恐怖
その午後、は、期待に満ちた悟空の視線を浴びながら作業していた。
前にしていた約束を果たすべく、宿の調理場を借りておやつに肉まんを作っているのだ。
「はーい。後は蒸して出来上がり」
蒸篭に蓋をすれば、後は蒸しあがるのを待つだけ。
その間に洗い物を済ませようと流しに立つと、悟空もその隣に並んで手伝ってくれながら話しかけてきた。
「なあ、これ全部、俺が食ってもいいの?」
「全部はダメだよ。『皆の分も』って思って、餡子入りのも作ってるんだから」
「ちぇーっ」
つまらなさそうに言う悟空には苦笑する。
「……悟空の分だけでも二十個以上ある計算なんだけど?」
二つのコンロを使って蒸している宿の大きな蒸篭はそれぞれ二段重ねだ。
「の饅頭は美味いからさ、五十個だって軽くいけるよ」
その数字が全く大げさに思えないのが悟空の凄いところ。
「……褒めてもらえるのは嬉しいけど、今日のところはこれで我慢してね……」
「しょうがないかあ……あーあ、腹いっぱい饅頭食いてえなあ……」
悟空の言葉には笑い出した。
「なんだよ? そんなに笑わなくったっていいじゃん」
「あ、ごめん、ゴメン。ただね、落語にそんな話あったなあって思い出しちゃって」
「……どんな話?」
「『饅頭怖い』って演目なんだけどね――」
はかいつまんでその内容を教えてあげた。
「……へえー。じゃあさ、そうしたら饅頭食えるかな?」
素直に、というより単純にそう訊いてくる悟空にはまた笑ってしまう。
「絶対失敗するよ。
三蔵や八戒はこの話、知ってると思うし、そもそも食いしん坊の悟空が『饅頭が怖い』っていう設定に無理があるもん」
「そっか……が怖いのだって雷だもんなあ」
「そこでなんで私の話になるのよ? それに、怖いんじゃなくて『苦手』なの!」
「同じじゃん」
「じゃあ、悟空の怖いものってなんなの?」
「えーと……そうだなあ……食いモンのない野宿の夜が怖い!」
「……悟空らしいね」
「あ、あと……制御装置を外した八戒がすっげぇ強えっつーか、怖かった」
「そうなんだ……
っていうかさ、四人の中で怒らせたら一番怖いのって実は八戒だよね」
「そうそう! 三蔵も八戒にだけは銃ぶっぱなしたり、ハリセンで殴ったりしねえもん」
「普段、温厚な人ほど本気で怒ると怖いっていうしね」
「……じゃあ、も怒ったら怖そう」
「私? えー? 八戒ほどじゃないと思うんだけど……何? 怒られてみたい?」
「遠慮しとく」
洗い物が一通り終わった後も『八戒のする怪談は怖そう』だの、『上機嫌でバカ笑いしてる三蔵とか想像すると怖い』だのと他愛ないこの会話は饅頭が出来上がるまで続いた。
ふっくらと蒸された饅頭にかぶりつく悟空を横目に、他の三人の分を皿に取り分けながら、は思っていた。
(一番怖いのは、皆と一緒にいられなくなること……かな?)
取り留めのない会話をしながら笑い合える相手がいる倖せ。
自分が作った物を『おいしい』と言って食べてくれる人がいる倖せ。
当たり前すぎてつい忘れてしまいがちな、でも、とても大切なことを思い出せたことに感謝した。
なんだか嬉しい気分で頬張った出来立ての饅頭のように、心もほっこりしていた。
――ちなみに、その日、悟空は二十数個の肉まんをペロリと平らげた後、普通に夕食も摂り、入浴後にはもう『腹減った』といつものセリフを口にしていた。
にとってはすでに当たり前になっていることで意識することはなかったが、最も恐怖を覚えるべきなのは、悟空のこの食欲かもしれないのだった。
end