Snowy day

『この冬一番の寒気』――毎年、ひとシーズンの中で何度か聞くフレーズではあるけれど、今回の寒波は数年に一度レベルの厳しさのようだ――

はそんなことを考えながら窓の外を見ていた。

「おい、カーテンを開けるな。窓から冷気がくる」

「あ、はーい」

同室の三蔵に注意されて慌ててカーテンを閉める。
ここは二人部屋なのだ。

他の三人は別の三人部屋にいる。
部屋の大きさが違うためか二つの部屋は少し離れていて、環境としては静かだった。

昼間からカーテンを閉めているのは防寒のためだ。
実際、さっきまで見ていた窓の外は雪で白一色になっていた。

本来なら一日のうちで一番気温があがるはずの時間帯なのに、外気温は朝と大して変わっていないらしいし、空を覆った雪雲のために室内はカーテンを閉めていなくても灯りが必要なほど暗い。

降り続ける雪は午後から吹雪く勢いになり積雪量も朝より増している。
今日の出発は取りやめにしたこと、午前中に買い出しやコインランドリーでの洗濯を済ませていたことは正解だったようだ。

「昨日のうちにこの宿に入れててよかったね」

窓から離れてテーブルに座ったは、向かいに座って新聞を広げている三蔵にそう話しかけてみた。

冷えるけれどまだ雪は降っていなかった昨日の夕方、この町に着いた。

数軒あった宿の中からここを選んだのはここが一番新しかったからだ。
新しい建物なら隙間風の心配もないし、暖房設備も整っているだろうという予測は大当たりだった。
各部屋にエアコンは付いているし、窓のカーテンも厚手で、外が雪でも部屋の中は快適だった。

「そうだな」

煙を吐き出しながら答えた三蔵はそのまま短くなったタバコを揉み消した。
お茶のおかわりは……まだ必要無さそうだ。

何もすることがない手持ち無沙汰にはつい三蔵を観察してしまう。

普段、皺の寄っていることが多い眉間がなだらかだ。
それだけ寛いでいるのだろう。

眼鏡の奥の紫の瞳が、活字を追って動く。
見慣れているはずだけどこうして改めて見ると綺麗な色だと思う。

位の高いお坊さんなのだから、目が綺麗だったり目力があったりするのはいいことなのかもしれないけれど、三蔵の場合は凄味があり過ぎな気がする。
今はまだ穏やかだけど、タレ目なのに三白眼になりがちというのはどうなのだろう?

そんなことを考えていたら、下を向いていた三蔵の目がジロリとこちらを睨んだ。

「何、ジロジロ見てやがんだ?」

しっかり目が合ってしまったし、眉間に軽く皺も寄っている。

出会って間もない頃だったなら気圧されてしまっただろう表情だけれど、今は微妙な表情や声の違いで、見た目ほど不機嫌ではないことがわかる。

「別に? ただ、ヒマだから」

「人の顔、暇つぶしに使ってんじゃねえよ」

「じゃあ、構ってくれる?」

「……面倒くせぇ」

思っていたとおりのセリフが返ってきて、は思わず笑ってしまった。

「なら、見られることくらい我慢してよ。
本も読み終わっちゃったし、何もすることがないんだもん」

「知ったことかよ。人を珍獣扱いすんじゃねえ!」

「『珍獣』だなんて思ってないよ。でも……」

『確かに「三蔵法師」は滅多に会える存在じゃないって点では珍獣に近いよね』と続けたいところだったけど、これでは完全に怒らせてしまうので、慌てて他の言葉を探した。

「目の保養にはなると思うの」

考えるより先に口をついて出てきたのはその一言だった。
ポロッと本音が零れてしまったのだ。

三蔵は一瞬、言葉を詰まらせ、

「ふざけたことばかりぬかしてんじゃねぇ! そんなに暇なら昼寝でもしてろ!!」

と、語気を荒げた。

しかし、それは表面だけのことで、本当に怒っているわけではないことはわかる。

三蔵は見た目の美醜についてコメントすることのない人だから、機嫌がどっちに転ぶかは不安だったけど、どうやら悪い気はしなかったようだ。

「はーい。そうしまーす」

これ以上からかうと本気で機嫌を損ねかねないので、再び新聞に目を戻した三蔵にはそう返事をして立ち上がった。
昼寝をするにしろ、悟空たちの部屋に遊びに行くにしろ、一度、お茶を淹れておいた方がいいと思ったのだ。

「その前にお茶のおかわり淹れようか? 飲むでしょ?」

「……ああ」

湯呑みを手に取り、お茶の準備をしている時だった。

フッと部屋の中が暗くなった。
反射的に電灯を見上げる。

自分はここにいるし、三蔵もテーブルから動いてはいない。
スイッチを切ったような音も聞こえなかった。

「停電かな?」

「大雪だからな。そういうこともあるだろう」

「早く復旧するといいね」

電気も水道もないところで野宿することなんて日常茶飯事なのに、さっきまで点いていた電気が消えたとなると途端に不安になってしまうのが不思議なところだ。

はとりあえずお茶を淹れ、またテーブルに戻った。
なんとなく三蔵の近くにいたかったのだ。

暗い室内にテンションが下がったまま二人でお茶を飲んでいると、宿の従業員がやってきた。

その説明によると――この辺りでは珍しい大雪のせいで、昼過ぎくらいから宿の付近一帯が停電になった。宿には非常用発電機があるのでさっきまでは電気を使えていたが、復旧に時間がかかっているため、発電機が燃料切れになってしまった。不自由をかけてしまうが、現在、燃料を手配しているので、しばらく待って欲しい――というのだ。

自然相手のことだから仕方ないし、気温が低い分、暖房に必要な電気量も多かっただろう。
は労いの言葉を掛け、従業員は苦情がでなかったことに安心したような表情を見せて部屋を後にした。

「なんか大変そうね」

テーブルに戻って言うと

「危機管理がなってねえだけだろ」

少し不機嫌そうな声で言って、三蔵は畳んだ新聞をテーブルに投げ出した。

今のこの部屋の明度では新聞の字は読みにくいだろうし、きっと、唯一と言っていいだろう暇つぶしができなくなったのが面白くないのだ。

「たぶん、この天気は想定外だったんでしょ? 仕方ないじゃない」

この宿は発電機がある分、辺りの一般住宅よりは対応が早いだろう。
寒い中で復旧作業をしている人はもっと大変なのだから、文句を言うのは気の毒だ。

取り出したタバコに火を点けた三蔵は特に返事をせず、もそれ以上は何も言わずにまだお茶が残っている湯呑みに口をつけた。

会話がないままに時間だけが過ぎる。
降り積もった雪のせいか外からの音も届かない。

瞬きをする音さえ聞こえてきそうなその静寂を破ったのは三蔵だった。

「……少し、冷えてきたな」

「……暖房、切れてるもんね」

電気はまだ戻っていない。
飲んだ時は熱かったお茶も、一度、胃に入ってしまえば、ただの水分になり身体を冷やす。
電気ポットのお湯も冷めてきているだろうし、どうやって暖をとればいいのだろう?

ふと思いついてはテーブルから離れた。

ベッドへと移動し、そこに掛かっていた毛布を剥ぎ取る。
そして、それに包まってベッドに腰掛けた。

「あ、やっぱりこうするとマシだよ」

最初は冷たかった毛布もすぐに体温が移り暖かくなった。
入浴もしていないうちに普段着で夜具に包まるというのは多少の抵抗がなくもないけれど、風邪を引くよりはいいだろう。

三蔵は呆れるように軽く息を吐き出しながら億劫そうに立ち上がった。

そして何故か、の前に立った。
ベッドはもう一つあり、そこにも毛布はあるのにと不思議に思っているに三蔵が声を掛ける。

「それを寄越せ」

「はい?」

は思わずそんな声を発してしまった。

「そっちのベッドにも毛布はあるじゃない!?」

この場合、声に非難の色が含まれてしまっても仕方ないだろう。
ベッドから毛布を剥ぎ取るだけのことを面倒くさがっているとか、暖まった毛布の方がいいとかの理由だったとしたらあんまりだ。

それなのに

「いいから寄越せ!」

三蔵は聞く耳を持たずに言いながら、の毛布を掴んで力任せに引っ張った。

「わっ!!」

引き上げられるようにの腰が浮く。
その勢いのまま転びそうになったがなんとか踏み止まって振り向くと、毛布は既に三蔵の手に渡っていた。

「なっ!」

『なにすんのよ!!』と怒鳴りたいのに、あまりのことに声が出ない。

しかし、三蔵はのことなど歯牙にもかけない様子で毛布を羽織りベッドに腰掛けた。

ここで怒りに任せて文句を言っても喧嘩になるだけだ。
は極力、自分を抑えて言った。

「……ちょっと酷いんじゃない?」

三蔵は何も言わずにを見上げる。そして――

今度は、の腕を掴んで引いた。

「ひゃ!」

予想外のことには抵抗などできない。

気がついた時、は三蔵の足の間に収まる形でベッドに腰掛けていた。

「……さ、三蔵?」

振り向きながら背後の三蔵を見上げる。
それと同時に毛布の端をつまんだ三蔵の腕がの身体を包んだ。

「……この方が防寒になるだろう?」

視線は前に向けたままのぶっきらぼうな口調だった。
しかし……

三蔵はこういう人なのだ。

「……そうだね」

はさっきまでの怒りも忘れて頷いた。

背中が暖かい。

よく考えれば恥ずかしい構図だけれど、嬉しさは誤魔化せない。

「うん、あったかいよ」

照れ臭くてはそれだけ言うのが精一杯だった。

大雪も停電も、あまり頻繁に起こっては困ることだけど、寒いのもあまり好きではないけれど、でも、こんなふうに、ちょっと嬉しいことがあるのなら……

――たまには悪くないね――

end

※この話はフィクションです。『発電機はすぐ燃料切れになる』等の誤解をされませんよう、お願い申し上げます。

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