In my clothes

宿の部屋で、いつものようにテーブルの椅子に座り、お茶を啜りながら新聞を読んでいた三蔵は、開く音が聞こえたドアの方向に顔を向けた。

今日は二部屋に分かれて泊まる。
相部屋の相手は当然、だ。

買い出しに出たが帰ってきたのならば『ただいま』とか言いながら入ってくるはずだし、別室の他の三人や宿の人間だったとしてもノックや声掛けはするだろう。
誰の声もノックの音も聞こえず、ただドアの開く音だけが聞こえたのだ。

反射的に視線を送った先に人物の存在をみとめ、その姿に眉を寄せた。

「また大層な格好だな」

そう感想を述べて新聞に目を戻す。
そこにいたのはだった。
しかし、部屋を出た時とは見た目がまるで違う。
上半身はずぶ濡れで下半身は泥だらけだったのだ。

「それだけ? 他に言うことはないの? どうしてこうなってるのかわからない?」

畳み掛けるの声にはトゲがある。
含まれている感情は、非難か苛立ちか怒りか、あるいはその全てか、いずれにしろ相手をするのは面倒でしかない。
紙面から目を離さないままで言ってやった。

「わかるから、とっとと片付けて風呂にでも入れ。風邪ひくぞ」

濡れそぼったは両手に衣類を抱えており、それらもぐっしょりと濡れていた。
その様子とここ数日の状況から大方の想像はついた。

この町に着いた時から土砂降りの雨だった。
ずぶ濡れになりながら探して飛び込んだ宿でそのまま雨に足止めをくらって丸二日、今日の午後になってようや晴れた。
同室のは嬉々として洗濯にとりかかり、その後、他の三人と一緒に買い出しにも行った。
そのの不在中にまた天候が悪化し、降り出してしまったのだ。

恐らく、は慌てて宿に引き返し、大急ぎで洗濯物を取り込んでいる時にぬかるんだ地面に足を取られでもしたのだろう。
着衣の汚れ方からは雨の中で道を走ったらしいことや泥水の中に尻餅をついたのであろうことが推察できた。
ただ、洗濯物に汚れは見当たらなかった。
どうやら死守したようだ。

はあきらめたようにため息をついて、雨に濡れた洗濯物を室内に干し始めた。

『三蔵が雨に気付いて取り込んでくれていれば』などと口に出しても余計な口論の種になるだけであることも、そんなふうに考えることすら無駄であることも十分理解しているようだ。

三蔵は新聞に意識を戻したが、突然、ゴトッという音と共にテーブルが動いた。

「あ、ごめん!」

が言う。
干すことに集中し上を向いていたせいで、テーブルにぶつかってしまったらしい。

それだけなら良かったのだが――

「……おい」

三蔵は短い言葉に苦情の色を乗せて、目の動きでそれを指し示す。

「あ〜……ごめんなさい」

三蔵の言わんとすることを理解したらしいが再び謝った。

テーブルが動いた拍子に湯呑みが倒れ、零れたお茶が三蔵の法衣を汚していたのだ。

「脱いで。今、私が着てる服と一緒にお風呂で洗うから」

はそう言って残りの作業を手早く済ませ、三蔵が大儀そうに脱いだ法衣を持ってユニットバスの中に入っていった。

シャワーの音が聞こえ始めた時、三蔵は、ホッと息をつきたくなるような奇妙な気分になったが、タバコの煙と一緒に吐き出して流した。

それからしばらく後、

「……ねえ、三蔵……」

小さな声で呼ばれて、三蔵はそちらに目を向けた。
すると少しだけ開けたユニットバスのドアからが顔を覗かせている。

怪訝そうな顔をする三蔵には困りきった様子で続けた。

「どうしよう? 着る服が、無い……」

「はあ?」

三蔵の眉間に盛大な皺が寄った。

「だって、やっと晴れたから嬉しくて、寝間着まで洗ったのに、また降るんだもの……」

身体にバスタオルを巻いただけのは浴室から出てこないまま、しょげ返っている。

言われてみれば確かに、この町に着いてからはずっと雨だった。
その前は野宿だったし、洗い物は溜まる一方だっただろう。

時間になれば宿の者が食事を運んでくるし、別室の三人が訪ねてこないとも限らない。
毛布やシーツに包まっていたとしても、人に見られたらどんな風に思われるかわからない。
更にそんな状態で、万一、敵襲でもあったらと考えるだに恐ろしい――はそう訴えた。

第一、いつまでも浴室にいたり、身体を拭いて濡れているタオルに包まっていたりしては身体が冷えてしまう。
洗濯物を濡らした雨は一時的に激しく降ってすぐ止んだようだが、今の季節、そういう降り方をした後は気温が下がるものだ。
風邪でも引かれてこれ以上の足止めをくらうのはまっぴらだ。

「チッ……!」

三蔵は舌打ちをし、仕方なく着ているアンダーシャツに手をかけた。

「これでも着てろ」

脱いだものを差し出してやると

「ありがとう……!」

はホッとしたように大きく息を吐き出しながら礼を言い、それを受け取った。

少ししてユニットバスから出てきた

「なんか、ミニのカットソーワンピースみたい」

照れくさそうに言って、はにかんだ笑顔を見せた。

婦人服への興味などまるで無いので、カットソーとやらがどんなものなのかは知らないが、三蔵のシャツは体格が異なるが着ると、なるほど、上衣とスカートが一続きになっている服のようにも見える。

「裸でいるよりはマシだろうが」

そう言った三蔵の口調に、はしゅんとした。
法衣を洗った上ににシャツを貸した為、三蔵は上半身が裸なのだ。

「ごめんなさい……暖房入れるね、その方が乾くのも速いだろうし。
あ! あとお茶のお代わりも!」

は三蔵の機嫌を取るようにくるくると働く。

の腰が軽いのは常のことだし、目や手の届く範囲に居るのであれば問題が起こることもないので普段はその動きを気にすることはないだが、今は意識しないではいられなかった。

自身も『ミニのワンピース』と評した通り、袖の無いシャツは悟浄あたりが喜びそうな裾丈となり、いつもは服に隠れている白い手足が無防備に晒されている。
に関しては、一糸纏わぬ姿さえ見慣れているはずなのに、何故か、不思議な新鮮味があるのだ。

表面的には無関心を装っていても、目はついを追ってしまう。
いつにない自分に三蔵は苛立ちを抑えられずにいた。

その後もに対する目新しさは失われず、食事や入浴を済ませた頃になってやっと、三蔵はその理由に思い至った。

が着ているのが『三蔵のシャツ』だからだ。

そのことが、自分の所有物である感覚を強くし、支配欲を満足させると同時に独占欲を増幅させている。
湧き起こる様々な感情が複雑に入り混じり、心を騒がせていたのだ。

数時間にわたる落ち着かなさも、原因が分かれば対策のたて様もある。

(……それなら……)

どう対処してやろうかと考える三蔵の心はさっきまでとは別種の情感にざわめき始めていた。

end

Postscript

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