時、すぐに動けるでしょ?」
声にもあまり力がない。
「吐け」
三蔵が言った唐突な言葉には弱弱しく笑った。
「今は大丈夫」
(大丈夫じゃねえから言ってんだよ……)
三蔵はを見据えたままで続けた。
「そっちじゃねえ。他に溜め込んでるモンの方だ」
「『他に』って……」
が戸惑うような表情を見せる。
「心当たりはないか?」
「別に何も……」
「だったら何故、目を逸らす?」
「だって……」
「お前のことだ。
どうせまた頭でっかちにいろいろ考え込んで無理に呑み込んでんだろう」
「…………」
は俯いて答えない。
だが、唇が噛み締められるのが見えた。
「腹ん中に余計なモン溜め込んでるからメシが入らねえんじゃねえのか?」
やはりは答えないが、膝の上に置いてあった手がギュッと握り締められた。
三蔵は確信していた。
自分の指摘はまず当たっている。
図星だからこそ、は口をつぐむのだ。
後は、それを吐き出させればいい。
「言ってみろ。聞くだけ聞いてやる」
それきり三蔵も黙った。
の頑固さは知っている。持久戦は覚悟の上だ。
そして、絶対に勝つ自信があった。
互いに微動だにしないまま、静かな緊張感に包まれた時間が流れた。
どれくらい経った時だろうか?
の身体が小さく震えだした。
「自分が嫌なの……」
そう小さくポツリと呟いて白旗を揚げたが、俯いたまま話し始めた。
「私のせいで、三蔵にまで酷いケガさせちゃって……
三蔵が元気になったっていうのに私はまだ寝込んでて、旅に足止めをさせてて……」
「早く元気になんなくちゃって思ってるのに、食べても戻しちゃって全然ダメで……」
「皆に迷惑をかけてるのが申し訳なくて……」
「でも、ジープを降りることもできなくて……」
「足手まといだってわかってるのに皆と離れたくないなんて……」
「……そんな自分の身勝手さに嫌気が差すの……」
「それなのに皆、私のこと、気遣ってくれて……優しくされるのが辛くて……でも、これ以上皆に心配掛けたくないから何も言えなくて……」
「どんどん自分が嫌になってくばっかりで……
もう……どうしたらいいのかわかんない……」
小さな声で、ゆっくりと、途切れ途切れに長い独白を済ませて、はため息をついた。
身体や声が震えているのは涙を堪えているせいだろう。
三蔵もまたため息をついて、声を発した。
「また、ずいぶんくだらねえ事溜め込んでたな……バカか? お前。
俺たちがいつ、『迷惑』だの『足手まとい』だの言った?」
「……言ってない……」
「余計なことにばかり気を回しすぎなんだよ。
連れて行けねえ時は殺せと言ったのはお前だろうが。
てめえが今、生きてるって事がどういう事なのか考えろ」
ゆっくりと顔を上げたが訊いた。
「邪魔じゃ……ない……?」
三蔵は少し呆れた。
どうしてこう自分のことがわかっていない女なのだろう?
「……別に邪魔じゃねえよ……」
言ってやって続けた。
「お前にはお前の役割があるだろう」
「『役割』って……?」
そう訊いてくる怪訝そうな顔にまたため息をつきたい気分になる。
「……笑ってろ」
の表情に僅かな驚きが混じった。
「お前が沈んでると奴らまで暗くて仕方ねえ。
煩くねえのは結構だがあんまり辛気臭えと、逆にイラつくんだよ」
つい、怒ったような口調になってしまった。
小さく息をついて間を開けて、言ってやるつもりではなかった言葉を続けてしまう。
「俺もな……」
柄じゃないとわかっているセリフ。
「お前は……笑っている方がいい……」
が再び唇を噛み締める。
「妖怪退治だの、気功を使っての治癒だのは望まねえ。
お前はお前にできることだけやってりゃいいんだ」
は目に涙をいっぱい溜めて訊ねた。
「……笑う前にさ……泣いていい……?」
「……好きにしろ」
三蔵が言い終わった次の瞬間には、は両手で顔を覆って嗚咽を漏らしていた。
「手間かけさせやがって……」
三蔵は言いながらの隣に腰掛け、その胸にを抱き込んだ。
「法衣……汚れるよ?」
泣き笑いの声で言うに言ってやる。
「とっとと身体を治してお前が洗え」
「うん……」
頷いて、は泣き続けた。
それまで胸につかえていたものが涙と一緒に流れ出ていくようで、少しずつ心が軽くなっていった。
そのついでに白状することにした。
「本当はね、怖かったの」
「何が?」
「こんな嫌な自分……三蔵に知られたら、嫌われちゃうんじゃないかって」
「本当にバカだな。お前は……」
「うん……」
だから、ホッとした。
ホッとして泣けてきた。
自分のこんな嫌な部分を知っても、三蔵は抱きしめてくれた。
『邪魔じゃない』と言ってくれた。
今までずっと、言えない気持ちは無理やりに押さえつけて、呑み込むのが癖になっていた。
でも……
(三蔵には……言ってもいいんだ……)
安心して、嬉しくて……
この宿についた時からずっと我慢していた涙を全部流して、はそのまま眠ってしまった。
三蔵は眠ったをベッドに横たえて残った涙を拭いてやり、その額と唇にキスを残して部屋を出た。
その口元は一仕事終えた気分と穏やかな満足感に自然と笑みの形を作っていた。
そして、翌日からのは吐き気を覚えることもなく順調に回復し、数日後のジープの上には皆の笑顔との明るい笑い声が溢れているのだった。
end