Don't leave me alone.-3

雷が鳴ってる……

稲妻が照らす部屋の中は血の海。

転がってるあれは……何……?

『……こんなの信じない。
これがお母さんとお兄ちゃんだなんて、絶対に信じない』

あそこに立ちすくんでいるのは……ああ、自分だ。
14歳の時の。
あの夜の……

右足が血まみれ。
うん、あの時、途中で転んだものね。
落ちてたガラスかなんかでザックリ切ったっけ。

人に言われるまで気付かなかったけど。
痛みなんて、全然感じなかったけど。

近寄りたいのに、身体が動かない。

抱きしめて、言ってやりたいのに。

『あなたは、あなたにできることをしたでしょう?』って、言ってやりたいのに。

三蔵が言ってくれたみたいに、あの子に言ってやりたいのに……

こっちを向いたあの子の口が動いた。

え? 今、なんて言った?

――何故、あなただけ、まだ生きてるの? ――

……ああ……そうか……あなたはまだ……私を、赦してくれないのね……

……足が……痛い……

開いた目の目が見慣れない天井を映す。

カーテン越しに稲妻と雷鳴。

(また、あの時の夢……今までとはちょっとパターンが違うけど……)

でも、本当に、足が痛い。

起き上がろうとすると何かがジャラッと音を立てた。

(ああ、そうだった……)

三蔵を起こすわけにはいかない。
こんな夜中だ、寝てるに決まっている。

雨の時、三蔵は機嫌が悪くなる。

何故かは知らないけれど、なんとなく、自分の雷嫌いと同じような理由なんじゃないかと思う。

右手を動かさないように気をつけながら起き上がった。

借り物の悟空のズボンの裾をまくってみる。

膝より少し上に斜めに走る古い傷。

あんまり痛いから、傷口が開いたのかと思った。
そんなわけないのに。

でも、濡れてる感覚がある。

それが血ではなく、上から覗いてる自分の目から落ちた涙だと気付くまで、しばらくかかった。

(私、なんで泣いてるの?)

理由なんてあるはずのない涙なのに止まらない。
とっくに治ってるはずの傷なのに痛くてたまらない。

傷痕を左手で押さえ、その甲に口を押し当てて、声を殺した。

(早く泣き止まないと、三蔵が起きちゃうってば!!)

そう思うのに、涙はますます溢れてくる。
は必死で声を抑えていた。

涙の勢いが少し治まった頃、ジャラジャラと鎖の音がした。

見ると、三蔵が身体を起こしている。
胡坐の片膝を立てたいつもの格好で。

「やっぱり起こしちゃった? ……ごめんなさい……」

「足が、どうかしたのか?」

「……ここんとこにね……傷があるの。
古いんだけど……あんまり疼くから、傷が開いちゃったのかと思って……
バカよね……」

言いながらは7、8cm程の長さの傷痕を左手の人差し指でなぞった。

「……泣くほど痛えのか?」

「うん、痛い」

はこの際そういうことにしてしまおうと思った。
自分でも理由なんてわからない。

「まるでガキだな……」

「……そうね……雷の夜には、私、14歳に戻っちゃう……
でも、これは自分でどうにかしなきゃいけないことよね……
ちゃんと折り合いをつけて……
いつかあの子に、今の私を赦して、受け入れてもらわなきゃいけないんだわ……
大変だと思うけど……」

「何の話だ?」

「……寝言だと思って」

三蔵と話しているうちには落ち着いてきていた。
起こしてしまったのに、怒ったりせずに話を聴いてくれる三蔵が嬉しかった。

三蔵が『寝言を言うんだったら寝ろ』と、言おうとした時

ピシャ――――――ン

稲妻と共に耳を劈くような音がした。
建物全体がビリビリと揺れる。

「きゃあっ!!!」

が悲鳴をあげ、次の瞬間、三蔵はに抱きつかれていた。

「おい!」

三蔵の声はまだ続く轟音に掻き消され、の耳には届かない。
必死の様相のはすごい力でしがみついている。

「……今のは近くに落ちたな」

「嫌っ! 雷なんて大嫌いっっ!!」

は涙声で言いながら震えている。

そのまま、どれくらいの時間が経っただろうか?

三蔵は口を開いた。

「おい、いつまでそうしているつもりだ?」

「……もう少し、このままでいさせて……
三蔵、あったかくて……落ち着く……」

「……勝手にしろ」

「ありがとう……ごめんね……こんな夜に、一人じゃなくて良かった……」

数分後、三蔵は呆れていた。

(だからって、そのまま寝てんじゃねえよ……)

……雨は嫌いだ。

耳につく音が、呼び起こされる記憶が、たとえ眠っていても悪夢と化して纏わり付き、眠りを許さない。

今日もそうだった……眠れやしない。

すぐ横で寝ているがうなされていた。
無理もない。雷も鳴っている。

目を覚ましたらしく起き上がったが、まるで生気が感じられなかった。
いつもとは別人のようだ。

しかし、そんな時でも自分を起こさないように気を遣ってるらしかった。
お人好しな奴だ。

が見せた傷痕。
少し盛り上がったそれは白磁のような肌には不釣合いで、酷く痛々しい印象を与えた。

自分が雨を嫌いな理由と、が雷を怖がる理由は同じだ。

だから、を泣かせたのは傷の痛みではなく、心の痛みの方なのだろうという予想はつく。

怖いのは雷ではなく、雷に傷を抉られることだろう。

こういう時は肩でも抱くものだ、と人に言われたこともあるが、できなかった。

自分の事で手一杯で、泣いているを気遣ってやる余裕もない。

……は自分で乗り越えようとしている。
あの「寝言」はそういう意味なのだろう。

(『あったかくて……落ち着く』……か……)

雷はまだ続いている。起こしてもまた面倒なだけだろう。
不思議と今は雨の音を煩く感じない。

(もうしばらく、こうしてやっていてもいいか……)

三蔵もまたのぬくもりを感じていた。

翌朝。

雷は止んだが、雨は続いている。

八戒と悟浄の目の下には隈が出来ていた。

ポルターガイストで、テーブルや椅子がガタガタ音を立てるは、ベッドは浮くはで、ろくに眠れなかったのだ。
部屋の中は全ての家具の配置がぐちゃぐちゃになっている。

「やっぱり、僕たちのとこにも来ましたね」

「変わったことだったら何かの手がかりになったかもしんねーのによ……
定番中の定番だったな」

「悟空の方はどうだったでしょう?」

「何も言ってこねーってことは寝てんのか? 起こしに行くか」

悟空は熟睡していた。
しかし、顔や手足が真っ黒に塗られている。

「これってどうよ?」

「んー、何をやっても目を覚まさないから、その腹いせにやったって感じですね」

悟空を起こして話を聞いても、収穫はなかった。
怪現象はおろか、あのすごい落雷にも気付かず眠っていたそうだ。
それよりも朝食のことが気になるらしい。

「とにかく、早く顔を洗ってきてください」

悟空が入った浴室から声が響く。

「なんだ、これーーっ?」

結局、悟空は顔どころではなく、全身を洗うことになった。
墨だかインクだかわからない染料はなかなか落ちなかった。

悟空が浴室で悪戦苦闘している間に二人は、三蔵との部屋の様子を見に行った。

二人とも低血圧とはいえそろそろ起きてもいい頃なのに、まだ起きてこないのだ。

ノックをしても返事はなかった。

「入りますよ?」

一応、声をかけてみるが、やはり反応はない。

昨日の今日で、しかも雨。三蔵の機嫌が良いはずない。

恐る恐る踏み入れた足が……止まった。

「「 ………… 」」

二人はまだ眠っている。

枷で手首を繋がれたまま、寄り添うようにして。

まるで、おとぎ話の挿絵のようだ。

三蔵のこんな穏やかな寝顔なんて初めて見る。
そしての寝顔はどこまでも無垢で、愛らしかった。

目を覚ましたときの三蔵の反応を見てみたい気もするが、の幸せそうな眠りを終わらせてしまうのは気が引けた。

「……もう少し、寝かせてやりましょうかね」

「どうせ出発もできねーしな」

「これは見なかったことにしてあげましょう」

「……そうしてやっか……」

悟浄と八戒はそっと部屋を出て、静かにドアを閉めた。

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