I'm not in love.  笑顔の二律背反

の笑顔を見るのが辛い。

自分にだけ向けられるものではないから。
そして、その最上級のものは自分以外の男のものでしかないから……

移動中。朝からだるそうにしていたは隣で船を漕いでいる。
悟浄は川沿いの山道を走行するジープの振動に合わせてゆらゆらと揺れる身体を抱き寄せて自分に寄りかからせた。

の寝不足の原因である金色の頭が目に入れば苦虫を噛み潰す気分になる。

(……このクソ坊主)

昨夜は全員が一人部屋だったが、使われないベッドがあった事は間違いない。

悟浄は見つけてしまっていた。

風に流されるの髪の隙間、耳の後ろに残された赤い跡……

頭ではわかっていた。
しかし、実際に目の当たりにすると、とても心中穏やかではいられなかった。

のことは最初から気に入っていた。

あわよくば、いつか……と思っていた。

しかし、を知るごとに、簡単に手を出していい相手じゃないと思うようになっていた。

の気持ちが三蔵に向かっていることは早くから気付いていた。
だが、他に恋人がいる女でも自分の方に振り向かせたことなんて何度でもある。

に意外と一徹な部分があることは知っているが、相手が三蔵じゃの想いが報われることもないだろう。
ゆっくりこっちを向かせるように持っていけばいい。そう思っていた。

しかし、まさかこんなに早く、トンビにあぶらげ状態になるとは……

悟浄が溜息をついた直後、まるで地雷でも踏んだかのように地面が爆発した。

「「「「 うわぁっ!!!! 」」」」

四人はジープにしがみついたが、眠っていたはその衝撃でジープの外に放り出された。

!」

悟浄はジープから飛び出し、空中でその身体を捕まえた。
そのまま二人して川面に向かって落ちていく。

! 悟浄ー!」

悟空の叫び声の後に聞こえる大きな水音。
それで三蔵と八戒も起こった事態を理解する。

しかし、八戒がジープを立て直し停車した時、周りは妖怪に囲まれていた。

「チッ! こんな時に」

「早く二人を探さねえと!」

「でも、こちらを先に片付けないといけないみたいですね」

「さっきの爆発だけじゃダメか……だが、三蔵一行! 今日こそ年貢の納め時だ」

「経文を渡せェ!!」

「「 おメェら、うぜぇよ!! 」」

「すみませんけど、先を急ぎますんで、容赦なく相手させていただきますよ」

悟浄一人なら少々のことでも大丈夫だが、はそういうわけにはいかない。
二人が一緒ならまだマシだが、もし、流される間にはぐれでもしたら……
一刻も早く、見つけ出さなければ!

三人は50人ほどの妖怪をバタバタとなぎ倒していった。

(えっ!?)

気付いた時は水中で、どっちが水面なのかもわからない。
口や鼻からは気泡が溢れ、息苦しさにがパニックを起こしかけた時、
ぐいっと身体を引かれた。

次の瞬間には、顔が水面から出ていた。

「ぷはっ! ……ゲホッ! ゴホッ!!」

咳き込みながら、酸素を求めて呼吸を繰り返す。

「大丈夫か!?」

「え? ごじょ……? なんで? 何があったの!?」

「川に落ちたんだよ!」

後ろから悟浄に抱えられたまま、二人して流されていることにはやっと気付いた。

「泳げるか!?」

「泳げるけど、こんなに流れが速いんじゃ無理!!」

「違いねぇ!!」

川の流れは速く、はぐれないようにしながら浮いているのが精一杯だった。
今、泳ごうとしても無駄に体力を消耗するだけだろう。
しかも、は寝不足で体調も万全ではない。

少し流れが緩やかになったところで、やっと川岸にたどり着いたが、落ちたところからは随分流されてしまっていた。

濡れたままだと体力が落ちる。
三人が探しているだろうことはわかっていたが、今は身体を乾かすことが先だった。
枯れ枝を集めて、悟浄のポケットに入っていたライターで火をつける。

火を大きくしながら悟浄は上半身裸になっていたが、着替えはもちろん、毛布もタオルもない状況では
はシャツを脱ぐわけにはいかなかった。

「後ろ向いててやっから、とりあえず一度、シャツ脱いで、絞れ」

「え?」

「その方が早く乾くだろ? つか、俺が絞ってやるから貸してみろ」

確かに、が自分でするより悟浄にしてもらった方が、脱水効果があるだろう。
こちらに背を向けて右手を差し出す悟浄に、

「絶対、こっち、見ないでね」

と言いながら、脱いだシャツを渡した。

小さなシャツを捻りながら、悟浄の中には振り向いてみたい気持ちもあったが、今、振り向いても、三蔵の残した跡を見せ付けられるだけだと思い当たって、気が削がれた。

「ほら、これで大体いーだろ」

これでもかと絞ったシャツを後ろに差し出すと、受け取ったが驚いた声をあげた。

「うわ! すごいね! 脱水機にかけたみたい」

「いーから早く着ろ」

「うん…………もう、こっち向いても大丈夫よ」

しばらく火に当たって服がほぼ乾いてから、上流に向かって歩き始めた。

「なあ、いっこ、訊いてもいい?」

歩きながら、悟浄はに話しかけた。

「なあに?」

「この間の『願掛け』だけどさ、なんで俺になら教えてよかったの?」

『悟浄になら教えてあげてもいいかな?』

その言葉がなんとなくひっかかっていた。

「あ、あれ?」

「ああ、なんで?」

「もう忘れてよ。やだなあ……」

「いーじゃん、教えてよ」

困ったような笑顔を浮かべただったが、やがて観念したように口を開いた。

「三蔵は『願掛け』ってこと自体、鼻で笑っちゃいそうでしょ?
悟空だと、なんかのはずみでポロッと皆に喋っちゃうかもしれないし……
八戒に言うと『何かあったのか?』って気にして、皆に探り入れたりしそう」

「……確かにな……」

「でも、悟浄なら……あの場だけで、自分の胸に納めてくれるって思ったから……」

「…………」

「実際、今まで、誰にも何も言わなかったでしょ?」

「……ああ」

「だからよ」

(……三蔵だけを見てたわけじゃないんだな……)

「でも、もう忘れてね。恥ずかしいから」

「ああ、そうするよ」

「ありがと……きゃっ!」

言いながら、は転んでいた。

「おい! 大丈夫か?」

立ち上がるに手を貸す。

「うん、ケガはしてないと思う」

「わりぃ、歩くペース、早すぎたか?」

「ううん、ちょっとつまずいただけだから」

(ただでさえ体力消耗して寝不足な上に、川に流されて、こんな山道歩いてりゃ、そりゃ、足元も覚束なくなるよな……)

悟浄はに背中を向けてしゃがみ込んだ。

「ほら、おぶされ」

「え? いいよ! 歩けるから!」

「いーから、おぶされ!
朝からだるそうにしてたし、ジープでは居眠りこいてたし……
ここで無理して、また寝込んだりしても知らねーぞ?」

「…………」

「それで、一緒にいた俺の責任だって、あいつらにチクチク言われんのもゴメンだしな」

「……うん……ごめん……」

は大人しく悟浄の背中に被さった。

「……」

「ごめん! 重いよね? やっぱり、いいよ!」

「ちげーよ! ……軽いのに驚いただけだ」

「本当に?」

「ああ、しっかり掴まってろよ」

「うん」

(……コイツ、結構、胸、あんのな……)

肩を抱いたり抱えて運んだりはしていたので、が華奢な割に柔らかく抱き心地のいい身体をしていることは、たぶん、三蔵よりも先に知っていた。

背中に当たる柔らかい感触とぬくもり……
それが既に三蔵のものだと思うと悔しかった。

「……なんか、私、悟浄にはすごく甘えちゃってるね……」

「そーか?」

「だって、ジープで寝ると、気がついた時にはいつも悟浄に寄りかかってるし」

(そりゃ、俺が抱き寄せてるからだって……)

「別にそこで寝てもいーぞ」

「でも、寝たら重くなっちゃうよ?」

「あ?」

「ちっちゃい頃ね、よく『疲れた』って駄々こねて、お兄ちゃんにおんぶしてもらってたの。
その度に『寝るなよ。寝ると重くなるんだから』って言われてた。
でも、気持ちよくていつも眠っちゃうの」

「ははっ」

「楽ちんで、あったかくて、安心できて……懐かしいなぁ……こんな感じ……」

「俺、『お兄ちゃん』なの?」

「……『お兄ちゃん』っていうと……どっちかっていうなら八戒かなぁ?」

「じゃ、俺は?」

「んー、『頼りになる男友達』?」

『頼りになる』という部分は嬉しいが、『男友達』と断言されてしまったのは複雑な気分だった。

「じゃあ……」

『三蔵は?』と、喉まで出かかったのを、他の言葉にすりかえた。

「頼りになる悟浄さんに任せて寝てろ」

「ふふっ……ありがとう……本当に寝ちゃったらごめんね」

その後しばらくして、ジープの三人と合流できた時、は悟浄の背中で熟睡していた……

越えた山のふもとの町。
食事も済んで、悟浄は部屋で風呂上りの缶ビールをあおっていた。

今日も全員、一人部屋だ。
三蔵がどの部屋で寝るのかはわからないが……

二本目のタブを起こそうとした時、部屋のドアがノックされた。

「へーい、誰ー? 開いてるよー」

「私ー、入っていい?」

ドアから顔を覗かせたのはだった。

「ああ、どした?」

「今日のお礼。ささやかだけど」

はそう言ってタバコの箱を差し出した。

「川に落ちた時、ダメにしちゃったでしょ?」

「サンキュ」

「それから……ちょっと耳、貸して」

「ん?」

不思議に思いながら、顔を横に向け香花の方に体を傾けると

「これはオマケ」

囁き声が耳に入った後、頬に柔らかいものが触れた。

?」

今まで何度も『お礼のチューは?』と冗談めかして言ってきたが、本当にしてもらえるなんて思ってなかった。

「皆には内緒ね」

口に人差し指を当てながら言う、悪戯っぽい笑顔。

「もったいなくて言えねーよ」

照れ隠しに笑いながら言ったセリフに

「うん、二人だけのヒミツよ」

と、返される共犯者の微笑み。

(まあ、いーか、これでも……)

最上級のものではないけれど、今、この笑顔だけは、自分ひとりに向けられたものなのだ。

「今日は本当にありがとう……じゃ、おやすみなさい」

「おやすみ。風邪ひかねーようにして寝ろよ」

「うん、ありがと」

が出ていった後、悟浄は溜息をつきながら、ベッドに仰向けに倒れこんだ。

決して全てを独占することなどできない笑顔。

――だから、見たくない――

――それでも、見ていたい――

その気持ちはどちらも本当で……

もらったハイライトを複雑な気分でふかしながら、悟浄は自分に言い聞かせていた。

気に入っていた女を横から攫われて面白くないだけ。

その相手が三蔵だから余計に癪に触ってるだけ。

本気になんか、なってたまるか……

end

Postscript

HOME