You asked for it
ちょっとした悪戯心だったのだ。
それが、こんな面倒臭いことになろうとは…………
午後、移動中のジープの助手席で、三蔵は暇を持て余した末の居眠りに勤しんでいた。
走行中の道はきちんと整備されているわけではなかったが悪路というほどでもなく、今の時期にしては暖かい無風の好天。
その程よい振動と気候の中でうとうとしているのは、なかなか心地よかった。
しかし――
「わぁーーっ!」
「だぁーーっ!」
「キャーー!」
突如、三つの口から同時に放たれた悲鳴がその午睡に水を差した。
「なんだってんだ!? うるせえ!」
不機嫌全開で怒鳴ると
「だって、八戒の怪談が怖いんだもんっ!!」
の半べそな悲鳴めいた声が返ってきて
「そーだよ! 今日のは特に怖えよ!!」
「おめ、どっからそーゆー話、仕入れてくんだよ!?」
バカ二人の情けない声が追随した。
「くだらねえことしてんじゃねえよ」
忌々し気に吐き捨てた三蔵に
「ちゃんと起きてて、聞いて、反応してくれるだけ、居眠りされてるよりマシです」
八戒がにこやかな顔と声で応えて、この一幕はとりあえず終了となった。
確かに寝起きではあったけれど、後日『その前の怪談と同じくらい怖かった』と、悟空に言わしめた、この時の八戒を敵に回すほど寝ぼけてはいなかったので。
その夜は村に辿り着き、宿も確保できた。
小さな村に一軒しかない宿泊施設は見た目にも古かったが野宿とは比べるべくもない。
旅館よりも民宿といった感じの家族経営の宿は部屋も広くはなかったので、二部屋に分かれて泊まることにした。
急な来訪にも関わらず用意してもらえた食事は美味かったし、風呂でゆっくり温まることもできた。
夕方から吹き始めた風が強さを増していく中、この宿を見つけられたのは幸運だった。
あとは寝るだけという手持無沙汰な時間を、いつものように茶とタバコを共に新聞を読みつつ過ごしていた三蔵は、いつもとは少し様子の違うに声をかけた。
「……おい」
ありがちな短い一言だったのに
「――っ!」
ベッドに腰掛けていたは声にならない悲鳴と共にビクリと身体を震わせ
「あ、なに?」
応えた声にも動揺が明らかだった。
「てめえ、ビクつきすぎなんだよ」
そう、はこの宿に入ってからずっと怯えていた。
三蔵も本当は無視していようと思っていたのだが、あまりの挙動不審さにスルーしきれなくなったのだった。
「だって――」
反論しかけたは、その時聞こえた唸るような風の音に言葉を切り、不安げに視線を揺らした。
趣味の読書にも今夜はまるで集中できず、ただ本を持っているだけになってしまっているようだ。
セリフの続きも大体の察しがつく。
十中八九『八戒があんな話したから』とか『三蔵があんな態度だったから』とかの恨み言だろう。
宿に着いたばかりの時、他の三人も少し言っていたことだが、小さな古い宿だったり、経営者の家族構成だったり、風の強い夜だったりが、日中、八戒が披露した怪談のシチュエーションと被っているらしいのだ。
はのっけから怖気づいていたようで、部屋に通されて二人になった時、訊いてきた。
『ねえ、この部屋とか宿、へんなものがいたりとかしないよね?』
は以前自分でも言っていたが、霊感というものを持ち合わせていないらしい。
そこで、ふと、悪戯心が起きた。
『…………………………いねえ……』
不自然なほどの間を置き、意味ありげに虚空に視線を彷徨わせた後で言ってやった。
その瞬間のの顔は今思い出しても笑える。
しかし、だ。
三蔵の返事をどうとったにしろ、すっかり疑心暗鬼になってしまったらしいは、その後ずっと、ビクビクおどおどしっぱなしになってしまったのだった。
風に打たれた窓がガタガタと音を立てても、隙間風がカーテンを揺らしても、三蔵が足を組み替えた拍子に軋んだ椅子の音にさえ、飛び上がるほど驚いた。
そして、その度に理由や原因を確かめて室内をうろつくのだ。
しかも、恐る恐るのへっぴり腰でゆっくりと。
最初は面白がって見ていた三蔵も次第に飽きて、仕舞いにはうんざりしてきてしまった。
「これだけ古い建物にこの強風だ。多少の物音は仕方ねえだろうが。
うぜえんだよ」
叱る声はなおざりで、普段のだったら何か言い返してくるところなのだが、今夜はしゅんとしたふうに目を伏せるだけだった。
「もう寝ろ。眠っちまえば気になることもねえだろう」
「……うん。そうする。おやすみなさい」
素直に言うことを聞いたは、恐怖の方が勝って減らず口をたたく気力もないらしかった。
が横になったので、三蔵もその少し後には床に就いた。
うつらうつらと眠りかけていた時
「――っ!」
息を呑むような声と、夜具の乱れる音に起こされた。
発生源に目をやるとがベッドの上に身体を起こしている。
一瞬、何事かと思ったが、妖気も殺気も、他人の気配さえ感じられない。
寝ぼけでもしたのだろうと目を閉じたのだが
「……ねえ、起きてる?」
声をかけられて、三蔵は舌打ちした。
「なんだよ?」
仕方なく返事をするとは言ったのだ。
「今ね、なんか『ピシッ』とか『キシッ』って感じの音がしたの。
もしかしてラップ音ってやつかな?」
泣きそうな声でくだらなさすぎる質問をされて、寝入りばなを起こされた怒りも失せてしまった。
そもそもを必要以上にビビらせたのは自分の言動だ。
ちょっとした悪戯心だったのだ。
居眠りの邪魔をされたことの仕返しや八戒に言い返せなかったことへの八つ当たりで、ちょっとからかってやっただけだった。
それが、こんな面倒臭いことになろうとは。
「何もいねえっつっただろうが。
ただの家鳴りだ。とっとと寝ろ」
「ぜんぜん眠れないよ。
風の音がうるさいし、眠ったら怖い夢、見そうだし」
三蔵よりも先に就床しただったが、まったく眠れてはいなかったらしい。
「…………ねえ、そっちに行っていい?」
小さく、伺うように訊かれて
「好きにしろ」
投げやりに答えた。
二人で眠るには狭いベッドだったが、物音がする度に起こされてしまうよりはマシだった。
当初はさっさと眠るつもりでいた三蔵だったが、の体温を間近に感じているうちに大人しく寝ているだけではいられない気分になってきた。
上体を起こして、すぐ横で寝ているに腕を伸ばす。
が、指先が触れる直前に動きを止めた。
さっきまであんなに怖がって『ぜんぜん眠れない』と言っていたが、すでに寝息を立てていたのだ。
「なにが『眠れない』だ」
思わず呟いた至近距離の三蔵の声にも起きる気配はない。
寝顔をよく見てみると、かすかに笑みまで浮かんでいる。
(……安心しきってんじゃねえよ)
三蔵は体勢を元の仰向けに戻してため息をついた。
やっと眠ったのだ。
ここで起こして『眠れなくなった』などと文句を言われては厄介だ。
余計なことをしたせいで、現時点でも十分、面倒な夜になっていたのだ。
自分で蒔いた種だったとはいえ、煩わしい思いは極力避けたい。
身体の奥に発生した熱も、まだこれぐらいならそのうちに鎮まるだろう。
に背を向けて目を閉じた三蔵の耳に、風の音がうるさかった。
end