Under restraint

「んん゛〜〜ぉぉ〜――っとぉ……」

部屋に入った悟浄は大きく伸びをした。
思わず親父クサい声が出てしまったが、聞いている者などいないので別に構わない。

野宿二日目の昨夜は妖怪の襲撃を受けてろくに眠れなかったけれど、なんとか町に着いて宿に入れた。
買出しは宿や食堂を探しながら済ませたし、取れたのも一人部屋が五つ。
夕食までは特に用もないから、ナンパに出掛けようが昼寝をしようが自由だ。

閉め方が甘かったのかドアは少し開いたままになっていたが、とりあえず一服とタバコに火を点けた。

腰掛けたベッドは窓から差し込んだ秋の日差しが届いていい具合に温かくフカフカで、まるで『ちょっと寝ていけ』と誘っているようだった。
一本吸い終わった後で一度寝転んだけれど、このまま寝てしまうのは勿体無いようないい天気だ。

(『ナンパ日和』ってとこかねー?)

少々悩んだけれど、結局、悟浄は町に出掛けていた。
もちろん目的はナンパだ。

そして、この日の悟浄はやたらとツイていた。

早々に出会った少し年上の美人はやたら積極的で、あれよあれよという間にそういう場所で『ご休憩』していく流れとなった。
あまりに都合よく展開していく事態に敵の罠かとも思ったが、妖気は感じないし彼女が付けているアクセサリーは皮製のチョーカーくらいなのでそれが制御装置だとは考えにくかった。

何より色っぽいイイ女だ。
そんな相手と割り切って楽しめるチャンスを逃すつもりはなかった。

女の腰に手を回して移動する。
くびれたウエストとそこから続く曲線は、その身体つきもなかなかのものらしいと推測させ、今後への期待が高まった。

男女の逢瀬のために設えてある薄暗い部屋の中に入ると、女は飛び掛かるように抱きついてきて、悟浄はベッドに押し倒された。

少々、面食らった感もなくはなかったが、どう見ても相手の方が年上なのだ。
たまにはリードされるのも悪くない。
軽口を飛ばしながら見上げると、女は悟浄の腹の辺りに馬乗りになっていた。

妖艶な笑みを浮かべる女へと悟浄が手を伸ばそうとしたその瞬間、悟浄の身体は動かなくなった。

身体が動かせないだけでなく、声すら出せない。
まるで金縛りにあったようだ。

やはり罠だったのかと後悔しても遅かった。

悟浄が対策を考えている間に柔らかかったはずの女の身体がみるみる硬くなっていく。
それに伴って重さも増しているようだ。

このままでは押し潰されてしまう。
悟浄は必死になって身体を動かそうともがいた。

「ちくしょう!」

やっと声が出せた――と、反射的に目を見開き、

(――……あれ……?)

一瞬、状況を把握できずに呆けてしまった。

目に飛び込んできた光景はさっきまでとはまるで違っていたのだ。

そこには女などいず、室内は窓から差し込む日の光を受けて明るかった。

(……ってぇことはだ……)

そう、ナンパに出かけたのも、女に出会ったのも、それが罠だと思ったのも、全てはうたたねの中で見た夢だったのだ。

(うーわ……サイアク……)

夢にうなされて自分の寝言で目を覚ますなんて、ダサいことこの上ない。

(でも、まァ、誰にも見られてねーし)

それが、まだ不幸中の幸いだったな、と、気を取り直していて、ふと気付いた。

――腹の辺りに何か重い物が載っている――

頭だけ起こして見てみると、そこには白い毛玉の塊があった。

(なんだ!?)

目を凝らしてみて、それが猫だとわかった。

が、同時に対応が難しいことも感じた。

丸くなった背が呼吸に合わせて上下する程度にしか動かない猫は、どうやら眠っているらしいが、載っている場所が下腹部の非常に微妙な部分なのだ。
更に、左足の膝上の箇所と内腿にも温かい小さな塊が触れている。

それらの感覚から察するに、親猫が腹の上に、二匹の子猫が太ももの上と足の間にいるようだ。
子猫の様子はよく見えないが、鳴き声も聞こえないし動いている気配もないので、やはり眠っているのだろう。

下手に動けば子猫を潰しかねないし、眠っている猫を驚かせばどんなリアクションをとるのか予想がつかない。
子連れの母猫なら子供を守るために攻撃的になることも十分考えられるのだ。
万一、一番の急所に爪を立てられたり噛み付かれたりしてはたまったものではない。

(まいったね、こりゃあ〜……)

このままでは猫が自然に起きるまで動けない。
思えばあんな悪夢を見てしまったのもこの猫たちのせいに違いなかった。

だが、ある意味では自業自得。
ドアをちゃんと閉めないままうっかり眠ってしまった自分が悪いのだ。

動けないので暇つぶしになるようなこともできないし、無意識のうちに寝返りを打ってしまうかもしれないことを考えると再び寝ることもできない。

退屈で仕方なく、せめてとタバコに手を伸ばしかけたが、の姿が脳裏に浮かんで止めた。

『寝タバコはダメよ!!』と怒るの顔と声は悟浄の記憶にしっかり刻み込まれている。
ため息と共に諦めるしかなかった。

そのまましばらく時間が過ぎた。
窓からの日差しは少し傾いたが、まだ室内を暖かく照らしている。

猫は相変わらず眠ったままで、悟浄は身動きできずにいた。

(下手すりゃ、晩メシまでこのまんまかぁ?)

時折、廊下を歩いていく人間はいるものの、誰も彼も通り過ぎるだけで、悟浄の窮状には気付いてくれない。

退屈なことはまだ我慢できるが、禁煙状態であることがだんだん辛くなってきていた。

(あ〜〜、タバコ吸いてぇ……)

既に見飽きた天井を見上げながら、そう、何度目かのため息をついた時だった。

「悟浄? いるの?」

ドアから顔を覗かせた者がいた。だ。

「ああ、入れよ」

顔をドアの方に向けて返事をするとは室内に入ってきた。

「宿の人にりんご貰ったから、持ってきた‥ん‥だけ‥ど――」

りんごが入っているのだろう紙袋を示しながら言うの声が、どんどん怪訝そうな調子に変化していく。

「……何してるの?」

ベッドの傍までやってきたに不思議そうな顔で訊かれて、返事に少し困った。

「それが、こいつら……昼寝してる俺の上で寝てくれやがってさ……」

さすがに何を心配しているのかまでは言えないでいると

「ふーん、退かさずにそのまま寝せておくなんて、悟浄って動物にも優しいのね」

は都合良く誤解してくれ、悟浄は苦笑するしかなかった。

「いや、怒らせて引っかかれたりすんのがヤだっただけつーか……」

「確かにその体勢じゃ、そっと退かすのは難しそうね」

「そう思うんなら助けてくれよ」

「あ、やっぱり本当は困ってる?」

「たりめーだろ! タバコも吸えやしねぇんだぜ?」

「わかった……じっとしててね」

のその言葉の後半は悟浄に言ったのか猫に言ったのかわからなかったが、悟浄は上半身を動かさないようにしていた。

猫を掬い上げるの手が悟浄の腹をくすぐり、ずっと身体の上にあった重さとぬくもりが消えた。

「この子、革の首輪してる。この宿で飼ってる猫なのかな?」

はそう言いながら親猫をベッドの端に降ろし、悟浄の太ももの上にいた子猫も抱き上げた。

「これで起き上がれるでしょ?」

「ああ、サンキュ」

悟浄はしばらくぶりに身体を起こし、まず背中を伸ばした。
それから足の間で寝ている子猫を抓み上げて退かす。

「はぁ〜〜……やれやれだぜ、まったく」

早速、タバコに火をつけた悟浄のベッドの隅で三匹の猫はまだ眠り続けている。
なんだかもう腹を立てる気にもならなかった。

やっと吸えたタバコをじっくりと味わっていて、

(へ? あいつ、どこ行った?)

いつの間にかがいなくなっていることに気が付いた。

別に同室なわけではないので、ここにいなければならないということはないのだが、何も言わずに出て行くというのはらしくないし、さっき持ってきたはずのりんごの袋も見当たらない。

不思議に思っていると、再びがやってきた。

「どうした?」

「ん? ちょっと準備してきた」

「『準備』? なんの?」

「猫たちに優しかったご褒美に、りんご剥いてあげる」

返事をしながらは紙袋から果物ナイフや紙皿、りんごを取り出した。

そしてテーブルに座って剥き始めながら、最初はりんごだけしか持ってきていなかったけれど、剥いてあげようと思ったから、手を洗うついでにナイフや皿も取ってきたのだと説明した。

悟浄もタバコとライター、灰皿を持ってテーブルに移動した。

ナイフがリンゴの表面を削りながら進んでいく音。
他愛ない会話。
視界の隅にはのんびりと眠る猫。

なんだか妙にほのぼのとした気分で、悟浄はりんごの皮が螺旋を描きながら伸びていくのを見ていた。

「はい、どうぞ」

差し出された紙皿の上には切り分けられたりんごがのっており、食べやすいように爪楊枝も刺してあった。

「サンキュー。お前も食えよ」

「じゃあ、一切れもらうね」

一個のりんごを分け合って食べる。
そんなことを嬉しく思う自分を悟浄は内心で自嘲した。

万一、あの夢のようにナンパが成功して誰かと寝たとしても、気持ちいいのは一瞬だけだろう。
きっと一時的に得た快楽の何倍も、後で虚しくなるに違いない。

身体が動けないことはあんなにわかりやすかったのに、心が動かなくなっていることはこんなにも意識しにくい。

だが――

今のこの状況は確かに時々苦しいけれど、決して嫌ではない。

たまにこんなことがあるなら、これからも『いい仲間』でいられる。

(やっぱ、俺ってマゾっ気あんのな)

りんごと一緒に呑み込んだ気持ちは、りんごと同じように甘酸っぱかった。

end

Postscript

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