大切な存在

西に傾いた日に照らされる森の中、走っていたジープのスピードが徐々に落ち、止まった。

「今日はここまでですね」

八戒の言葉に全員がジープから降りる。
変身を解いたジープはぐったりとして、明らかに元気がなかった。

前日に泊まった宿がペット禁止だったため、ジープのみ車の姿のまま野外で一夜を過ごした。
その間、通り雨に濡れたこともあり、朝から体調があまりよくないようだったのだ。

しかし、その村に宿はそこ一軒しかなく、出発を延ばしたとしてもジープがゆっくり休むことは不可能で、仕方なく先に進んだのだった。

いつもどおりに元気だったならば、夜までには次の町に着いていただろうが、今日のジープには厳しかったようだ。
これ以上、無理をさせるわけにはいかないし、夜道を歩いたとしても移動距離はたかが知れている。
今夜の野宿が決定した。

「ごめんね。具合悪くても頑張ってくれたのに、こんなとこしか見つけられなくて……」

すぐ傍で毛布に包まっているジープの額に濡らしたおしぼりをのせてやりながら、はそっと呟いた。
少し熱があるジープは眠りかけているようで返事はなかったけれど、冷たいおしぼりにほんのちょっとだけ表情が和らいだように見えた。

あの後、ジープを横にならせることが出来て風や夜露をしのげそうな場所を捜しながら森の中を歩いた。

小屋でもあれば一番だったのだけど見つけたのは洞穴だった。
それでも野ざらしになるよりはまだましだと思えたのでそこに腰を落ち着け、早めの夕食を簡素に済ませた。
あとは適当に寝て、朝が来るのを待つだけだ。

体調不良のジープが眠っているので悟空も大人しいし、明日の行動予定は食事中に話し合ったので会話も特に必要ない。
洞穴の中はたまに三蔵と悟浄がタバコに着火するライターの音が響くだけだった。

「おい」

静けさの中、不意に三蔵が口を開いた。
一言のその呼びかけに

「うん」

「ああ」

「ええ」

悟空、悟浄、八戒も短く答える。

だがそれだけで、何が起きようとしているのかにもわかった。
僅かだがそれぞれの声に緊張感が漂っていたのだ。

「ここじゃ不利だな」

「うん、ジープも寝てるし」

「退屈してたとこだし、出迎えにいってやっか」

「と、いうわけで少し出てきますね、

口々に言いながら立ち上がった四人は洞穴を出て行き

「うん。いってらっしゃい。気をつけてね」

はそれを見送った。

自分には感知することなんてできないけれど、皆は妖気を感じたのだ。
この洞穴は狭いし暗いので、確かに戦う場所には適さない。

置いていかれるのは少し寂しいけれど、この夕闇の中での戦闘では自分は足手まといになる。
一人で待つ間には、正直、不安な気持ちにもなってしまうけど、皆なら大丈夫だって信じてる。

(ああ、そうか)

深呼吸をして気持ちを落ち着けて気づいた。

(……一人じゃないね……)

すぐ隣にジープが眠っている。
今の自分の役目はここでジープについていてやることだ。

(うん、自分にできることをしなきゃね)

はジープの看病をしながら四人の帰りを待った。

ジープの頭のおしぼりを汲み置きの冷たい水で絞ってやることを何度か繰り返し、熱が下がったようだと安心した時だった。

足音が聞こえたような気がしては洞窟の入り口に顔を向け――息をのんだ。

気づかないうちに空には月が出ていたらしい。
その明るさを遮る逆光の人影が見えた。

そして、今、まさに中に入ろうとしているその人物の短髪からのぞく耳は尖っていた。

は反射的に短剣を手に取り身構える。
妖怪は肩を揺らしてクッと笑った。

「仲間がバタバタやられてくの見てずらかってきたんだが……運が向いてきたかもな」

独り言のように言いながら妖怪はゆっくり近づいてくる。

は妖怪の動きに最大限の注意を払いながらゆっくりと立ち上がり、じりじりと前に進んだ。
具合のよくないジープが寝ているのだ。ジープからはできるだけ距離をあけておきたかった。

「女! お前、三蔵一行の仲間だな?」

「……なんのこと?」

敵の問いかけに答える義理なんてないけど、返事をしないことで肯定と受け取られるのも面倒だ。
とりあえずはとぼけた。
人質にされて皆の足を引っ張るのなんてまっぴらだ。

しかし

「ハン! 見え透いたことを」

この妖怪には通用しなかったようだ。

「こんなタイミングでこんなとこにいる人間が、三蔵一行と無関係のわけねえだろうが!」

言うやいなや妖怪が襲い掛かってくる。
も必死で応戦したが、この狭さと暗さの中でジープを巻き込まないように意識しながら戦うのは無理があった。

「――ッ!!」

一瞬、ジープのことを気にした隙に足を蹴り払われて転んだ。

「無駄な抵抗してんじゃねえよ」

妖怪も多少は息があがっているが、まだ余裕がある。

はまだ地べたに尻餅をついた格好だし、転んだはずみで短剣もどこかに飛んでいってしまった。
ここ最近の中では最悪といっていいピンチだ。

「痛いめをみねえと大人しくなれねえか?」

ほぼ勝敗が決まってなお敵を睨み付けるに妖怪の手が伸びる。

その時――

「ピーーッ!!」

休んでいたはずのジープが妖怪に飛びかかった。

「ジープ――」

「うわっ! なんだ!」

突然、顔面に得体の知れないものからの攻撃を受けた妖怪がそれを振り払おうとする。
はその間に立ち上がり体勢を立て直した。

が――

「キュウッ!」

「ジープ!!」

ジープは妖怪に殴られ、地面に叩きつけられた。

「なんてことすんのよ!!」

は怒りのままに思い切り妖怪の股間を蹴り上げた。
そして、前傾姿勢になったその後頭部に組んだ両手を力いっぱい振り下ろす。

倒れこんだ妖怪は地面で顔を強打し、は大逆転勝利をおさめた。

「ジープ、大丈夫?」

が倒れたままのジープに駆け寄ると

「キュウ……」

ジープは返事をしてくれた。
でも、声は弱々しい。

どんなケガをしているのかいないのか、ここでは暗くてよく見えない。
はジープを抱き上げて洞窟の外に出た。

やっとのことで倒したあの妖怪も気絶しているだけだ。
皆がいつ帰ってくるかわからないし、他にも辺りをうろついている妖怪がいるかもしれない。
いかにも誰かが隠れていそうなこの洞窟にいるのは危険だ。
一旦、この場からは離れた方がいい。

月明かりで見てみるとジープは羽を痛めているようだった。

「助けてくれてありがとう。痛い思いさせちゃってごめんね」

言いながら、は泣きそうになった。
しかし、今は泣いている場合ではない。

は木々の隙間からこぼれる月の光を頼りに、身を隠せる場所を探した。

あまり洞窟から離れるのもよくない。
うっかり皆が戦っている場所に近づいてしまったら逆効果だし、皆が戻ってきた時に探す手間が大きくなってしまう。

洞穴の周囲を歩いてまわり、よさそうな茂みを見つけて、その影にしゃがみこんだ。

「ここなら、声を出したり音を立てたりしなきゃ大丈夫だと思う。
皆が来てくれるまで我慢しててね」

呟くよう話しかけると

「キュウ」

ジープは小さな声を返して目を閉じた。

(……やっぱり、しんどいんだね……うん、寝てもいいよ)

そっとジープの頭を撫でてやりながら、の目には涙が滲んでいた。

ジープは今日、体調がよくなかったのに、一生懸命、自分たちを運んでくれた。
やっとゆっくり出来ていたとこだったのにあんなことがあって……

疲れていたのに、具合もまだ悪かったのに、こんな小さな身体で敵に向かっていって、自分を助けてくれたのだ。

『ありがとう』なんて言葉ではとても足りない。

昨日の宿でも思ったけど、自分たちにとってジープはペットじゃない。
掛け替えのない仲間だ。

この羽のケガでは、もし、また敵襲があっても飛んで逃げることは難しいだろう。
ジープが自分を助けてくれたように、自分もジープの助けにならなければ!

(今度は私が守るよ!)

は涙を拭って、そう気持ちに活を入れた。

しばらく後、団体でやってきた敵の数にてこずってやっと洞窟に戻ってきた四人は、そこにとジープがいないことに戸惑った。

争った痕跡がある上に昏倒している妖怪がいることから大体の察しはついたが、一人にするとロクなことがなかったり、無茶をしでかしたりするのがだ。

四人は元凶となった妖怪を外に放り出してとどめを刺し、二人を探しに出掛けた。

〜!」

「ジープー! どこですー?」

「聞こえるかー? おーい!」

「返事しやがれ!」

自分たちを呼ぶ四人の声が聞こえて、はそっと立ち上がった。

しかし、訳あって返事をすることはできない。
隠れていた茂みから出て、皆に見つけてもらうことを期待しながら声のする方に歩いた。
走ることもできないのだ。

幸い、すぐに見つけてもらえたのだが、大声で呼ばれるのはマズい。
は『シ』の発音の形にした口の前に人差し指を立て小刻みに揺らして、懸命に『静かにして!』とアピールした。
近づくにつれて、四人もの言わんとすることに気づいてくれたらしい。怪訝そうな顔をしながらも声を抑えてくれた。

傍に寄った四人には無言のまま人差し指でそれを指し示す。
それを見た四人も納得したような表情を浮かべた。

に抱かれてジープが眠っていたのだ。

「心配かけてごめんね」

は小声でまずそう謝って経緯を説明し、八戒は気功でジープのケガを治した。

「……ジープ、頑張ったんだな」

「ま、とにかく無事でよかったぜ」

、重いでしょう? 僕が連れて行きますよ」

治療を終えた八戒が両手を差し出してジープを受け取ろうとしたが、は首を横に振った。

「大丈夫。このまま私に抱っこさせて。
もし起こしちゃったら可哀想だもん」

今日一日頑張ってくれたのだから、ゆっくり眠っていて欲しい。

のその気持ちは伝わったらしく、

「わかりました。お願いします」

八戒はそう言って任せてくれた。

「ホントに気持ちよさそうに寝てるもんな」

「この調子なら、熱も朝までには下がんだろ」

ジープの寝顔を笑顔で覗き込む四人に

「おい、とっとと戻るぞ」

三蔵が声をかけた。

「……その方がジープもちゃんと休めるだろうが。
ジープが動けんと話にならんのだからな」

三蔵はそう続けて歩きだし、四人もその後を追った。

――みんなにとって、にとって、ジープはとても大切――

――ジープにとっても、四人も、も大切――

の腕の中は、柔らかくて温かい揺り篭。

ジープは心地よく眠り続けていた。

end

Postscript

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