cigarette and coffee
はじめは気のせいかと思った。
それが数度重なって思い違いではないと確信してからも、一晩だけのことだったなら、たまたま、その時だけ何かあったのだろうと思えた。
しかし、同じようなことが二日、三日と続いていけばそうはいかない。
「で、なんなんだ?」
読み終えた新聞を畳みながら三蔵は切り出した。
夕食も入浴も済ませた後の宿の部屋。
一応、二人部屋ではあるけれど、安宿ゆえの値段に比例した狭さで、二つ並んだベッドの間隔はベッドサイドテーブル一つ分しかなく、壁際に設置されたカウンターテーブルも新聞を広げてしまえば一人で占有できた。
そうしてテーブルを追われ自分のベッドに腰掛けて本を読んでいるとの距離はほんの二歩。尋問にはもってこいの環境だった。
そして、唐突な問いかけを投げられた当人であるは、
「なにって……」
一瞬、面食らったような表情になり、
「えっ‥と……えっ?」
その後はなんとも歯切れの悪い態度を見せた。
そう、ここ数日、は何か言いたそうな顔で三蔵をチラッと見ては、ためらうように目を伏せたり、あきらめたように小さく息を吐いたりすることを何度も繰り返しているのだ。
最初に気づいた時は珍しく誘っているのかと思ったが、することをしても再発したので、別の理由があるはずだ。
「とぼけるつもりか?」
言いながら畳んだ新聞をテーブルの上に放り出した三蔵は眼鏡を外した目で不機嫌そうに睨む。
「そんなつもりはないけど……」
の声は徐々に小さくなり、その後を続ける代わりに目を逸らした。
そんな反応をされればますます、何かやましいことがあるに違いないと思えてくる。
「俺に隠し事とはいい度胸だな」
立ち上がり、大股で詰め寄る。
「わっ‥わっ!ちょっと待っ――」
慌てて両手を身体の前に広げ止めようとしてきたを三蔵は構わずベッドに押し倒した。
「実力行使で吐かせてやろうか?」
そのまま覆い被さろうとする三蔵を押し返しながらが降参する。
「わかりました! 白状します! だから、ちょっと待って!」
「……話せ」
三蔵は逃げ出せないようにの顔の左右に手をつき、の身体を跨ぐ形で片足をベッドに乗せた体勢のままで先を促し、あきらめのため息をもらしてが話し始めた。
「あの……ね、こないだ読んだ雑誌に短編小説が載ってて……」
「あん?」
三蔵と目を合わせないようあちこちに視線をさまよわせながらの告白は予想外の方向から始まり、三蔵の気を削いだ。
どうやら真相は、思っていたよりも単純でくだらないもののようだ。
逃がさない用心などきっと必要ない。三蔵は軽い脱力感を覚えながら身体を起こした。
一歩下がって、膝を曲げた片足をベッドに乗せた形で座り、タバコを取り出す。火を点ける間に、押し倒されていたも起き上がり、そのままベッドの上に座った。一口目の煙を吐き出した後で言ってやる。
「……それで?」
言いにくさを紛らわすためかは両手でシーツをさすったり握ったり、身の置き所がないといった様子で話を続けた。
「面白くて、気に入ったんだけど……女の人もタバコを吸うカップルの話で……主人公のその女の人が、その……キスした後にコーヒーを飲むのが好きで、『タバコの味のするキスとブラックコーヒーはよく合う』って文章で終わってたから……」
しどろもどろに続けられた打ち明け話にはやはり深刻さの欠片もなかった。
三蔵はあきれつつも、が言いよどむ核心部分の確認をする。
「……試してみたかった、ってのか?」
「………………うん……」
返事をすることにためらった分、間をおいて頷いたは赤くなっている顔をそのまま俯けて黙ってしまった。
二の句が継げぬ三蔵は、とりあえずが話している間に短くなってしまったタバコをベッドサイドテーブルの上に置いた灰皿でもみ消した。
この何日か、の様子が気になり落ち着かない気分で過ごしていたのだ。
その原因がこんな馬鹿馬鹿しいものであったとは。
そういえば近頃、は湯を注ぐだけで飲めるカップコーヒーを買うようになった。
宿で飲むことも多くなり『なんか最近、コーヒーが飲みたくって』などと言っていたが、その実、味わってみたいものは他にあったということだ。
唇を重ねることなど今までに数えきれないほどしてきたが、の方からねだってきたことはないし、の性格でははっきり口に出すことなどできないだろう。
もし、がそんなことを言ってきたとしたら、きっと自分はそれだけでは終わらせない。
そして事に及んだ後には理由を聞くはずだ。
そのことが想像できるからこそ、ますますは躊躇い、それが挙動不審に繋がっていたのだ。
すべてのことが腑に落ちて、そのしょうもなさに怒る気も失せた。
はといえば、叱られるとでも思っているのか、俯いた姿勢のまま、じっと身を小さくしている。
あきれるのを通り越して、いっそ滑稽にも見えた。
の望みを叶えてやることはやぶさかではないが、気を揉まされた分なにか仕返しをしてやらないと気が済まない。
三蔵は大仰にため息をついて、とりあえず言ってやった。
「ビクついてんじゃねえよ」
「うん……」
はやっと顔を上げた。
「そんなことで叱ったりしねえよ。くだらねぇ」
「うん。変なこと言ってごめんね」
そう言って安堵半分申し訳なさ半分といったように笑うへの反撃を仕掛ける。
「いいから、コーヒーを淹れろ。ブラックでな」
「はーい」
はベッドを降り、素直にカップコーヒーの用意を始めた。
三蔵は再びタバコに火を点け、音を立てないように灰皿をカウンターテーブルの上に移して、そっとの後ろに立つ。
そして、がカップに湯を注ぎ終えるタイミングに合わせて静かにタバコをもみ消し、抱き寄せて口づけた。
「――んっ!」
さらに、何か言おうとして開いたの口の中に、吸い込んでいた煙を吐き出す。
重なった唇の隙間から煙が漏れた。
「ん――んっ!」
抗議めいた声に口を離すとは軽く咳き込み、それが治まった頃、改めて、その唇を塞いだ。
の口からタバコの味がするのは初めてで、タバコの味わい方としては悪くないかもしれなかったが、には合わないと思った。
第一、タバコとコーヒーの組み合わせなど、自分はいつも満喫しているのだ。
「……いきなりはやめてよ……」
唇が離れるなり苦情を申し入れるの目の前にそれを差し出す。
「飲んでみろよ。やってみたかったんだろ?」
「あ……」
は少し顔を赤らめ、
「ありがと……」
さっき自分が淹れたばかりのブラックコーヒーを受け取った。
一口飲んだは
「うん。合うね……」
そう言って、照れくさそうに笑った。
「俺にもよこせ」
の手からカップを奪い、コーヒーを口に含む。
いつもより少しだけ甘い気がした。
そうして一杯のコーヒーを二人で回し飲み、それが手打ちとなった。
「カップコーヒーは切らすなよ」
その後、ふだんは少しの砂糖と多めのミルクを入れるが、たまにブラックコーヒーを飲むようになったことも、それがキスをねだる二人だけの合図になったことも、当然、他の三人には秘密だ。
end