Her favorite やさしいひととき
「あ〜あ……」
椅子に座ったはテーブルに両手を投げ出して、コテンと頭をつけた。
遡ること数分前。
宿に入って部屋に落ち着いて、買出しに行く三人について行こうとしたのだが
「やめておけ」
「ええ、荷物持ちなら二人いますから大丈夫ですよ」
「、昼くらいまで熱あったんだしさ」
「そーそー、ゆっくりしてな」
四人がかりで止められてしまって、諦めざるを得なくなってしまったのだった。
「皆、過保護だよぉ……」
そうテーブルに突っ伏したが
「ほんの微熱だったし、もう下がってるのにさ……」
と、こぼすと、向かいに座っている三蔵が新聞を捲りながら言った。
「……少しはテメェの体力のなさを自覚しろ」
「……皆と比べるのが間違ってると思うんですけどぉ……?」
反論しながら、は少しスネた気分になった。
男と女じゃ基礎体力が違うのは当たり前だし、悟空、悟浄、八戒の体力は人間以上だ。
(大体、熱、出したんだって誰のおかげだと……)
昨夜、なかなか眠らせてくれなかったのは……
ただでさえ皆より劣る体力を更に消耗させるようなことをしてくれたのは……
泣きながら『もう、ヤだ』と言っても聞いてくれなかったのは……
思い出すと恥ずかしくてたまらなくなった。
赤くなってしまっているだろう顔を腕に埋めて隠す。
結局、行為がいつ終わったのかも知らない。
途中で気を失ってしまって、気がついたら朝だった。
『三蔵のせいだ』なんて言って蒸し返すようなことはしたくないし、そう苦情を訴えたところで、この男は、また意地の悪い事を言ってくるに違いないのだ。
「一般的な話をしてどうする? こういう状況なんだ、相対的に捉えろ」
言い返す三蔵にも、正直、の体調不良の原因を作った自覚はあった。
宿の都合やの身体の都合でしばらくお預けをくらった後だったので、昨夜はつい無理をさせてしまったのだ。
だから残らせた。
最低限の気の遣い方はしてるだろう。文句を言われる筋合いはない。
「……本屋さん、行きたかったなぁ……」
が溜息をついて呟いた。
「本屋?」
「うん。買出しのついでに、立ち読みでもいいから何か見たかった……」
(寄り道が目的かよ……)
一瞬、呆れたが、ふと思い当たった。
は部屋に一人でいて、他に何も用事がない時は本を読んでいることが多い。
つまり今は、暇つぶしのタネがなくて不満ということだろう。
「いつでも行けるだろうが」
「今、行かせてもらえなかったじゃない」
「なに、スネてやがる」
「スネてなんかないもん……」
ずっとテーブルに突っ伏したままで、つまらなさそうに言うは酷く子供っぽく見える。
(スネてるじゃねえか……)
「……何か借りられるようなモンがねえか、宿の人間にでも訊いてみりゃいいだろう?」
言ってしまった後で、いつの間にかにのせられている自分に気付く。
「あ! そうね!!」
ガバッと起き上がったは、さっきまでとはうって変わった笑顔で
「ちょっと訊いてくる!」
と、スキップでもしそうな勢いで部屋を出て行った。
(まったく、アイツは……)
三蔵は思わず溜息をついた。
14の時から一人になって、18からはあんな境遇で、早く『大人』にならざるを得なかっただろうが時折垣間見せる『少女』の部分は、とても幼くて、その分、邪気がなくて、だから憎めなくて……
こちらの庇護欲を余計に駆り立ててくれるのだ。
気が付くとのペースにはまっている……
またそれが、本人は無自覚なものだから始末が悪い。
しかし、の笑顔を望んでしまう――それは三蔵も他の三人も同じなのだった……
「何か適当に見繕って持ってきてくれるって」
戻ってきたはとても嬉しそうにそう報告した。
その後、本を持ってきた宿の娘と、どういうジャンルの本が好きだだの、どの作家が好きだだの、ひとしきり話に花を咲かせた後、数冊の文庫本を借りて、早速、読み始めている。
穏やかな静寂を好む三蔵にとって、のこの趣味は都合が良かった。
こういう時間の過ごし方は悪くないと、結構、気に入っている。
それに、何かに熱中している時のは、その時の心の動きのままに表情がくるくる変わる。
特に読書中は内容に感情移入するぶん百面相で、端で見ていると笑えるのだった……
夜になって食事や入浴を済ませた後にも、は夢中になって本を読んでいた。
「おい、それ全部、今夜中に読むつもりか?」
三蔵がそう声を掛けたのも無理はなかった。
は既に一冊を読み終え、二冊目にとりかかっていたが、テーブルの上にはまだ読んでない分があと二冊ある。
「ん? 短編集だからキリのいいとこで止められるんだけど、すごく面白いから」
「明日が辛くなっても知らんぞ」
「うん、わかってる。あ、コーヒー淹れようかと思うけど、飲む?」
「ああ」
テーブルに向かい合って座ってのコーヒーブレイクに、ホッと心を和ませる。
「読書もいいが、いい加減にしておけよ」
「うん……でも、これ借りられて良かった。
三蔵が言ってくれたお陰ね。ありがとう!」
「……そんなに嬉しいのか?」
「うん。本、読むの、好きだもん!
貸してくれたお姉さんも読書が趣味で、いっぱい本持ってるんだって」
ニコニコと笑いながら言って、カップに口をつけたが、ふと思いついたように言った。
「ねえ、訊いてもいい?」
「なんだ?」
「私たちって『恋人同士』になるの?」
「はあ? 何、言ってんだ? てめぇ」
「本、借りた時にね、いろいろ話してて言われたの。なんか、気になって……」
『お客さん、この町は初めてですか?』
『ええ、周りに緑が多くてキレイなところですね』
『ここから少し南西に行った森にはよく澄んだ湖があるんですよ』
『へえ……』
『隠れたデートスポットになってるんです……恋人同士にはオススメですよ』
……新聞を読みながら聞き流していたのでよく覚えていないが、言われてみれば、そんな会話をしていたような気もする……
はカップをテーブルに置いて、両手で頬杖をついた姿勢でじっとこちらを見ている。
その視線に負けて、三蔵は口を開いた。
「……やることやってんだ。思いたきゃ思え」
は少し驚いたような顔をした。
「……いいの?」
「なにがだ」
「……そんなこと言うと……本気にしちゃうよ?」
「…………勝手にしろ」
その三蔵の言葉に顔を綻ばせて
「じゃあ、勝手にする!」
と、はしゃいだ声をあげたは、とても嬉しそうに、そして少し照れくさそうに笑って、両手で包むように持ったカップに口をつけた。
少しの砂糖と多めのミルクが入ったコーヒーを飲み干してカップから離れた後も、その唇は笑みの形を崩していない。
そして、照れを隠すように、また本を開いた。
(フッ……)
そんな様子に、三蔵の口角もわずかに上がる。
あんな言い方しかできない自分なのに、それでも、そんなに嬉しいものなのか……
(……今日はゆっくり眠らせてやろうかと思ってたんだがな……)
はまだ、自分で自分の首を絞めてしまった事に気付いていない。
せっかく借りた本も、すべてを読みきることはできなさそうだ……
end