What do you want for me?
その夜、にしては珍しく不機嫌だった。
数日、野宿が続いた後でやっと小さな町に着いた。
町に入った直後、妖怪の襲撃を受けこそしたが難なく片づけられた。
そのことで住人たちには有難がられ、宿でも歓迎され、部屋も二つ押さえられた。
やっとシャワーを使えて、ゆっくり汗や埃を流せた。
そして今、『感謝と御礼の気持ち』として豪華な夕食を振舞われている。
状況だけで見れば気分を害する要素などない。
大量に用意された料理は美味しいし、この地域の特産だという果実酒も好みの味だ。
事実、悟空も悟浄も八戒も、笑顔でこのもてなしを受けている。
『偉いお坊様』という扱いの三蔵だけは少々煩わしそうに見えるが、それでも適当に受け流しながら、食事を続けている。
も表面上はいつも通り、にこやかにしているが、本心はとても穏やかではいられなかった。
の心をわだかまらせているもの、それは一人の少女だった。
17、8歳の整った顔立ちの少女が、可愛らしい笑顔で三蔵にビールのおかわりを注いでいる。
「助けていただいたんですから、これくらい、させてください」
その言葉に嘘偽りはないだろうし、三蔵に酌の断りを言わせないだけの説得力もあった。
なんでも、最近、町から少し離れた辺りに妖怪が住み着き、街道を通る旅人や商人を襲っていたとかで、町への訪問者は減るし、いつ、町が襲われるかわからないし、と、住民は皆、不安な日々を過ごしていたのだという。
だが、今日、この町に妖怪が来たのは――
(私たちのせいなんだけどね……)
そう、『賞金首の三蔵一行を仕留めるついでに町も掌握してやる』と、リーダーとおぼしき妖怪が気勢を上げていた。
だから五人が、襲われそうになっていた住人たちを助けるのは当然の義務だったし、妖怪たちを一掃したのも降りかかる火の粉を払っただけのことだった。
しかし町の住人たちは大層喜んで、それはこの宿の経営者も変わらなかった。
襲う妖怪がいなくなれば町への訪問者も増え、宿も潤う。そしてなにより、助けた者の中に経営者の娘がいたのだ。
(助けてくれた人が自分ちの宿に泊まるってなったら、改めてお礼を言いに来るのはわかるけど……)
少女は、その後、食堂で食事――というよりも、もう宴会と言うべき料理と酒の量だったが――の給仕を始めた。
一行に用意されたのは6人掛けの円卓で、外聞を考慮して上座から三蔵、悟浄、八戒、悟空、の順に席に着いたが、末席にジープ用として座面が高い椅子が置かれていたのは『宴会の時は偶数』というルールに則っての数合わせだろうか。
主に上座方面を担っている少女の給仕は過不足なく行き届いていて、この若さでこれだけできるのは、正直、感心する。
しかし、それを素直に評価できず、逆に不安材料にさえ思えてしまうのはすべて、少女の表情のせいだった。
少女は年長者三人の給仕をしているわけだが、は気づいてしまったのだ。
彼女の笑顔が、三蔵に向けられる時は五割増しになることに。
彼女の声が、三蔵に対しての時だけ少しトーンが上がることに。
そう思って見てみれば、言葉や態度の端々に三蔵への好意が透け見える。
(無理もないとは思うのよね……)
付近に妖怪が出没するようになって不安だったろうし、ついに町までやってきて襲われそうになったところを助けてもらったのだ。
そして、その相手のルックスがあれだったのだ。
吊り橋効果もあったかもしれない。
(そりゃあ、ときめいちゃうわ……)
助けてくれた相手を好きになってしまう――
にも、身に覚えがありすぎて、彼女の気持ちはよくわかる。
よくわかるんだけど、だからこそ、心がざわざわしてしまう。
それなりに目立つ人たちだから、街行く人の視線を集めることは多々あるけど、こんな風にストレートに恋情を示してくる人は初めてだ。
食事を楽しんでいるふうのがその裏であれこれと思いを巡らしている間も、少女は『法師さま』『法師さま』と、かいがいしく給仕している。
(でも、まあ、明日には出発するんだしね)
だから、気にするのはよそう。自分だっていい大人なのだ。
は自分にそう言い聞かせた。
言い聞かせたのだが……つい、酒が進んでしまったのは、下座方面の給仕をしていたウエイターの仕事ぶりが優秀だったせいだけではなかった。
結果――
「ほら! しっかり立って歩け!」
「あるいてるよぉ〜」
「どこがだ!」
宴会がお開きとなった時、はすっかり酔っぱらっていた。
しかし、だけを責めることはできない。
悟浄は更にへべれけになっているし、悟空も心行くまで食べまくった腹が膨れて足元がふらふらしている。
そんな同室の二人を支えながら歩く羽目になっている八戒も妙に機嫌がいいので、顔に出ていないだけでかなり飲んでいるのだと思われた。
必然的にの面倒をみることになっている三蔵の顔も赤い。
精一杯のもてなしをやり切って満足げな宿の者たちに見送られ、五人はよたよたとそれぞれの部屋へ向かった。
「あー、動いてお酒回っちゃったみたいー。なんかグルグルするぅ〜」
部屋に着くなり前のめりにベッドへと倒れこんだに、もう一つのベッドに腰を下ろした三蔵が呆れた声を出す。
「飲み過ぎだ。バカが」
「だって……」
「適量をわきまえろ」
取り出したタバコに火を点けて煙を吐きながら言った三蔵のその一言に、一度は呑みこんだセリフが口をついてでてしまった。
「誰のせいで飲み過ぎたと思ってるのよ……」
呟くボリュームだったが
「あ? 俺のせいだとでも言いたいのか?」
三蔵は耳聡く聞きつけてしまったらしい。
「勧められるまま、調子こいて飲んだのはてめぇだろうが。人のせいにしてんじゃねえよ」
言っている内容に対して声音がまだ穏やかなのは、三蔵にとっては面倒だった宴会が終わって気が緩んでいるというところだろうか。
普段ならほっとするのだろうが、今夜のには軽くあしらわれているように思えて、すねた気分になってしまった。
「……今日のは違うもん……」
「何が違うってんだ」
「……わかんない?」
「だから、訊いてやってんだろうが。俺の気が変わらねえうちに、とっとと吐け」
三蔵が俺様なのはいつものことだけど、今夜はなんだか、ますます、いじけてしまう。
「……三蔵が他の女の子にちやほやされてるのを見て、平静でいられるほど、私、人間、できてないもん」
「は? なんだそりゃ? くだらねぇ」
『吐け』と言われたから言うつもりはなかったことを白状したのに、『くだらねぇ』と一蹴されて、はつい、ムキになった。
「くだらなくなんかないよ! だって、あの子、絶対に、三蔵に気がある!
見ればわかるよ! もう三蔵を見る目がハート型だったもん!」
ガバッと起き上がり、一気にまくしたてる。
目の前の三蔵は呆気にとられたような顔をしていて、明らかに失言だと思うのに酒のせいもあってか、止められない。
「若くて、可愛くて、仕事もちゃんとできて。
そんな子が三蔵にラブラブ光線、送ってるんだよ?
目の前であんなの見せられたら、誰だっておもしろいわけない!」
長く生きている分、立場とか人目とかいろいろなことを気にして、自制してしまう。
自分にはできないことを堂々とできるのが羨ましくて、
できない我が身が寂しくて、
年下の女の子相手に嫉妬してしまう己の未熟さに嫌気がさして、
更にそれらを隠し切れなかったことが情けなくて。
「だから……飲まなきゃ、やってられなかったんだもん……厳密に言えば、誰のせいってわけじゃないかもしれないけど、でも、三蔵が原因には違いないし……」
胸に抱えていたもやもやを吐き出しながら、はだんだん悲しくなってきた。
気持ちが沈むのと比例して顔が下を向いていく。
「こんなこと考えちゃう自分が、自分でも嫌になるけど、でも……
三蔵が、他の女の子と並んでるところなんて……見たくない……」
『この人は私のだから』と、言えたら、どんなにいいだろう。
でも、そんなことはできないし、してはいけないことだ――と思う。
いくら『吐け』と言われたからと言って、こんな醜い感情を吐露してしまって、三蔵はどう思っているのだろう?
今、どんな顔をしているのだろう?
怖くて、顔を上げられない。
ベッドの上に座り込んで俯いたまま次の言葉を探せないでいると、三蔵がタバコの煙とも、ため息ともつかない息を吐き出す音が聞こえた。
反射的に身体がビクリと震え、その拍子に瞑った目から涙がこぼれ落ちる。
感情が抑えられないのも、きっと、飲み過ぎたせいだ。
何も言えないでいるに三蔵が言った。
「で? 『原因』の俺にどうしろって?」
意外な言葉に顔を上げた。
もっと呆れられたり、不快がられたり、叱られたりすると思っていたのに、声にも表情にもそんな様子はなかった。
法衣の上半身だけを脱いだいつも格好でベッドに腰掛けた三蔵は、くつろいで雑談に応じているふうに見える。
「……怒ってない……の?」
「怒っちゃいねえよ。……なに、変な気の回し方してやがんだ、とは思うけどな」
(……甘えていいのかな?)
はゆっくりとベッドの上をにじって足を下ろし、立ち上がった。
が、膝から下が思うように動いてくれなかった。
「わ!」
「おい!」
大きくふらついて、倒れそうになったところを三蔵が受け止めてくれた。
「何やってんだ」
二つのベッドの間に、二人で立ったまま抱き合う形。
「三蔵の横に座りたかったの」
が三蔵の背に手を回してギュッと抱き付いたのは足がアルコールの影響を受けているせいだけではなかったし、そんなを支える三蔵の手が優しいのはの気のせいでもなかった。
「今だけでいいから、三蔵のこと、独り占めさせてくれる?」
今まで、言いたくても言えなかった我儘を初めて口にしてみた。
「好きにしろ」
その返事が嬉しくて、素面の時にはまず言わない単語を、お礼のおまけにつける。
「ありがと。大好き――」
が初めて嫉妬を露わにしたその夜、三蔵は珍しく上機嫌だった。
end