I'm look to you
落ち着いて、ゆっくり寛ぐつもりだった。
この町に着いたのは午前中だった。
数日続いた野宿の間に食料は尽きていたし、おまけに今日は早朝から妖怪の襲撃を受けて全員の空きっ腹に追い打ちが掛けられていた。
たどり着けた食堂で空腹を満たして、やっと人心地がつけた。
その後の行動は、買い出しだけしてすぐ先に進むか、一泊して出発は明日にするかの二択だったのだが、前者の場合、今夜も野宿になってしまうのが確実だった。
結果、満場一致で宿を探すことになった。
だから、今日の午後以降は落ち着いてゆっくり寛ぐつもりだったのだ。
実際、座り心地のいい三人掛けのソファーの真ん中に腰を降ろし、タバコとコーヒーを傍らに新聞を捲りながら、三蔵は望むとおりの時間を過ごしていた。
つい、さっきまでは。
しかし――
「腹へった!」
「お前、さっきも『おやつだ』っつって肉まん買い食いしてたじゃねーか! 三つも!」
「足りねぇんだもん」
「買ってきてくれたもので晩御飯の下ごしらえ始めるから、待ってて」
「早く食事がしたいのなら手伝ってください」
買い出しに行っていた連中が帰ってきた途端、『落ち着いて』というのは無理になってしまったのだった。
今日の宿は街はずれの湖沿いに点在するコテージの一軒を貸し切っていた。
玄関から伸びた廊下の左側に風呂があり、右側にはキッチン。
夏場に避暑で長期滞在する者も多いのだろう。
調理器具や食器も一通り揃っているとと八戒が喜んでいた。
廊下の突き当りはリビングダイニングになっており、広い窓からは湖が見えた。
リビングダイニングを挟んで左側にツインの部屋、右側にトリプルの部屋があり、それぞれの部屋にトイレと洗面所もついている。
部屋割りはいつものとおりだ。
風呂に隣接した広めの脱衣所に洗濯機まであることに大喜びだったは宿に残って洗濯をし、買い出しに行く八戒に荷物持ちとして悟空と悟浄も付いていった。
だから、その間は静かだったのだ。
が淹れたコーヒーの味も悪くはなかった。
タバコはあとひと箱だけとなっていたが、買い出し組に買って来いと命じていた。
奴らが帰ってきたことのプラスはその一点だけだ。
三蔵が座っているソファーは窓に対して垂直に配置されている。
ローテーブルを挟んだ向かいには二人掛けのソファーがあるので、どちらに座っても湖が見えるようにとの配慮だろう。
対面式キッチンのカウンターのすぐそばにダイニングテーブルが置かれている。
三蔵はダイニングスペースに背を向ける形で座っているのでキッチンは見えないが、話し声は筒抜けだった。
この騒がしさはタバコの入手を上回る大きなマイナスだ。
だが、他の棟とは間隔が空いている一軒家だから、少々騒いでも外部からの苦情がくることはないだろうし、もし敵の襲撃があったとしても、街中の宿に比べれば周囲への被害も少なくて済む。
そのせいかはいつもよりのびのびしている気がする。
普段からうるさい悟空と悟浄も、たしなめる人員が一人少ない上、たまのことだからか保育士までも目こぼししているらしく、賑やかこのうえなかった。
「なあ! 何、作んの? 晩飯って何?」
「メインは煮込みハンバーグです」
「それからサラダとポトフ。もう一品くらい何か副菜が欲しいわね」
「美味そう! 楽しみ〜!」
「で、何を手伝えって?」
「大量に作りますからね。
玉ねぎを炒めたり、タネを成形したりなら、悟浄や悟空にも出来るでしょう?
ああ、悟浄、咥えたばこはやめてくださいね。
食材に灰が落ちます」
「へいへい」
会話と同時に何かを洗うような水音や包丁で物を刻む音も聞こえてくる。
きっと、八戒とはテキパキと手を動かしているのだろう。
「あ、悟浄、ちょっと上向いてじっとしてて」
「うん? ?」
「髪、結んでるの。料理するんだったら、ね?」
実際には見えないが、そのやりとりから光景がありありと浮かぶ。
おそらく悟浄の背後に立ったが手を伸ばしてあの紅い髪を束ねているのだ。
確かに、悟浄があの髪のまま調理を手伝うのなら、衛生的には良くない。
しかしだ。
「……サンキュ」
短く礼を言う悟浄の声に混じる若干の照れが気に食わない。
(クソ河童が……そんな髪なんぞ切りやがれ!)
その後も、洗い物の音、包丁の音、炒め物の音、様々な音と一緒に聞こえてくる話し声は作業の音に負けないほど騒々しい。
「つか、俺、いつの間にか洗い物要員になってんデスケド?」
「料理スキルの問題です」
「流しが低いんだよ。やりにくくってしょうがねぇ」
「そうよね。私に丁度いいんだから、流しも調理台も悟浄や八戒には低すぎでしょ」
「じゃあ、俺が洗うよ。やっぱ包丁使うのはまだ難しいし」
「では、洗い物は悟空に任せて、悟浄は布巾で拭いてくださ――って、?
なんだか肉の混ぜ方が変ですよ?」
「まくってた袖が落ちてきちゃったんだけど、手は汚れてるし……」
「ちょっと手を止めてください………………はい、こんな感じでいいですか?」
「ありがとう、八戒」
相変わらず見えるわけではないが、話を聞いていれば、少しの沈黙の間にどういうことが行われたのかは想像に難くない。
きっと、八戒がの細い腕に手を添えて、その袖をまくり上げてやったのだ。
(何、エロ河童みたいな真似してやがんだ……)
密かにむかつく三蔵をよそに料理の手順は着々と進んでいるようで、やがて、肉の焼ける匂いが漂ってきた。
「わー! いい匂い。なあ! 一個喰いたい! 味見させて!」
「駄目ですよ。
今から煮込みますから、表面に焼き色がつく程度にしか焼いてないんです。
中はまだ生焼けですからね」
「慣れない料理の手伝いで、腹がへったか? お猿ちゃん」
「あ! 悟浄までビールなんて開けて!
夕飯まで待てないんですか?」
「一本くらい、いーだろ? 労働の後は、やっぱビールだよな」
「悟浄だけとかずりぃじゃん! 俺もなんか喰いたい!」
「しょうがない人たちですねえ」
「私が軽く何か作るわ。
八戒はまだハンバーグの仕上げがあるでしょ?」
「お願いします、」
「わーい! やったー!」
その後も、にぎにぎしいまま数分が過ぎ、その声が聞こえた。
「はい。出来たよ、悟空」
が『軽く何か』作ったようだ。
悟空のために。
「目玉焼き? トースト?」
「食パンの縁にマヨネーズで土手を作って、卵を落として、オーブントースターで焼いたの」
「へぇ〜、美味そう! いっただきまーす!」
聞こえる声の感じからして、悟空はダイニングテーブルでそれを食い始めたのだろう。
だが、振り向いたら負けだ。
「美味ーい!」
「ふふっ。落ち着いて食べて。
ほっぺにマヨネーズついてるよ」
「へ?」
笑いを含んだの声と、間の抜けた悟空の反応。
そして――
「ほら、ここ」
「いいよ! 自分で拭け――っ」
「きれいになった」
「…………ありがと」
の言葉の合間に聞こえた悟空の声は、焦ったり、照れたりしていた。
これは間違いない。
悟空の頬についたマヨネーズをが拭き取ってやったのだ。
(……お前は悟空を甘やかし過ぎだ)
世話を焼くも甘える悟空も、全くもって面白くない。
だいたいはコーヒーを淹れた後、三蔵のことはほったらかしだ。
コーヒーメーカーごとローテーブルに置いて、近づきもしていない。
そして、なにより不愉快なのはそんなことで気分を害している自分自身だ。
イラつく気持ちのまま、次のタバコに火を点けようと手に取ったケースは空だった。
少しずつ溜まり続けてきた不快感に喫煙のペースが上がっていたらしい。
もうごみでしかないケースを握りつぶし、三蔵は数時間ぶりに声を発した。
「おい! タバコよこせ!」
「はーい」
返事をしたが、やはり数時間ぶりに三蔵のそばにやってきた。
が、あえて新聞から目を上げることはしなかった。
「はい、タバコ。それと――」
タバコを差し出したは続けて三蔵の前に皿を置いた。
「なんだ? これは」
トーストのようだが、なにやら塗ってあるようだ。
「玉ねぎのみじん切りとマヨネーズを混ぜて、塗って、焼いたトーストよ。
お腹すいてるんでしょ?」
そう言われれば、酸味を予想させるような匂いがしている。
タイミング的にも悟空に出したものと同時に作ったのだろう。
言いながら三蔵の向かいに座ったが続ける。
「キッチンから時々見てたのよ。
だいぶイライラしてるみたいだから、そうかな?って……」
(……気づいてやがったのか……)
キッチンからは三蔵の後ろ姿しか見えないはずだ。
それでも、は三蔵の不機嫌を察していたらしい。
「……悟空と一緒にするな」
その苛立ちの原因に関しては的外れだったが、調理中もは三蔵のことを気にかけていたのだということに、波立っていた心が凪いでいく。
「違った?」
そう小首を傾げるの目は三蔵だけを捉えていて、その言動は三蔵の中の何かを満たした。
別に腹が減っていたわけではないのだが、焼けたマヨネーズの匂いが食欲を刺激してくる。
「…………半分でいい」
三蔵の返事に、は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、残りは私がもらおうかな?
いっしょに食べていい?」
「……勝手にしろ」
こんな風にと向き合うのは数日ぶりだ。
背後からは相変わらず騒がしい声が聞こえてくるが、不思議とさっきまでほどのストレスは感じない。
――やっと、落ち着いてゆっくりできる――
三蔵は新聞を畳み、手で半分に千切ったトーストを口に運んだ。
悪くない味だった。
end