声

よく冷えた缶ビールを呷って風呂上りの喉を潤した三蔵はベッドに腰掛けてタバコに火をつけた。

ジジッ――

フィルター越しに息を吸い込むと巻紙の燃える音が耳に届く。

三蔵は目を閉じてタバコと共にその静寂を味わった。
長く吐き出した煙が伸び室内の空気に溶ける。

ようやく訪れた静かな夜に、三蔵の機嫌はやっと平常に戻ろうとしていた。

ここのところ、野宿か宿に泊まれても大部屋かという日々が続いていた。

煩いのは主に悟空と悟浄だが、この二人は起きている時に騒がしいのはもちろん、眠っていたとしても、いびきだの寝言だのといった騒音を振り撒くので迷惑この上なかった。

八戒の場合は、声量はそれほどではなくても言う内容が三蔵にとっては煩わしいものであることが多く、更に無視をしたとしてもその三倍以上の毒舌が返ってくることが目に見えているので始末が悪い。

今日、夜になってやっと着いたこの宿で、なんとか一人ずつ部屋が取れたが、外での食事を済ませてそれぞれの部屋へ入るまでの間ずっと、三蔵は周りの喧騒にイラつきっぱなしだったのだ。

静かに穏やかに時間を過ごすことを好んでいるのに、自分の周りはいつも煩い。

何故、そうなってしまったのかを考えると、自分を見上げている間抜け面に行き着いた。
そして、それ以前からずっと自分を呼び続けていた声に。

(……そうか……)

思い至って、フンと鼻から息が抜けた。

それが自嘲なのか諦めなのかは自分でもわからない。
恐らく両方だろう。

出会う前から、悟空はあんなに煩かったのだ。
実際に会えば、一緒にいれば、それ以上に煩くなってしまうのは、当然ではないか。

――いつか貴方にも聞こえるかもしれませんよ? 誰かの声が――

師にそう言われた時は、まさか本当に自分にもそんなことが起こるとは思わなかったのだが……

灰を落として少し短くなったタバコを咥えなおす。

何の因果だろう?

悟空一人でも十分煩かったというのに、無遠慮に話しかけてくる声はある時から更に二つ増えた。
悟空の時とは違って物理的な距離さえおけば聞こえない点だけはマシだが、一緒にいる時の騒音レベルは桁違いだ。

そして、今、そんな連中と狭い車内に納まって旅をしているのだから、人生とは皮肉だ。
その上――

三蔵はため息をつきながらタバコを揉み消した。

――その上、その旅の中で、気安く自分に声を掛ける人間がまた一人増えてしまっている……

不思議なのはそいつのことを騒がしく思った記憶がないことだ。

本人も活動的というほどではないが決して物静かでもなく、悟空と一緒にはしゃいだり、悟浄と冗談を言い合ったり、八戒の小言に加勢したりと、煩いと思いたくなる要素がないわけではない。

なのに、何故か、不快に思ったことがない。

音質の違いのせいだろうか?

体格の差、筋力の差、性別の違い、そういったものがそいつの声を自分たちとはまったく別のものにしている。

高過ぎず低過ぎず、あくのないの声は耳に心地よい。
その声で名を呼ばれることも、鈴を転がすような笑い声も悪くないと思う……

そんなふうに暇つぶしのくだらない考え事をしていた三蔵の、無意識のうちに再びタバコへと伸ばされていた手が止まった。
どうでもいいことを、ただなんとなく考えていただけだったのだが、その思考がある方向へと流れていることに気づいたからだ。

ここしばらくの日々のことを思うとそれも当然で、三蔵はタバコもビールも二本目には手をつけずに立ち上がった。

味わいたいものは他にある。

ドアを出た三蔵はまっすぐにの部屋へ向かった。

さっき不意に、耳によみがえったの甘い啼き声。

それを直に聞くために。

end

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